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植物の季節

2010年05月19日 | もやもや日記





急激に緑が増えてくるのを実感できる季節です。花は咲き乱れ、あちらでもこちらでも、木の葉も草の葉も、わさわさと茂ってきています。どこからともなく草を刈った後のような匂いが漂ってきて、実に心地よい季節です。…晴れてさえいれば! あー、湿気は憂鬱だ。



それにしても、昨日、今日と、横浜はとても風が強いです。横浜だけが強風に見舞われているのでしょうか、それとももっと広範囲で風が強いのでしょうか。気のせいか、横浜は風の強い日が多いように感じます。

私は今、久しぶりにマンガを描き始めたところなのですが、こないだ洗濯物を干そうと思ってベランダの戸を開けたら、不覚にも指を挟んでしまいました。あまりの痛さに一瞬何が起ったのか分かりませんでした。「………!!」思わぬ流血の惨事となりましたが、利き手の損傷もさほど大事には至らず、今日も地道に描いています。とりあえず、はやく仕上げたい。


眼が疲れたら、近所の樹々でも眺めに行こうかと思います。
でも、風が強いんだよな~~(/o\;)





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『セブンデイズ』

2010年05月18日 | 読書日記ー漫画

原作:橘紅緒 作画:宝井理人(大洋図書)



《あらすじ》
高校三年の篠弓弦は、月曜日の朝、弓道部の後輩である芹生冬至と校門で出逢う。学年を問わず女生徒に人気の芹生は、月曜日の一番最初に告白してきた相手と必ずつきあい、週末に必ず別れると噂されている。一週間限定の恋人――。弓弦の軽い気持ちから出た一言で、付き合うことになったふたりだが……


《この一文》
“ …なんか
 見た目と違うんだよなぁ
 この人         ”



漫画を読む時にも、作法というか、よりその作品を面白く味わうための最良の読み方というものがあるのではないかと考えさせられた作品です。
ここには、恋愛関係に踏み出そうとするふたりの高校生の1週間が描かれていて、月曜から始まって日曜日まで、日ごとに章が分かれています。また、7日間の物語を、作者は3年近くという長い時間をかけて連載したらしいことが下巻の途中に作者のコメントとして書かれていました。3年! そ、それは凄い! 確かに作品の最初と最後では、絵柄が微妙に違います。明らかに上手になっています。しかし3年間とは、雑誌で読んでいた人はジリジリして堪らなかったでしょうね; よかったー、私はコミックスで一気に読めて!

しかし、このお話ではその「ジリジリ感」を味わうことも醍醐味のひとつであろうと感じた私は、最初(の数回は)一息に最後まで読んだ後、次は「月曜には、月曜日のお話の分だけ読む!」という決まりを自らに科し、改めて一週間かけてこの『セブンデイズ』を読み直すことにしました。その方がより一層楽しめるのではないかという期待があったのです。我ながら、すごく貪欲です。

というわけで、続きがあるのにそれを読まないでおくというのは私にはかなりの苦行でしたが、しかし「一日に一日分作戦」はかなり効果的でした。すごく楽しめました。時々、単行本で一気に読むよりも雑誌連載で少しずつ焦らされながら読んだ方が面白い漫画というのがありますが、これもその種の漫画だったかもしれません。ま、とにかく、面白かったです。じっくりと味わうことができたので、その後は心置きなくリピート読みに入ることができました。読み過ぎ!




「見た目で勝手に判断しないで、本来の自分の姿を受け入れてくれる誰か」を求めている篠くんと、「心から想い、想われる関係を築くことのできる誰か」を求める芹生くんのお話。ふたりとも凄い美形なので、女の子には大人気。でも誰と付き合っても、どうにも本気になれないでいる。
篠くんは「(わりと大雑把で粗暴な)性格が、(繊細そうな)見た目から想像していたのとは違った」と言われるのにうんざりしているし、芹生くんは(この人は私はちょっと難しかったのですが、たぶん)「本気になりたいのに、本気になれる人が見つからない」、「心から自分を好きになってくれる人が欲しいけど、それ以上に自分がその人を本気で好きになりたい」のに、そうなれないことにガックリきているようです。

