高齢者の終末期、ターミナル期と我々はどう関わるのか?
非常に繊細で触れるのが難しい分野であることは百も承知で、私見を書かせていただきます。
一般的に歯医者なんて患者さんの生死、ターミナルには関わらない、歯科が関われるのには限界がある、と考えられている、と思います。
...私自身もかつてはそう考えていました。
しかし、開業前に特老に毎週往診に出掛け、更にその後開業し、インプラント治療始めとする先端領域の外科治療を主にするようになり、色々な経験を積むことによって、そうではないんじゃないか?と考えるようになりました。
逆に、我々こそが最後の時にまで関われるんじゃないか、患者さん自身にここまで生きて来て良かった、と思っていただける関わり合い、ただ命があるだけの人生ではない生き方をサポート出来るんじゃないか、と言う考え方をするようになって来ました。
失礼な言い方になってしまうのかも知れないのですが、往診し続けて感じたのは、これは完全な敗戦処理だな、と強く感じさせられました。
そこで診る高齢者の現実、口腔内の状態。
何故こんなことになって、どうして?と思わされることを沢山沢山見て来ました。
又、胃瘻設置等で寝た切りで、人の形をしていない、為せなくなってしまわれた”異形”の生命体になってしまわれている高齢者も見てしまいました。
何故?どうして?ご本人はどう思い、どう感じられているんだろう?何とも言えない重い重い苦い苦い重石を呑み込まさせられた感じを抱きました。
ご家族の方はこれで良かった、と思っておられるんだろうか?とも思ってしまいました。
それは、失礼な指摘になるかと思いますが、年金給付あてにする、と言う悲しい、残念な事実とかもあったりしたからです。
そして、何より、私自身総義歯の神様の1人、名人と呼ばれた師匠から免許皆伝まで授けられた義歯治療、引いては高齢者治療のエキスパートの自負がかなりあったにも関わず、実態は歯が立たなかった、と言う忸怩たる思いがあったのも本当のことです。
(これには裏話があって、そのホームには近くに住む、ある著名な総義歯名人の1番弟子と呼ばれた方がお越しになっていたそうで、その方がお越しになっても0.3割しか救えなかったのを、私は3割超える成績上げて、ホームの方々から3割バッターなら一流ですよね、ととても感謝されて励まされた、と言うエピソードが有ります。その話は又別の機会に…)
いずれにしても、生体の生命力と言うか、生きる力がかなり落ちている所からのスタートは、生意気な言い方になるのですが、私ほどの実力を持ってしても半分も救えない、と言う事実はとてもとても重く、私に高齢者医療とは?と考えさせられる大きな切っ掛けになったのです。
(なので、早く残された課題であるそちらに戻りたい、といつも申し上げている通りです。)
それでも、治せた患者さん、寝たきりだったのが身体能力が復活して、起きれるようになり、立てるようになり、仕舞いにはよたよたですが一人ででも歩けるようになった患者さんも何度も経験させていただくことが出来、その時の感動、感激は今も尚、私の胸の中に自分の仕事に対するモチベーションとして強く強く残っています。
そして、私自身の経験で、これは間違いなく患者さん自身が持っている力でしかない、と確信するようになったのです。
私の力で引き戻せたのではない。
天が、神様が、まだこの方に力を残していて下さったんだ、と。
何処にその境界があるのか?私には分からない。
でも、だから、全力で持てる力持ってあたるべきである、と考えるようになりました。
その頃には、勤務医なので、掛かる医療費とか負担とか国の予算とか考えてませんでしたので・・・
そして、開業し当然の如く高齢者も患者さんで来られ、長い方は18年目のお付き合いになる状態になって、その経験の中で、更に考え方が発展、と言うか進化と言うか、深化して行きました。
それは、結論から申し上げるなら、歯科が頑張ると亡くなられる寸前まで患者さんに生き甲斐、生きてて良かったと言うのを味わっていただけるお手伝いを出来る、と言うことです。
異論があられる方がまだ殆どでしょうが、個人的には例え末期癌であっても、我々が頑張るなら、口から食べられること、活きている実感を噛み締められる仕事が出来るんだ、と言うことなんです。
極論と取られるでしょうが、即時荷重インプラントで直ぐに噛めるようにして差し上げて、残りの3ヶ月楽しんでいただく、と言うのが患者さんにとっては生きている実感、命の時間としてとても重要である、と言う考えを持つに到りました。
命が残り少なくなった方は、自分の命の炎が消えて行ってしまう、と言う何とも言えない悲しい、嫌な感触を味わっておられるようです。
ところが、そんな方であっても、即時荷重インプラントは骨と統合し機能するんです。
その反応は、まだ自分は生きている、生きようとしている、と言う実感を味わえる貴重な体験であり、自分の体に自分が励まされる、と言うか生きようとしている力が残っているんだ、と言う嬉しさも味わう希少なことのようなのです。
そ言う経験を何度か積むことによって、私は終末期に我々もどんどん関わるべきである。
最後の最期まで付き合う覚悟を持って、噛める、咀嚼出来る、命が頑張っている、と言う経験をしていただいて、少しでも元気になっていただける、そう言う職種である、と信じられるようになって来ました。
多分、現時点でも相当の極論である、と受け取られるか、と思うのですが、私の指摘は恐らく当たっている、と信じられている自分がいるんです。
10年後20年後になれば、皆そう考えて下される時代が来る。
そう信じ切れているんです。
20年後にはまだ、私はこの世界(即時荷重インプラント+再生療法)にいるかと思うのですが、その後にそう言う世界に望み通りに戻る。
私はそう確信しています。
生涯現役、頑張りまする。