”ーーすると突然、郷愁が彼の胸をはげしい苦痛でゆり動かした。
そのために彼は思わず知らず暗闇のなかへあとしざりして、自分
の顔のひきつるのをだれにも見られまいとした。”
「トーニオ・クレーガー」
トーマス・マン 佐藤晃一訳 河出書房『世界文学全集32』所収
明るくて、鋼のように青い目をして、金髪で、純潔と明朗と快活との印象、ほこらしげであると同時に単純で、取りつきようもなく澄ましているという印象を与えるハンスとインゲボルグの姿を間近に目にして、思わず暗闇へ引き下がってしまうトニオ・クレーガーのこの場面。芥川龍之介の『河童』で、芸術家で超人的恋愛家のトックがある家庭の団欒を窓の外の暗がりから覗き込む場面と同様に、私に強烈な印象を与えて、どうしてもどうしても忘れることができない場面のひとつです。
私はこれらの場面を読んで以来忘れたことはありませんが、このところ特に頻繁に心に浮かんでくるようになりました。おそらく、これが私の新しいテーマとなりうるのでしょう。
ずっと自分をトニオやトックと同じで、明るく暖かいところに激しく憧れながらも決してその中へすすんで入れるような人間ではないと私は思っていましたが、そうではなかったのかもしれない。実際には私はずっと暖かくて単純で明るいところに属していたのかもしれない。なぜなら思い返せば私はいつもそう不幸ではなかったし、客観的に見ても暖かい環境に恵まれていたと言えるし、今も本当の孤独の悲しみを知っているとは言えないから。しかしもし本当にハンスやインゲボルグとすっかり同じ場所にいたなら、自分を暗がりに属する人間だと想像することさえなかっただろうことを思えば、少なくとも、明るいところと暗いところ、どっちつかずの場所にいたのじゃないかとは言えそうだ。
今、私ははじめて明るくて暖かい場所を作ることを目指していますし、これからはそうあるべきだと思っています。と同時にやはり明るく眩しい場所に立つことには気恥ずかしさに似た感情を抱いてしまいますし、そうであるからにはその理由を考えるべきであり、暗がりへの想像力、暗がりはすぐそこに存在するという意識を常に持つべきなのかなとも思います。トニオは物語の終わりでこう言います。「私は二つの世界のあいだに立っています。どちらの世界にも安住していません。」これに続く言葉がとても興味深いのですが、いまのところ私にはまだ深く理解することができないようなので、いずれじっくり考えることにしましょう。私は結局はトニオとは違う種類の人間であるかもしれませんが、やっぱり彼のように迷いながらでなければ歩けない種類の人間ではあります。どんなに正しい道が目の前にのびていたとしても、迷ってしまう。迷わずに歩くことはできない。
私にはこれが精一杯なのだけれども、二つの世界のあいだを迷いながら歩いていくことを、あなたがたは許してくださるだろうか。迷いながら愛するから、どうかここから何かよいものが生み出されますように。
“悲劇的な姿も、滑稽な姿も、同時にその両方でもあるような
姿もいます、ーーそしてわたしはこの両方をかねたものが非
常に好きなのです。しかし、わたしの最も深くてもっともひ
そかな愛は、金髪の青い目の人たち、明るくて生き生きとし
た人たち、幸福で愛らしい普通の人たちに寄せられているの
です。
どうかこの愛をおとがめにならないでください、リザヴェ
ータさん。これはよいもので、生産的なものです。そのなか
にはあこがれと、憂鬱なそねみと、わずかばかりの軽蔑と、
あふれるばかりの純潔な幸福とが宿っているのです。 ”
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