月曜日には互いのことをほとんど何も知らなかった両者が、少しずつ相手の「意外な面」に気づき、それに心が魅かれてゆく様子が描かれてありました。「意外性」ということが大事だったのではないかと私は思い返します。「付き合ってよ」という篠くんの問いかけに「いいよ」とあっさり答える芹生くん。ふたりの関係の始まりは極めて軽いものでしたが、お互いに抱いていた相手のイメージは交際することで少しずつ崩れていき、時々ちらっと姿を現す相手のその意外な部分にこそ自分の求めているものが隠されているのではないかと、二人は次第に真剣になっていきます。

表面的な印象を突破して、もっと深いところまで。
相手を深く知ることで好意が生まれるのか、好きだからもっと知りたくなるのか。どちらが先なのかは分かりませんが、「もっと知りたい」という、対象に向って真っすぐに進もうとする衝動は、なにか美しいもののように私には思えます。その一方で、知りたいのに分からなかったり、聞けば教えてもらえるかもしれないことを聞くだけの勇気を持てずに悩んだり、真っすぐに進みたいのについ立ち止まってしまう気持ちも、私にはよく分かります。
自分の感情も、相手の感情も、どちらも計りかねてしまう。分からなくて持て余してしまうようなそういう気持ちは、恋愛に限らずさまざまな人間関係の上にもしばしば沸き起こってくるものですよね。恋人でも友人でも家族でもまた別の関係でも、人と付き合うのは難しい。

けれども、人と付き合うのが難しいからこそ、自分の言おうとすることが相手に伝わった時のあの衝撃的な喜びがあるというものです。不完全なままの自分に興味や好意を持ってくれる人、自分の真剣さに同じような真剣さを返してくれる人に巡りあった時の、あの衝撃的な喜びがあるというものです。そう感じたのは自分の誤解だったんじゃないかと絶えず悩み疑いながらも、私たちはその喜びの味を忘れられなくて頑張ってしまうのかもしれません。


「自分のことを分かって欲しい」という思いと、「相手のことをもっと分かりたい」という思いと、両方に対して出来る限り誠実でありたいものだと思わされる作品でした。やっぱりそれが近道なのではないかと。どこまで行っても辿り着けないかもしれないけれど、やっぱりそれが近道なのではないかと思います。結局は辿り着かなくても、その過程で得られる喜びは、分からないことからもたらされる苦しみよりもずっと多大なものとなるんじゃないかと私は思いました。


ちなみに、この『セブンデイズ』はジャンルとしてはBLの名作として分類されるかもしれませんが、主人公の篠くんと芹生くんはふたりともお人形のように美しい上に、ストーリーについても恋愛初期のもどかしさをひたすらに描いたものなので、とくにジャンルを問わずに多くの人が楽しめる作品なのではないかと思います。面白かったです。
あ、でも、芹生くんがずっと想いを寄せていた「紫乃さん」という女性(芹生くんのお兄さんの恋人)には、私は正直ちょっとイラッとさせられました。天真爛漫と言えば聞こえはいいかもしれませんが、奔放にも限度はありますよね。芹生くんは篠くんを選んで正解だったと言えるでしょう。それにしても、お兄さんの「夏生さん」は「芹生夏生」というのか。「紫乃さん&夏生さん」のカップルもいろいろと問題を抱えていそうな感じが本筋の脇にチラチラと描き込まれていましたが、端から見ると「どこがいいのか分からん」というのもまた人間関係の面白さのひとつということなのでしょう。うむ。


少しずつ、ストーリーに合わせて1日分ずつ読み進めるのがおすすめです。ジリジリするような、あの気分が味わえます。良作!





