「日本は社会がしっかりしているから、政治が貧困なままでいられる。日本の政治家は国民に甘えている」これは米コロンビア大学のカーティス教授講演の一部だ。4月下旬にカン総理と谷垣総裁に会ったそうだ「会議が多すぎ、政治のリーダーシップが見えない。菅首相は権限をどう委任するかが、判っていない」確かに正鵠をいているが空きカン自身が持って生まれた欠陥であって言われて直るものじゃない。本人はアジテーターが政治家だとカン違いして半世紀、大衆を煽動して政府の欠点を鵜の目鷹の目で探して論(あげつら)って大騒ぎして如何に現政府の無能振りを喧伝するのが政治家の本分だと心得ていたのが権力の頂点ノボッタのだから当然だ。会議をドンドン作ったり補佐官、参与をやたらに増やすのは本人が知見がない上自信喪失での対策だ。権限委譲など判る筈がない、人に使われた経験もなければ使った経験もない、議員になったら権力を握ったから気に入らぬと思い通り行かぬと怒鳴りまくるからイラカンの通称が生まれた。パフォーマンス目的で福島原発の見物を自衛隊ヘリで行った時東電の吉田所長に対して怒鳴りまくったそうだ。一方谷垣総裁には「カン首相がダメだという必要はない。それは国民がいずれ判断することだ。むしろ建設的な提言をすべきだ」と話したが聞くも耳持たぬのがカンカラだから提言は無駄。予算委でも塩崎議員が良心から「原発を推進してきた自民党にも責任がある」と言った途端さァ待っていましたとばかりスッカラカン「長く与党にいて政権を握っていて『安い原発、安全な原発』と言ってきた神話が崩れた、と自ら認めたという事だ」すかさず反撃、己の責任は頬被り他人の責任を論う野党時代から使い慣れた手法だから『水を得た魚のよう』に原稿なしで喋れる。カーティス氏が言うように何れ国民が判断するか甚だ疑問だ。バら撒きを変節ヨサノがイミジクモ表現した毛鉤を思い切り呑み込んじゃった。今頃になって掛った部分のみならず全身が痛くてゲーゲーやっている。毛鉤と表現したヨサノがこれまたアホウカンの一本釣りに引っ掛かったのは漫画家が描く以上の漫画だ。カーティス殿余り買い被らぬ方がいいかも知れぬ。写真はスイレン