ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:東からの民間、西からの行政

2023年07月23日 | オーストラリア:グレートオーシャンロード

2022年11月のオーストラリア
大陸の南端、ビクトリア州の
海岸線全長243kmを行く、グ
レートオーシャンロードの旅



第1次大戦(1914~18年)の復
員兵約3,000人によって建設
されたグレートオーシャンロ
ードは、ここパットン岬にて
最終段階を迎えたそうです。



その前にグレートオーシャン
ロード建設を率いた2人の立
役者のもう1人の話をしてお
きましょう。1人はジーロン
グ市長のハワード・ヒッチコ
ック
でしたが、もう1人は州
地方道路局初代局長だったウ
ィリアム・カルダーでした。


調べて小躍りしたことに(笑)
カルダーはダニーデン生まれ
のキウイ(NZ人)でした。オタ
ゴ大学出のエンジニアで、N
Zの道路網建設に携わった後
1888年に渡豪。ビクトリア州
の自治体で道路網や水道網の
拡充を図り、国内で初めて道
路のアスファルト化とゴミ焼
却炉の導入を実施しました。

(※1869年開校のNZ最古の大
学、ダニーデンのオタゴ大学)


カルダーの輝かしいキャリア
のピークは1913年からの地方
道路局初代局長時代で、グレ
ートオーシャンロード建設だ
けでなく、州内の高速道路網
建設を進めました。その功績
カルダー・ハイウェイの名
に永遠に刻まれています。地
方道路局モデルは、後に他州
やNZにも導入されました。


カルダーは第1次大戦の開戦
大勢の若者が志願兵として
出兵していく中、資金と建設
作業員不足の板挟みにあいな
がらも、官民から資金を引き
出し計画を推進していく、人
望厚い役人だったようです。


カルダーもまた早くから復員
兵採用を進め、地方道路局は
1919年にはグレートオーシャ
ンロード中央部の要所アポロ
ベイから東のパットン岬への
区間を完成させていました。


つまり、グレートオーシャン
ロードはヒッチコック率いる
民間会社が東から、カルダー
率いる行政当局が西側から建
設を進め、1932年に最終区間
のローンからアポロベイが繋
がり全面開通となりました。


その最終接続地点がパットン
岬だったのです。しかし、カ
ルダーは1928年に、ヒッチコ
ックは1932年11月の全面開通
の3ヵ月前の8月にそれぞれ他
界し、記念式典でのテープカ
ットはかないませんでした。


目の前は「船の墓場」と言わ
れたバス海峡。道路の開通は
どれほど朗報だったことか。




パットン岬からこの日の最終
目的地アポロベイ方面を望む




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« グレートオーシャンロード+... | トップ | グレートオーシャンロード+... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

オーストラリア:グレートオーシャンロード」カテゴリの最新記事