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りくろーおじさんのチーズケーキ

2010年05月16日 | もやもや日記

フカフカ(´∀`*)



お土産にもらったスフレチーズケーキ。
大阪土産です。

私はこの「りくろーおじさんのチーズケーキ」が大好きで、大阪に住んでいたころは、それはもうよく食べていたものでした。難波や梅田などに小さな店舗があるのですが、お店の前ではいつも行列してるんですよねー。焼き立てのチーズケーキは、ほんとうに泡のような口溶けで、それはそれは美味しいのですが、私は冷めてからのも好きです。レーズンが入ってるのがいいんですよね。


上の写真ではわかりにくいですが、このチーズケーキの直径は18cmと、結構大きめです。1個あたりのお値段は、588円。安い!! そして、旨い! ということで、私は実家に帰省するときなんかも何度か買って帰ったことがあります。好評でしたよ。

この手のフカフカフワフワでしかも大きなサイズのスフレチーズケーキは、意外と探しても見つからなくて、関東へ来てからはまだ食べたことがありません。なので、このお土産は嬉しかったです。
私にとって大阪の味のひとつを、久しぶりに味わえましたウメー!




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気がつけば 2000日

2010年05月15日 | もやもや日記

ん?
gooブログの編集画面をよくみると、
……開設から2000日が経過していた!




数日前から、「あとちょっとで2000日達成だなー」と思って見ていたのですが、本日いよいよその日を迎えました。うーむ、我ながらよく続けたものです。粘着!

しかし、ブログの開設から2000日とは言っても、アップした記事の総数はと言うと、この記事を含めて[1267件]です。あれ、頻繁に更新していたつもりでしたが、あまり高い割合とは言えませんね。頑張って毎日のように更新したいところです。でも、毎日更新するためにあんまりくだらないことばかり書くのは憚られますしね(←現状、全然憚ってないように見えますけども;)。

うーん。悩むところですね。とりあえずこれからは、読むに値するようなものを、書き残すに値するようなものを、力を振り絞って書いていけるといいなーと思います。…頑張らないと(/o\)!



そんなことを言いつつ、その舌の根も乾かぬうちに本日もどうでもよいことを書いてしまいました。えへへ。
しかしながら、私が長くこのブログを続けられているのも、ひとえに読んで下さる方々のおかげでございます。キリのよいところですので、日頃の感謝の気持ちをみなさまにお伝えしたいと思います。
いつもどうもありがとうございます!



というわけで、これからもまだまだ続けるつもりです。
実のある文章を目ざして頑張りたいと思いますので、今後ともよろしくどうぞ☆





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祝!『バラバ』重版再開

2010年05月14日 | 読書日記ーラーゲルクヴィスト

私という人間を変えた
忘れがたい小説『バラバ』




さっき岩波のHPを見たら、ラーゲルクヴィストの『バラバ』がようやく重版再開となっておりました! しかも本日 5/14(金)から! めでたい! 今日は記事がふたつになってしまいましたが、急いでお知らせということで。


ようやく重版になりましたね。よかった、よかった。これまで読みたかったけれども手に入らなかったので読めなかったという方は、今のうちにお買い求めになるとよろしいのではないでしょうか。私はもう持っているのですが、だいぶボロくなってきたので、新しく買い直そうかと思います。本屋に行かないと!!


 →→ 岩波書店:今月の復刊




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マンガ描きたい病

2010年05月14日 | 自作まんが

実業家ウーノ氏(ラッコ)とネコ





最近はあまり【マンガ描きたい病】の症状が出て来なくて、すっかり創造力を失っている私です。下書きはいくつか積んであるんだけどなー。どうも清書する気がおきません。というか、マンガを描きたい気持ちだけでなく、色々なことに取り組もうという気持ちが全般的に落ち込んでいます。集中力皆無です。なにこの無気力症候群は……。ま、でもそのうちに出てくるか。うん。


さて、そもそも私は面白いと思うことがあってもその場でメモを取ったりしないものですから、ネタになりそうな物事はどんどん忘却の彼方へ追いやられていってます(/o\) モッタイナ~イ!

しかし、昨日はK氏の話す内容が面白かったので、マンガのネタにしようと久々に奮起して、軽く下絵を作ってみました。
途中で眠くなってきたので「あとはヨロ!」と言ってK氏にお願いしてみたところ(←すごいムチャ振り;)、K氏はマジで数コマ分を描いておいてくれました。おお!

