大森インプラントクリニック松元教貢歯科医院腫れ痛みなく早く、骨不足でも骨ができて直ぐに歯が入る幸せのブログ

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添島義和先生  惜別の追悼

2010年10月13日 | 即時荷重インプラントの話
日本のインプラント界に巨大な足跡を残された、九州インプラント研究会KIRGの会長添島義和先生が亡くなられてしまいました。

余りにも大きな巨星が消えてしまった事は、インプラント界にとって言葉に言い尽くせないほどの損失でしょう。

世界的な業績も沢山残され、ITIグループのリサーチメンバーに日本人としていち早くエントリーされ数々のリサーチを残される事に活躍されました。

その業績の上に、今のインプラント界がかなり成り立っている事は万人が認める所です。

本当に残念な方を亡くしました。

後数日で74歳での死は、今の日本人の寿命ではまだまだこれから一仕事と思えますし、又そう言う期待を抱かせて下さる先生でもありました。

今回の国際歯科大会でも座長をなされる予定でしたので、まだまだ沢山活躍いただかなければと業界全てが認めていた先生でした。

筒井先生を亡くした時も衝撃を受けましたが、今回は私個人にとってはもっともっと衝撃でした。

それだけ私は個人的にも非常にお世話になっていましたし、拙著でも推薦の序文をいただきに、熊本まで直接草稿を手に参上してお願いに上がった位でした。

私はよく自分自身でもインプラント界の異端児、変人、奇人と見做されて来たと書いていますが、それは本当の事でした。

そんな中、添島先生は非常に私を高く買って下さり、誰しも若かりし頃は人から違って見られるくらいでないといけない、それだけ出ているくらいで丁度良いんだ、と言葉を掛けて下さいました。

何時も学会やセミナーでご挨拶すると、頑張っているか、元気か、と声を掛けて下さり、励まして下さいました。

私の業績2004年、2007年のPRDポスタープレゼン100倍以上のを、何のコネもなく受かった事を誰よりも喜んで下さいました。

私がPRDに挑戦すると言った時に、やりなさい、行きなさい、と言って味方して下さったのは、添島先生たった一人でした。

日本人の若い世代が世界に出て行く事、活躍する事を望まれ応援をされていました。

自身も世界に出られ、リサーチメンバーになられると言う、大変に栄誉ある実績を残されている先生ならでは懐の深さ、人物の大きさを感じさせられる、余人の及ばぬ域に到達されていた方だった、と言って間違いないでしょう。

言葉に尽くせないくらい、本当に残念で残念で仕方がありません。

思えば、開業したその年に友人のDRに無理矢理に勧められ、行くんだったらKIRGと洗脳され、とてもとても本当に大変でしたが、毎月熊本までインプラントの100時間コースに一所懸命に1年通いました。

そして、添島先生始めとするKIRGの先生方の実力とその魅力に、勧められて無理しても来て良かった、と心から思わされました。

40歳と言う若さで亡くなられた今間先生と言う、生涯無二の恩師をKIRGに通う2年前に失い、目標を無くしさ迷っていた時期の私にとって添島先生、KIRGは素晴らしい光明でした。

私は先生、KIRGのお陰で復活、再生できた、と言っても過言ではありません。

そのまま、添島先生の元を去りがたく感じられて仕方なかったので、翌年には次は船越ペリオとその友人の先生に勧められるまま申し込んでいたのを幸いに、セミナーの前日金曜日が先生のインプラントオペ日であるとお聞きして、直接見学させていただけないかとお願いし、快く了承いただきそのまま1年以上熊本に毎月通い、直接オペ見をマンツーマンでさせていただきました。

開業2年目で毎月1回金土日と勉強に出てしまうと言うのはとても尋常ではない、と良く他人には呆れられてましたが、あの時の修行が私にとっての何よりの財産になっている事は全く疑いようがありません。

あの珠玉の時がなければ、今日の私は存在し得なかった事でしょう。

それが何物にも変えがたい私の生涯の財産です。


返す返すも残念なのは、先生のオペを二度と拝見できない事と、僭越ながら私の今している仕事内容、実際のオペなどを見ていただく機会が無くなってしまった事です。

拙著の推薦文をいただきましたので、それなりの概要は知っていただけたと思うのですが、全容を今している本当の最先端領域を拝見いただき、ご意見をいただけなくなったのは慙愧に耐えません。

添島先生なら、きっと他の方と違ってトリックスター的な見かたをせず、インプラントの王道からの貴重なご意見を賜れたに違いないからです。

そう期待をさせられる先生でしたし、又、私自身今している仕事に対してそれ位の自負、自信を強く抱いているのです。

そう言う時だからこそ、王道を堂々と歩まれて来られた先生からのご意見、貴重なアドバイスを拝聴したかったのです。

本当に残念で残念で仕方がありません。

拙著の草稿を拝読いただく為に、熊本に直接参上しお願いに上がり、更に出版後お礼を直接述べお届けせねばと伺いました。

その最期の2日間、添島先生は個人的に色々なお話をして下さいました。

強く印象に残っているのは、これからは君達の時代だ、俺達の世代は後ろで見ている、引き継いでインプラントを真っ当に向上させ進化させて広めて行って欲しい、と言う事と、今後物凄く増えるであろうインプラントトラブルを解決する道筋を何としても確立しなければいけない、と言う話です。

歯科医としての基礎力のないDRが安易に参入してくる事に危惧を持たれ、私も添島先生も総義歯を非常に深く極めているDRでしたので、そう言う無から有を創造できるセンス、感覚を修行して身に付ける事の大事さを力説されていました。

あんたは自分の信じた道を行きなさい、それで良いんだ、と力強い言葉をいただきました。

これらの言葉は勿論、私個人に手向けの言葉として言われたのではなく、これからの世代全体