ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ハワイ行:ザ・ピッグ&ザ・レディー

2018年12月09日 | ハワイ:オアフ島

日本を出てからアジア圏で20年暮らしたので、ホノルルの
チャイナタウンの雰囲気はまさに第2のふるさとでした。

私たち夫婦が知り合ったのもシンガポールで、
こんなショップハウスで食事をしたりしていました。
(※元は1階が店舗、2階が住居として建てられたもの)


「おもしろそうだから戻ってこよう
と即決し、

夜はこちら、
ザ・ピッグ&ザ・レディー


チャイナタウンのど真ん中という立地。
意外にも飲食店が少なく、暗い通りに煌々と明かりが灯り

タクシーで乗り付けた人がどんどん入ってきます。


屋台の有名店が常設店を出して大成功したそうで、



白人のハートをわしづかみにしそうなおしゃれなアジアン
こういう感覚はアジアの中でもベトナム系がピカ一では
フランス植民地として鍛えたセンスと商魂なのか?


初ハワイの最後の夜

実り多かった記念すべき旅に乾杯
現地にいながら思い出話に花が咲きました。


お食事は見てのとおりの超フュージョン



ベトナム料理と言われないと



気がつかないレベル(笑)



この真っ黒焦げのシシトウは店からの差し入れ

注文を間違ったようでした。それにしてもな焦げ方(笑)


箸置きがなかったので夫が作ってくれました



ビーフフォー




ブンティットヌンになるのか?
ホタテの冷製混ぜビーフン

ホタテの大きさはさすが北米産
NZでは輸入品以外お目にかかれないサイズ


お勧めされたメレンゲのデザート



店は満席で音楽がガンガンかかって完全に飲み系のノリ
食事よりも飲み重視のお客さんが詰めかけているよう。


私たちは飲みよりも、完全な食事重視なので
再訪ナシ即決でしたが(←正直
これも旅の思い出ということで(笑)

逆に「いつかお気に入りのベトナム料理を見つけよう」と
闘志メラメラ


夜のチャイナタウンは昼にも増してホームレスが多く、
パトカーが停まって抑止力となっていました。
危険は感じませんでしたが、歩き回らない方がよさそう。
(※そもそも開いている店がほとんどないので暗いです)


大人しくバスで帰り、最後の夜が静かに終わりました。



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ハワイ行:ホノルルのチャイナタウン

2018年12月08日 | ハワイ:オアフ島

夫婦して人生初ハワイさんざん歩き回りましたが、

さすがにバスに乗ることも覚えました(笑)
バスは乗客の自転車も運んでくれます


バスに乗れば行動範囲も広がって(←当たり前

ちょっと遠くてもホイホイ行けます
(※ハワイ出雲大社


チャイナタウンにもバスで行ってみました。



孫文の銅像だなんて

台湾以外でお目にかかったことがありません


英語ではチャイナタウンですが、中国語では華埠と呼ばれ

交易で栄えた中華埠頭の繁栄が名前に残っています。


立地も港のすぐそばでした。

建物の切れ目から海が見えました。


19世紀末から20世紀初頭の古い建物が居並ぶ通り。

これは1901年完成


20世紀のコテコテの中華三昧もあれば



19世紀らしい古い石造りだったり



いろんな時代が隣同士だったりしながらも



どれも現役で



いまだに使われているところに

その後の発展のなさがうかがえます。


それはNZの地方都市も同じこと。

どちらも一次産品で一時代を画した名残りとも言えましょう。
ハワイは砂糖やパイナップル 意外にも米
NZは材木や金、意外にも小麦を輸出していたことも。


今は歴史的建造物指定で容易に再開発できない

という事情もありそうです。


こんな感じはシンガポールかマラッカか?

奥の高層住宅との対比もそっくり。


しかし、チャイナタウンは今でも脈々と生きている

そう実感できたのは、


大手銀行が揃い踏みだったから



需要がなければこんなに密集しないでしょう



どこも店舗が広い広い



法人でも個人でもなんでも来い

街の資金力がうかがえます。


「おもしろそうだから戻ってこよう

即決でした。

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ハワイ行:栄枯盛衰のキルト

2018年12月07日 | ハワイ:オアフ島

まるでおとぎの世界だったイオラニ宮殿



その最後の主はハワイ王朝最初にして最後の女王となった

リリウオカラニ
治世は1891年1月から1893年1月までのわずか2年。
悲劇の女王としても知られます。


本名は、リディア・リリウ・ロロク・ワラニア・ウェウェヒ・
カマカエハ=ア=カパアケア・リディア・リリウオカラニ・パキ

というんだそうで、この長さが高貴の印なのか?