上の画像、右端が私の下絵、真ん中と左がK氏の描いたものです。K氏は滅多に絵なんて描かない人なのですが、たまに描いてくれるものはいずれも奇妙に味わいがあるのです。私にはどうやっても絞り出せない魅力があって、正直悔しい…(^_^;) 清書することができたら、このK氏の下絵のオトボケ感も再現したいものです(って、私の絵もたいがいマヌケですが、それとは違った親しみやすい雰囲気があるんですよね)。



というわけで私は、普段からK氏には沢山のネタを提供してもらっているのですが、そのネタで実際にマンガを清書するに至ったことはほとんどありません(下書きのまま放置、が多数)。私のマンガは描いても描かなくてもどっちでも良いものばかりなのですが、描けばそれなりにK氏は喜んでくれそうなので、そろそろ清書しようかな。短いものから取りかかるか。アレとか4ページだし、いいかも。うん、そうしよう!


まず、やる気を絞り出したい今日この頃――。



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本日の名場面:『パタリロ!』より

2010年05月13日 | 読書日記ー漫画



……スイス銀行! ぶはっ






たまに文庫版の『パタリロ!』を読み返しているのですが、こういう(↑)さり気ない1コマが実に面白いんですよね(上の画像は文庫版 第20巻収録の一場面)。うーん、素晴らしいなぁ。

『パタリロ!』は登場人物も魅力的ですしね。主人公のパタリロはもちろん、バンコラン、マライヒ、ヒューイット、タマネギ部隊の面々、間者猫やスーパーキャット。いずれも味わい深いキャラクターばかりです。
また、ストーリーについても、推理物からSF、サスペンスにロマンス、落語風のものまで幅広く楽しめます。なかなか凄い。

大昔にアニメ化もされていて、私は子供の頃、夕飯を食べながら家族で見ていたような記憶がおぼろげにありますが、バンコランと愛人マライヒの同性愛の場面などは原作に忠実に再現されていて、今思うと子供向けにしては結構大胆な内容をあの時間に正々堂々と放送していたというのは凄いなぁとしみじみと思うのでありました。
アニメと言えば、クックロビン音頭は名作ですよね。というか、あの頃のアニメのテーマ曲というのは、今と違ってオリジナル曲がほとんどだったと思われますが、何気に名曲が多いですよね。『うる星やつら』の初期のOPとかも可愛すぎますし。これは単に私の懐古趣味というわけではないと思うのですが、いかがでしょう。


というわけで、私は漫画読みたい病を発症してしまった時なんかには、『パタリロ!』の文庫版を飽きることなく読み返しています。23巻くらいまでがんばって集めました。
それにしても、スーパーキャットは可愛いよなぁ! あと、『ガラスの仮面』のパロディの回が、文庫版21巻に収録されていましたが、マヤに扮したパタリロの肉まんっぷりが大爆笑を誘発して私は大変な目に合いました。

  はあ はあ ! 笑い死ぬ!


うーむ、面白い。絵も綺麗だし、『パタリロ!」は、たまにもの凄く読みたくなってしまう漫画のひとつです。





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「黄金の脳みそを持った男の話」

2010年05月12日 | 読書日記ーフランス

ドーデー
*『風車小屋だより』(岩波文庫)
*『ふらんす幻想短篇 精華集』(透土社)



《あらすじ》
主人公は黄金の脳を持って生まれ、それを気前良く周囲の人間に分け与えたり、切り売りしたり、時には信頼していた人間から強奪されたりして、少しずつすり減らしながら生きていくのだが――。


《この一文》
夢のような話に見えますが、この物語りは一から十まで本当なのです…… 世の中には脳髄(あたま)で生活することを余儀なくされ、人生の最もつまらないもののために、見事な純金、自分の精髄で支払いをしている憐れな人たちがいます。これは彼らにとっては日ごとの悩みです。しかもやがてその苦しみに疲れた挙句には…… ”

 ――「黄金の脳みそを持った男の話」
   (ドーデー『風車小屋だより』岩波文庫 所収)




