セネカ 茂手木元蔵訳(岩波文庫)
《内容》
セネカ(前4頃-後65)はローマ帝政の初期というひどく剣呑な時代に生きた。事実、かつての教え子ネロ帝から謀反に加担したと疑われ、自殺を命じられるのである。良く生きれば人生は十分に長いと説く表題作、併収の『心の平静について』『幸福な人生について』のいずれもが人生の苦境にたちむかうストア哲学の英知に満ちている。
《この一文》
“多数の人々が次のように言うのを聞くことがあろう。「私は五十歳から暇な生活に退こう。六十歳になれば公務から解放されるだろう。」では、おたずねしたいが、君は長生きするという保証でも得ているのか。君の計画どおりに事が運ぶのを一体誰が許してくれるのか。”
“髪が白いとか皺が寄っているといっても、その人が長く生きたと考える理由にはならない。長く生きたのではなく、長く「有った」にすぎない。”
“時間は無形なものであり、肉眼には映らないから、人々はそれを見失ってしまう。それゆえにまた、最も安価なものと評価される。それどころか、時間はほとんど無価値なものであるとされる。 ”
“われわれがひどい恩知らずでないかぎり、かの聖なる見識を築いてくれた最もすぐれた人たちは、われわれのために生まれたのであり、われわれのために人生を用意してくれた人々であることを知るであろう。他人の苦労のおかげでわれわれは、闇の中から光の中へ掘り出された最も美しいものへと運ばれる。 ”
“われわれがよく言うように、どんな両親を引き当てようとも、それはわれわれの力でどうすることもできなかったことで、偶然によって人間に与えられたものである。とはいえ、われわれは自己の裁量で、誰の子にでも生まれることができる。そこには最もすぐれた天才たちの家庭が幾つかある。そのどれでも、君が養子に入れてもらいたい家庭を選ぶがよい。君は単に養家の名を継ぐばかりではなく、その財産をも、つまり汚なく、けちけちして守る必要のない財産をも継ぐであろう。この財産は多くの人に分け与えれば与えるほど、いよいよ増えていくであろう。彼らは君に永遠への道を教えてくれ、誰もそこから引き下ろされない場所に君を持ち上げてくれるであろう。これは死滅すべき人生を引き延ばす、いなそれを不滅に転ずる唯一の方法である。(中略)しかるに、英知によって永遠化されたものは、時を経ても害されることはない。いかなる時代もそれを滅ぼさないであろうし、減らしもしないであろう。次に続く時代も、更にその次の時代も、常にそれらのものに尊敬の念を強めて行くであろう。”
“誰彼を問わず、およそ多忙の人の状態は惨めであるが、なかんずく最も惨めな者といえば、自分自身の用事でもないことに苦労したり、他人の眠りに合わせて眠ったり、他人の歩調に合わせて歩き回ったり、何よりもいちばん自由であるべき愛と憎とを命令されて行う者たちである。”
さて、いかがでしょうか。
とてもすべてを引用しきれないほどに的確な意見が目白押しです。日頃から怠惰に漫然と存在している私などは、セネカ先生のお言葉の前にあわれにも震え上がっております。
セネカ先生、どうかお赦しを! 私は愚かにもずいぶんの時をただ流れるままに過ごしてしまいました。うぅ、これからは人類のために役立つような生き方を目指します! ああ、どうかお赦しください……!
などと、単純な私はあっさり感化されてワーワーと喚いておりました。太字のところは特に感銘を受けた部分。まったくその通りであります。偉大な先人のおかげで、我々の繁栄があるのです。
セネカ先生、先生の時代から2000年を経ましたが、人類はどうですか? いまだに私たちは(というか私は)自らに与えられた時の価値を知らず、人類のためと言うよりはただ経済のために、それを安値で売りに出してしまっております。私はただ経済のために…たかが経済のために、明日終わるかもしれぬ時間を無為に費やしておりました。やはりもっと人類のためになる仕事をしなければ………。
と、盛大に感激する私は、この後まさかそんなことになろうとは
このときは露ほども思っていなかったのであった……。
(というわけで、以下次回『心の平静について』に続く――)
ほんと、お金と時間の問題は難しいですよね。私も毎日毎日頭を悩ませているのですが、なかなか解決できません(それこそ時間の無駄;)。
頼りになるのは、自分。というのには私も賛成です。身に付けた知識や技術、あるいは沸き上がる好奇心や情熱というものには、維持費もかからない上に、しかも人を生かしますものね。暮らしが成り立てばそれでよいわけですから、必要以上に経済の奴隷になることだけは避けたいところです…。だが、それがムズカシー!