マオリの名前もそうですが、長くて簡単には覚えられないだけで
なんだか貴重でありがたいものに感じてしまう単純ちゃんな私


イオラニ宮殿を建設した兄カラカウア王が54歳で逝去し、
兄夫婦には子がなかったために、妹のリリウオカラニが
初の女王として王位を引き継ぎました。


しかし、時はすでに有力な米系移民が日に日に力を持ち
王政廃止とアメリカへの併合に向けて画策していた時期で、
女王はハワイ人による王政派の反乱の首謀者とされ、
女王廃位を受け入れさせられ、宮殿に8ヵ月間幽閉されます。


その際に、侍女とともに作成した数々のキルト



自身のドレスなど高価な布を惜しげもなく切り刻んでは



一針一針つないでいったその心持を思うと胸が熱くなりました。



おとぎの世界に刻々と忍び寄る軍靴の音に心を痛めながらも

(※宮殿は最終的にアメリカ海兵隊に包囲されました)


絶大な力の前になすすべもなく、王朝は滅び、



自分も囚われの身となってしまいました。



長い長い時間を費やして作成されたものであるからこそ

針を運んだ女王の無念さが縫い込まれているようでした。


シルクサテンの豪華さと素朴な手縫いの哀しいコントラスト

世界のどこにもない栄枯盛衰のフォークロア


その明暗すらが優雅で上品で美しく

沈みゆく夕陽の最後の残光のようでした。


囚われた女王はどんな思いで

外の明るさを見つめていたのか。


足を踏み入れた瞬間に
「まるで階段のためにあるような宮殿」

と感じた見事な階段の先に天国はなく、


最後の女王が幽閉を解かれ、

階段を下って


宮殿を出ていった時に

太平洋に出現したおとぎの世界は永遠に失われました。


ハワイ王朝についてあまりにも無知なまま訪れてしまい、

勉強してからまた出直そうと思います。


女王自らが著した自叙伝Hawaii's Story by Hawaii's Queen

(※写真:アマゾン)
いつかぜひ読んでみたいと思います。


日本語の音声ガイドに従って見学しましたが、

ハワイの歴史と王室の暮らしぶりや苦悩がよくわかる
非常によくできたものでした。


何よりも、その格調高い日本語の美しさに驚嘆しました。
半世紀以上生きて耳にした、最も美しい日本語でした。
あれを聞くだけでも再訪の価値があるように思います。

またいつか

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ハワイ行:おとぎの世界イオラニ宮殿

2018年12月06日 | ハワイ:オアフ島

ホノルルで、いやハワイ全土で最も美しい建物といったら

ここをおいて他にないでしょう。


イオラニ宮殿



その名前すら香しいほどたおやかな響き。



どこかで見たような



でも何にも似ていないような



過去の建築様式の耽美なところだけを

金に糸目をつけずに選りすぐったような
不思議にして美しい外観。
ハワイ建築の最高傑作


中に入るや

巨大な階段に圧倒されます。


まるで階段のためにあるような宮殿。



ハワイの原木コアをふんだんに使った芸術品のような階段



各部屋はおとぎの世界そのまま。



王様や女王様の暮らしとはかくあるべし

という人類共通の概念を具現化した空間。


軽やかに弾む会話や食器の音まで聞こえてきそうな

華麗で贅沢なテーブルセッティング


こちらは終わることのない舞踏会の舞台。



これもまた明るい音楽と衣擦れの音が聞こえてきそう。



王座から宴を見守る王様と王妃



王族の家紋のハワイアンキルトのベッドカバー



それほど広くもない部屋におびただしい数の備品があるのに



すべてが品よく収まっているのは類まれなセンスゆえのよう。



王朝の最後が女王だったせいか

調度品がどれも上品なだけでなく、柔らかく女性的で


美しさの中に永遠の愛らしさが仕込まれていました。



高貴でいながら威圧的なところが微塵もないのは
 
王族たちの揺るぎない血筋にあるのかもしれません。


男女とも幼い頃から帝王学を学び

言語、音楽、芸術とあらゆる教養に富んでいたようで、


ややもすれば金に飽かせた成金趣味に成り下がりそうな場所を

悠久の時にも色あせない宝石のような場所にならしめている
と感じました。


イオラニ宮殿はカラカウア王朝の1882年に完成。
カラカウア王とカピオラニ王妃の住まいとなりました。

(※王族の寝室)