「黄金の脳みそを持った男の話」は、私が読んだ唯一のドーデーによる物語。すごく面白い。


ドーデーは意外と面白い人なんですね。私はこの間(2年くらい前?)ようやくその事実に気がついたわけですが、まだろくに作品を読んでいません。『風車小屋だより』もまだ全部は読んでいません。しかし、この「黄金の脳みそを持った男の話」は猛烈に面白いですよ。

上に引用したのは岩波文庫の『風車小屋だより』の中に収められているものですが、『ふらんす幻想短篇 精華集』(透土社)というアンソロジーには「黄金の…」の初出の作品が入っていて、そちらは物語の内容や雰囲気が『風車小屋だより』のものとは違っています。しかし設定や構造、描写に違いはありますが、両者のあらすじはほとんど一緒と言えますね。


主人公は黄金の脳を持って生まれますが、それを気前良く周囲の人間に分け与えたり、切り売りしたり、時には信頼していた人間から強奪されたりして、少しずつすり減らしながら生きていきます。


このお話で描かれているのは、黄金の脳=輝かしい知性と才能とを持って生まれてきた芸術家や作家の姿であるようですが、彼らがその宝を損ねずに、その宝の輝きを一層増すように生きるためには、何がどうであったら良いのでしょうか。彼と、彼の周囲の人々は、彼の能力を酷使したりその成果を略奪したり、ついには食いつぶしてしまう以外に、どうだったら良いのでしょうか。

思うに、芸術家や作家に限らず、人が社会に生きていこうとするときには誰もが何かしら自分の生まれ持ったものを切り売りし、その対価として得たものによって暮らしを立てていると思うのですが、自分では切り売りしているつもりが実はただ無闇にそれを垂れ流していただけで、返ってくるものや手もとに残るものはほとんどなかったのだということに気がついたとき、いったいその人はどうなってしまうのでしょう。恐ろしいことですね。社会に生きるというのは、難しいものなんだなぁ。垂れ流そうが立ち尽くそうが、別に人生はそんなふうで構わないものなのかもしれないけれど、でも悲しいなぁ、世の中は悲しい。




『ふらんす幻想短篇 精華集』(透土社)の「黄金の脳みそをもった男」の結末も私は好きなので、引用しておきたいと思います。あれこれと考えさせられます。私には何も良い手が思いつきませんけれども、いつかは誰か黄金の脳みそを活用できる誰かが、うまい手をひらめいてほしいものだと思います。


私に与えられたこのすばらしい富について考えてみると、悔いることしきりでした。今後は、もうほんの些細なかけらさえ残っていず、再び手にすることもないでしょう。脳の中の金を少しずつ切り売りして、失わせるにいたったこれまでの出来事のひとつひとつを、私の宝のかけらを残してきた人生の節々を思い起こしました。(中略)これからどうするのか? 何をすればよいのか? 救済施設で死に果てるのか、それとも、どこかの小間物屋の、たとえば『銀の糸巻き』屋の使い走りになるのか。まだ、四十才にもなっていないというのに、将来、私を待ち構えているのはそんなところでしょう。それから、悲嘆にくれ、ありったけの涙をしぼって泣いているうちに、私のように脳に頼って生きている沢山の不幸な人々のことに考えが及びました。財産もなく、自らの知性に助けを求めて生活の資を稼がざるを得ない、芸術家や作家。黄金の脳をもった男の苦悩を知るものは、この世では、私ひとりではないはずだと自分自身にいいきかせるのでした。 ”

 ――アルフォンス・ドーデ「黄金の脳みそをもった男」
  (『ふらんす幻想短篇 精華集』透土社 所収)





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ティファールを買いに

2010年05月11日 | もやもや日記

雨の公園
いつもは大冒険に繰り出しているお子様の群れが
雨の日には見られず





昨日の夜、郵便受けに入れられていたチラシの山のなかに、うちから地下鉄で2駅向うにあるショッピングセンターのものがありました。それによると、取っ手の取れるティファールのお鍋とフライパンのセットが特価になっているらしい……。安い、これは異常に安いな。
私は以前からずっと使い続けていたティファールの鍋をそろそろ買い替えたいと思っていたこともあり、そのショッピングセンターは遠くて行ったことがありませんでしたが、よい機会なのでちょっと出かけてみることにしました。



