天竜のエリアに通うようになってから、私はこの国の自然渓流に対する興味をうしなった。この国の自然渓流には私をワクワクさせてくれる相手がいないからだ。motivationというよりinsentiveの問題だと思う。
私のランディングネットはフラビルの3673であるが、内径が545ミリある。このネットからはみ出るくらいの魚が私の対子だと決めているので、北海道はさておき、この国の渓流でこのネットが活躍する場所を探す方がむずかしい。釣れたところで30センチあるかないかの魚ではmotivationもあがらない。
郡上八幡の友人が見せてくれたマスの写真は衝撃的だった。腹がでっぷりとして魚体が全体としてふっくらとしていた。今ではサツキマスというが当時彼は単にマスという言葉をつかった。「マスを掛けると飛ばされる(ハリスを切られる)んだ。だからみんな通うんだ」、と。私が大井川の山奥で釣り上げた30センチを越すアマゴとは同じアマゴでも魚体がまるで違っていた。私のは顔が鋭くとがっていて、皮から中の肉が透けて見えるくらいだった。渓流でそんな魚を釣り上げたときは逆に罪悪感を感じてしまうようになった。苦労してここまで大きくなった魚を遊びの相手とすることに罪悪感を感じてしまっては終わりである。
ニコパチ写真を撮ったときに肩幅を越すぐらいのサイズの魚が私の釣り欲を刺激する。渓流でこのサイズの魚に遭遇する機会はまず無いと思う。insentiveの問題だと思う。
私のランディングネットはフラビルの3673であるが、内径が545ミリある。このネットからはみ出るくらいの魚が私の対子だと決めているので、北海道はさておき、この国の渓流でこのネットが活躍する場所を探す方がむずかしい。釣れたところで30センチあるかないかの魚ではmotivationもあがらない。
郡上八幡の友人が見せてくれたマスの写真は衝撃的だった。腹がでっぷりとして魚体が全体としてふっくらとしていた。今ではサツキマスというが当時彼は単にマスという言葉をつかった。「マスを掛けると飛ばされる(ハリスを切られる)んだ。だからみんな通うんだ」、と。私が大井川の山奥で釣り上げた30センチを越すアマゴとは同じアマゴでも魚体がまるで違っていた。私のは顔が鋭くとがっていて、皮から中の肉が透けて見えるくらいだった。渓流でそんな魚を釣り上げたときは逆に罪悪感を感じてしまうようになった。苦労してここまで大きくなった魚を遊びの相手とすることに罪悪感を感じてしまっては終わりである。
ニコパチ写真を撮ったときに肩幅を越すぐらいのサイズの魚が私の釣り欲を刺激する。渓流でこのサイズの魚に遭遇する機会はまず無いと思う。insentiveの問題だと思う。