サトウキビ輸出でハワイ経済が潤っていた頃の

贅を尽くした宮殿でハワイ王朝の象徴となりました。


西洋からの要人にも羨ましがられたという当時では斬新な

水洗トイレ


地下のキッチンと結ばれた

食事を運ぶためのエレベーター


財力だけでなく、新しい技術を取り入れる
進取の気性は宮殿の随所に見受けられます。

(※電気と電話はホワイトハウスよりも早くから導入)


夢のようなおとぎ話の舞台は



じき歴史の荒波に洗われていきました。


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ハワイ行:建てられた時代を物語る建物

2018年12月05日 | ハワイ:オアフ島

行ったのは2017年3~4月
旅行記が中断したのは2018年4月
2019年まで1ヵ月を切ってきて
いよいよ終える覚悟ができてきた


ともあれ、シレっと続けます(笑)


生まれて初めてのハワイをハワイ島から周り始めた私たち。
ホノルルのあるオアフ島に移り、世界有数の観光地ワイキキ入り



しかし、すぐにワイキキ全体が観光客向けに造られた

巨大なテーマパークであることに気づき、


豪華で活気があっても

早々に退屈してしまいました。


それよりワイキキと地元民居住区の境界線である

アラワイ運河の外側に惹かれ、せっせと出かけて行きました。


ワイキキ入りから1日半でハワイ投資を決定してからは、
ホノルルのオフィス街にも何度となく繰り出しました。



オアフの発展が凝縮されたような



様々な時代の建物と



その美しさに



目を奪われました。



実用的な建物であっても



(※これは電力会社のビル)



小さくても



大きくても



商業目的でも



そうでなくても



建てられた時代を物語るようなホノルルの建物は格別でした。

これも歩いて歩いて歩いて歩き倒したからこそ。


4月を選んだのは単に4月1日が結婚記念日だったからですが、
まだそれほど暑くはなく、1日中歩き回れる時期だったのは
狙っていた訳ではないものの幸いでした。

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夢見:津波

2018年12月02日 | 浅き夢見し

「私」は「自宅」にいましたが、実際の自宅とは違います。
息子のスマホが妙な警戒音を発したので、なんなのか聞くと、
「なんでもない」
と隠すような、はぐらかすような、そっけない返事。


その時、「地震速報」という日本語の音声が聞こえた気がして、
息子のスマホを奪うように見ると「地震」「津波」という文字。
海外生まれ海外育ちの息子には絶対に読めない漢字で、
事の重大さをわかっていないようでした。


NZの「自宅」でなぜ日本語の警報なのかは夢なので矛盾なく、
「私」はその場にいない夫と猫を心配しだしました。
でも、なぜか夫は安全な場所にいるのがわかっていて、
まずは猫を探しに行きました。


外に出ると、家はレンガ造りの2階建てアパートのように大きく、
「私」が出てきたのは庭に面していても2階部分でした。
地形が傾斜になっているので、L字の建物の1階部分も庭に面し、
集合住宅になっているのか、何世帯もが暮らしているようです。


「私」は芝で覆われた庭から1階部分に降り、
「猫たちはどこかしら?」
と中にいたアフリカ人らしい黒人女性に声をかけました。
彼女は頭にグルグルと派手な色の布を巻いています。


「奥のお宅にいますよ。」
言葉使いから雇っている使用人という設定のようでした。
彼女の返事に従って、1階部分の前の道を歩いていきました。
そこを歩いたのは初めてで、大勢が暮らしている雰囲気に
きょときょとしながら進んでいくと、突き当りに家があります。


ドアは開け放たれ、その向こうは玄関やリビングではなく、
なんと絢爛豪華にしつらえられたベッドルームでした。


年配の白人4、5人のが取り囲んだキングベッドの上には
我が家の黒猫のクロがゆったりと横たわっています。
みんなニコニコ見下ろしていて、「私」が飼い主とわかると、
気さくに話しかけてくれました。
どうもクロはしょっちゅう、ここにお邪魔していたようです。


その時、
フワッと海の中で波をひとつやり過ごしたような感覚があり、
「えっ
と思ったものの、誰も気づいていないのか話し続けており、



「今のが地震?津波?」
と自問しているところで記憶が途絶えました。




=============




このブログもパスワードを忘れてしまうほどご無沙汰でしたが、
(※パスワードは取り直しました・・・・笑)
夢としても久々に細部まで思い出せるリアルなものを見ました。


気持ちに余裕がないとなかなか思い出せないようで、
久々に何も予定のない日曜日らしい日曜日の夢でした。


虫の知らせのような気がして、ヨーロッパを旅行中の息子に
メッセージを送ってみると、まさかのこんな展開
地震でも津波でもありませんが(笑)


更新していない間もご訪問くださった方々にお礼申し上げます。


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