そして、今朝。
張り切って朝から雨の中を出かけました。雨ですが、地下鉄なら2駅ですし、電車に乗って、目的の駅で降りたら目の前にすぐお店があったので、往路はまったく苦になりませんでした。地下鉄って便利ですね~。でも、欲を言えば、横浜市営地下鉄は初乗り料金がもう少し安くてもよいのではないでしょうか。私鉄の東急線と比べると、割高感がもの凄いのですね。利用状況などを考えると仕方がないのかもしれませんけど。雨だと私は不景気なことばかりを考えてしまいます。


さて、そんなこんなであっという間にお店に到着。開店間もない店内には、お客さんもまだまばらです。私は早速目当てのフライパンセットを探しますが、驚いたことに、売り切れていました。………ぐはっ。

しかし実のところ、このフライパンセットの特価は、もう1週間前から始まっていて今日は最終日だったのです。売り切れていても何も不思議はありません。チラシにもその旨ちゃんと書いてありました。ノロマな私が悪いと言えばそれまでですが、「あらかじめ電話で確認すべきだったか…」という後悔と徒労感がどっと押し寄せるなか、念のためお店の人に聞いてみたら【特価のままで取り寄せ可能】とのこと。というわけで、納品まで1週間かかると言われましたが、ひとまず取り寄せてもらうことにしました。しかしそうなると、うぅ、またここへ来なきゃならないのか……それなら一層わざわざ今日みたいな雨の日に来店することはなかったかな、電話でお願いすればよかったぜ…という思いが湧いてきます。他に買うものも特にないしな……手ぶらで帰るのか(/o\;)



手ぶらで帰るのは癪に触ったので、ここから隣駅の新横浜までを歩いて本屋にでも寄って帰ろうと思い立ちました。で、歩く。この時期の湿度は凄い。寒いと思って上着を着て来たら、汗だくになってしまいました。暑い、湿っぽいと思いながら、鶴見川が流れているのを見下ろしながら大きな橋を渡りました。水がよく流れています。落ちたらえらいこっちゃ。と途端に足が竦む私は高所恐怖症でした。


そして新横浜。意外とすぐに到着しました。本屋で物色しようとしますが、腹が減り過ぎて全然集中できず。しばしウロチョロしただけで退散しました。…いかん、ますます何をしにきたのか分からなくなって来たぞ……。


ここから地下鉄に乗るかどうかで一瞬悩みましたが、あと一駅分しかないので、ついでだから歩くか、と雨なのに、腹も減っているのに(或いはそれゆえに)まともな判断力をも失って私はさらにてくてくと歩き始めてしまいました。うーむ、それにしても今日は本当に湿っぽいなー。

狭い狭い道沿いを歩くと、よその家のお庭に植物が美しく植えられていたりするのですが、すぐ脇を通り過ぎる自動車をよけながら汗だくになって歩く私に、草花を愛でるゆとりは一切ありませんでした。情けなや、情けなや。でも、ある空地にレンゲとシロツメクサが咲き乱れていたのには、ひとときの安らぎを感じました。シロツメクサの葉って、水を弾くんですね。

ひたすら黙々と歩き続けて、どうにか帰宅。朝から大変な目に遭った気分です。結局何をしに行ったんだっけ? まあ、散歩だったと思えばたいしたことはありませんが、雨さえ降っていなけりゃなぁ、もう少し心地よかっただろうに。やれやれ。今日歩いたのは、最寄りの図書館へ行くのと変わらないくらいの距離でした。図書館、遠いぜ……。何と言うか、何をしようとするにも遠出しなくてはならない横浜って(というかうちの近所って)、やっぱちょっと田舎だよなぁ。と、さらにもっと本格的に田舎出身のくせに私は今日もそんな感想を持ちました。というか、雨の日には思考までネガってくるので不快ですね。爽やかにいかないと! えーと、この季節の緑は、雨の日には一層美しいですよね! そうそう、それに雨のせいか公園にもひと気がなくて、快適と言えば快適だったじゃないか!



