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『ペンギンの島』

2007年04月23日 | 読書日記ーフランス
アナトール・フランス 近藤矩子訳
「新集 世界の文学23」(中央公論社)


《あらすじ》
悪魔に謀られて海を漂流した聖マエールは、辿り着いたある島で、小柄で大人しい人々に出会う。聖マエールは、その見たところ何の信仰も持たず素朴な未開の人々に洗礼を施す。しかし、聖マエールは老齢と疲労のために目がよく見えていなかった。彼が洗礼を施したのは、人ではなくペンギンであったのだ。
洗礼を受けたペンギン人の古代から未来までを描く。


《この一文》
” そこでオブニュビル(ぼんやり)博士は頭を抱え、苦々しく考えた。
 「結局、富と文明も、貧困や野蛮と同じだけ戦争の原因をはらんでいるのであってみれば、人間の狂気も悪意もついにいえることがないのであってみれば、遂行すべき正しい行為は、ただ一つあるのみだ。賢者はこの惑星を爆破するに足るだけのダイナマイトを積むがよい。この地球が粉微塵になって虚空に散るとき、宇宙はほんの少しばかり、ましなものとなり、宇宙の良心にはいささかの満足がもたらされるだろう。もっとも、宇宙の良心なんて、もともとありはしないのだが」
   ―――「第四の書 近代―――トランコ」 より   ”


”そしてまた、疑う能力は結局めったにないものだからである。きわめて少数の人間のみが、この能力の萌芽を蔵しているが、これは養い育てることなしには成長しない。この能力は独得であり、精妙であり、哲学的であり、反道徳的であり、超越的であり、怪物的であり、悪意にみちており、人格、財産にとって有害であり、国家の秩序、帝国の繁栄に反するものであり、人類に害毒を流すものであり、神々を毀つものであり、天においても地においても忌み嫌われるものであるのだ。
   ―――「第六の書 近代―――八万束の秣(まぐさ)事件」 より  ”






ついに読了です。
このような壮絶な物語が埋もれてしまっているというのは、実に惜しいことです。絶版だなんて、あんまりですね。こんなにも面白いというのに。


さて、物語はペンギン人の歴史を語るという体裁をとって進みます。古代に洗礼を受けたところから始まり、中世、近代、そして未来という時代に、ペンギン人はいかにして生きたのかがユーモアを交えながら風刺的に描かれていました。正直なところ、アナトール・フランスがこんなに面白い人だったとは思いませんでした。どちらかと言うと真面目なイメージがあったので、驚かされました。実に面白い。
あとがきには、フランスはヴォルテールの流れを汲んでいるという解説がありましたが、なるほど納得です。ただ面白いだけではありません。


私が特に転げ回りたいほどに面白いと思ったのは、物語の始めの部分であるペンギンたちが洗礼を受けるところです。お年寄りの聖マエールがいちいち面白い。そして、ペンギンという「救われるべき魂を持たぬ存在」に対して、聖マエールが洗礼を授けてしまったことをめぐって、天界は大騒ぎになります。神様とそれを取り囲む聖人の面々の繰り広げる会議が、猛烈に面白い。ああ、面白い! 神様の人格(神格と言うべきか)がかなり大雑把な感じで最高でした。

そうやってペンギン人の歴史が始まり、それに続く神話的時代の物語もまた、かなり興味深かったです。後世に《聖女》として祀られている女の、その《聖女伝説》はいかにして仕組まれていったのかをとても魅力的に語っていました。伝説というのは、もともとはまあこんなものだったのだろうなあということを考えさせられます。

さらに時代は下り、ダンテを揶揄するがこときある僧侶の《冥界くだり》の章も、私には興味津々でした。かねてから私は、ヨーロッパのキリスト教世界の人々の間では、ギリシア・ローマ時代の神様とキリスト教の神とは、一体どういう関係になっていのかしらと疑問に思っていたのですが、この章を読むと少しなるほどと思わされました。そうだったのかー。ふうむ。


このように、物語の前半は皮肉のなかにも笑いが多く含まれているので、とても楽しく読むことができるのですが、後半になって時代が進めば進むほど、世界はどんどんと暗さを増していきます。

政治的策略と戦争の時代。そして、極度に工業化した資本主義社会における人間の暴力と崩壊に行き着かざるを得ない絶望的未来世界。人間の欲望の際限のなさ、果てもない愚かさ、哀しみが充ち溢れています。特に、未来の世の中の描写は、まさに我々の現代をかなりの部分で言い当てているので、それがまた悲しい。前から分かっていたことを、やはり避けられない人間というのは、単純で哀れな生き物であるように思えて仕方がありませんでした。滅入ります。しかし、物語の結末は単に暗い予感を表しているのみならず、そこには何か肯定的なものがないと言えないこともないようです。


読み終えて凄かったと思うのは、語られる時代ごとにその時代の雰囲気がぴったりと表現されていることでしょうか。それゆえに、章ごとにバラバラに読んだとしても、それぞれがひとつの物語としても十分に魅力的です。それでいて、もちろんそれぞれの物語は一続きにきちんと繋がってもいるのです。そんなのは当たり前のことかもしれませんが、凄い。圧倒的です。


「救われるべき魂を持たぬ存在」であるのは、ほんとうにペンギンだけであるのか。ペンギンとは何を指しているのか。考えなくても分かりそうなものですが、その問題のみならず、色々なことをもっと深く考えることを強いられるような深くて広い物語でありました。物語のところどころに、あまりに鋭い意見が述べられているので、私はいったいどこを引用しようかと迷いに迷いました。きっと将来、何度読み返してみてもその度に、「あ、これは」というような文章に出くわすだろう予感がきっぱりとあるのでした。



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