次は晴れた日を狙って自転車で行ってみようと思います。





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『架空の伝記』

2010年05月10日 | 読書日記ーフランス

マルセル・シュオッブ 大濱甫訳(南柯書局)



《あらすじ》
同時代最大の偉人を綿密に描写したり、過去において最も有名だった人物を描くのではなく、神に近い人であれ、凡人であれ、犯罪者であれ、その人独自の生活を同じ心遣いをもって語った架空の伝記集。


《この一文》
“神々のことはめったに口にせず、神々を気にかけることもなかった。神々が存在するかしないかは大した問題ではなく、神々が彼に対してなにもなし得ないことをよく承知していたのだ。その上、神々が人間の顔を天に向けさせ、四脚で歩く大部分の動物の持つ能力を奪いとり、わざと人間を不幸にしてしまったことを非難していた。生きるために食べなくてはならないように決めた以上、神々は人間の顔を木の根の生える地面に向けさせるべきだった、とクラテースは考えたのだ。人は空気や星を食べるわけにはゆかないのだ。
  ――「犬儒家 クラテース」より ”




人間の一生とはいったい何なのか。誰かの生涯を、別の誰かが語るとはどういうことなのか。世の多くの物語はそもそもこの『架空の伝記』のようなものではないだろうか。物語とはそういうものなのではないだろうか。誰かによって生み出される物語と、誰かによって生きられる人生との間には、実際どのくらいの隔たりがあるのだろうか。私が私を語ることは可能だろうか。あるいは私の人生もまた誰かによって語られる物語となり得るだろうか。

ということなどを考えましたが、どれもまとまりを欠いてただ流れてゆくばかりでした。ただ言えることは、この本はなかなか面白かったということです。


私の好みで判断すると、前半の人々の伝記が面白かったですね。色彩が豊かで美しく、神話のようで。あとに進むにしたがって伝記に描かれた人物が生きる時代もくだっていくのですが、古代においても近代においても、そこで語られる人々の人生はいずれも独特の雰囲気をもって描かれていることに変わりはありません。美しいこともあれば醜いこともあり。そして私には、どうしてだか時代が新しくなるにつれて彼らの生き様には惨めさやそれにともなう悲しみの色が増してくるような気がしました。
ここに描かれた古代の人の最期は、同じ死ぬにしても、どこか人を圧倒するような、偉大な何かを感じさせるところがあります。「犬儒家クラテース」は自らの思想に従って犬のように暮し、犬のように死にました。また宇宙の形相を描こうとした「絵師パオロ・ウッチェルロ」の物語は壮絶な印象を残します。それに対して、海賊に憧れて海賊となった貴族の「気紛れ海賊ステッド・ボニット少佐」などは描写はより具体的になった気がするものの人物の行動のスケールはやや小さくなったようにも思えます。
どうしてでしょう。

同じようなことをアナトール・フランスの『ペンギンの島』を読んだ時にも感じたのを思い出しました。この『架空の伝記』もまた、古代には古代の雰囲気を、近代には近代の雰囲気を持たせて架空の伝記を描いた結果として、読者にこういう印象を与えるのでしょうか。「その時代の文学らしい感じ」は、たしかにそれぞれのお話に感じられます。となると、古代には人間は偉大な人の偉大な様子を書き残したが、近代に至ってようやく凡人の、芸術世界から捨て置かれていた悲しみや惨めさという側面に目を向け、それを描けるようになったということなのでしょうか。分かりませんね、やっぱり私にはまとめられませんね。「序」で作者は、「神に近い人であれ、凡人であれ、犯罪者であれ、その人独自の生活を同じ心遣いをもって」語ると書いてあるように、たしかに「その人独自の生活」はどの物語にも描かれてありました。たぶん私は序文をもう一度注意深く読む必要がありそうです。



面白かったです。でも、一人一人の架空の伝記を面白い面白いと読みながら、次々と読み進むにつれて、その度に前のものを忘れてゆきました。そういう私が、私は少し悲しい。






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