FNNニュースより転載
福島第1原発事故直後の混乱と、そして、東電幹部のいい加減な対応がさらに明らかになった。
5日、新たに公開された当時のテレビ会議の映像に、その様子が克明に残されていた。
原発事故直後、東電本店と福島第1原発をつないで行われたテレビ会議。
これまで公開されていなかったテレビ会議の映像の一部が5日、ようやく一般に公開された。
吉田所長(当時)は「これはもう『じじいの決死隊』で行こうかなと...」と話していた。
事故直後から官邸に派遣されていた武黒フェロー(当時)は、東電本店に戻り、当時の菅首相の言動について、「『イラ菅』という言葉があるけど、まあ、とにかくよく怒るんだよね」と愚痴をこぼしていた。
本店の武黒フェロー(当時)は「きのうも退避、避難の区域を決めた時、最初は菅さんとかに呼ばれて、『どうすりゃいいんだ、どうするんだ』って、言うわけですね。わたしと(原子力安全委員会の)斑目さんとで説明すると、『どういう根拠なんだ! 何があっても大丈夫だと言えるのか』と散々、ギャーギャー言うわけです」と話していた。
そして、震災から3日後、福島第1原発の3号機が水素爆発を起こした時には、吉田所長(当時)が職員らを落ち着かせるため、「1回、ここで深呼吸して、冷静になって。じゃ、みんなで深呼吸しましょう。息を吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー、はい」と、深呼吸をするように促す姿があった。
そして爆発を受けて、本店・高橋フェローは「水素爆発かどうかわからないけど、国が保安院が水素爆発と言ってるから、もういいんじゃないの、この水素爆発で(可能性ということで...)」と話した。
本店担当者の「いかがでしょうか?」との問いに、本店の清水社長(当時)は「いいです。これでいいから、スピード。(担当者)ゴーサインです。スピード勝負」と答えた。
こうしたやり取りが行われたあと、3月14日、枝野官房長官(当時)は「(爆発の状況等から見て)1号機で発生した水素爆発と同種のものと推定されている」と発表。
また、東電も会見で「水素の爆発が起きた可能性が高いのではないか」と発表した。
一方、この前日には吉田所長(当時)が、「2号機の『海水注入ライン』はまだ生きてない。そこを生かしに行くのはかなり勇気がいるけど、これはもう『じじいの決死隊』で行こうかなと」と話していた。
年配の職員を中心とした決死隊を提案。
そして、資材を調達する福島第一資材班は「これから『バッテリー』等を買い出しに行きます。現金が不足しております。現金をこちらに持ち出している方、ぜひお貸しいただきたいと思います」と話していた。
現場の混乱ぶりが、新たに明らかになった。
さらに、映像には国会事故調査委員会が指摘した官邸の過剰な介入に、現場が混乱する様子が克明に記録されていた。
東京電力本店が「(官邸が)しかるべき人と、とにかく直接至急話がしたいので電話をくれと」と伝えたのに対し、吉田所長(当時)は「これ電話、いつも官邸につながらないんだよ。何とかできない?」と話した。
そして、東電本店を通して官邸から吉田所長(当時)へ電話があった。
東京電力本店から「首相官邸から電話がかかってるので、電話を転送しますので」との電話があった。
吉田所長(当時)は「官邸からちょっと海水を使う判断をするのが、早すぎるんじゃないかとコメントが来ました」と話した。
その後も、東京電力本店から「吉田さーん、吉田所長、官邸から電話が入ってるんですけど、転送します」などと連絡があった。
このあと官邸からのホットラインが開設されると、吉田所長(当時)はその対応に忙殺されることになった。
3号機が水素爆発した直後も電話に対応した吉田所長(当時)は「吉田でございます。煙の中で見えないんです」と話していた。
記録された映像は、全部で150時間に及んでいるが、これまでに公開された映像は、5日に公開されたものをあわせても7時間半ほどだった。
福島第1原発事故直後の混乱と、そして、東電幹部のいい加減な対応がさらに明らかになった。
5日、新たに公開された当時のテレビ会議の映像に、その様子が克明に残されていた。
原発事故直後、東電本店と福島第1原発をつないで行われたテレビ会議。
これまで公開されていなかったテレビ会議の映像の一部が5日、ようやく一般に公開された。
吉田所長(当時)は「これはもう『じじいの決死隊』で行こうかなと...」と話していた。
事故直後から官邸に派遣されていた武黒フェロー(当時)は、東電本店に戻り、当時の菅首相の言動について、「『イラ菅』という言葉があるけど、まあ、とにかくよく怒るんだよね」と愚痴をこぼしていた。
本店の武黒フェロー(当時)は「きのうも退避、避難の区域を決めた時、最初は菅さんとかに呼ばれて、『どうすりゃいいんだ、どうするんだ』って、言うわけですね。わたしと(原子力安全委員会の)斑目さんとで説明すると、『どういう根拠なんだ! 何があっても大丈夫だと言えるのか』と散々、ギャーギャー言うわけです」と話していた。
そして、震災から3日後、福島第1原発の3号機が水素爆発を起こした時には、吉田所長(当時)が職員らを落ち着かせるため、「1回、ここで深呼吸して、冷静になって。じゃ、みんなで深呼吸しましょう。息を吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー、はい」と、深呼吸をするように促す姿があった。
そして爆発を受けて、本店・高橋フェローは「水素爆発かどうかわからないけど、国が保安院が水素爆発と言ってるから、もういいんじゃないの、この水素爆発で(可能性ということで...)」と話した。
本店担当者の「いかがでしょうか?」との問いに、本店の清水社長(当時)は「いいです。これでいいから、スピード。(担当者)ゴーサインです。スピード勝負」と答えた。
こうしたやり取りが行われたあと、3月14日、枝野官房長官(当時)は「(爆発の状況等から見て)1号機で発生した水素爆発と同種のものと推定されている」と発表。
また、東電も会見で「水素の爆発が起きた可能性が高いのではないか」と発表した。
一方、この前日には吉田所長(当時)が、「2号機の『海水注入ライン』はまだ生きてない。そこを生かしに行くのはかなり勇気がいるけど、これはもう『じじいの決死隊』で行こうかなと」と話していた。
年配の職員を中心とした決死隊を提案。
そして、資材を調達する福島第一資材班は「これから『バッテリー』等を買い出しに行きます。現金が不足しております。現金をこちらに持ち出している方、ぜひお貸しいただきたいと思います」と話していた。
現場の混乱ぶりが、新たに明らかになった。
さらに、映像には国会事故調査委員会が指摘した官邸の過剰な介入に、現場が混乱する様子が克明に記録されていた。
東京電力本店が「(官邸が)しかるべき人と、とにかく直接至急話がしたいので電話をくれと」と伝えたのに対し、吉田所長(当時)は「これ電話、いつも官邸につながらないんだよ。何とかできない?」と話した。
そして、東電本店を通して官邸から吉田所長(当時)へ電話があった。
東京電力本店から「首相官邸から電話がかかってるので、電話を転送しますので」との電話があった。
吉田所長(当時)は「官邸からちょっと海水を使う判断をするのが、早すぎるんじゃないかとコメントが来ました」と話した。
その後も、東京電力本店から「吉田さーん、吉田所長、官邸から電話が入ってるんですけど、転送します」などと連絡があった。
このあと官邸からのホットラインが開設されると、吉田所長(当時)はその対応に忙殺されることになった。
3号機が水素爆発した直後も電話に対応した吉田所長(当時)は「吉田でございます。煙の中で見えないんです」と話していた。
記録された映像は、全部で150時間に及んでいるが、これまでに公開された映像は、5日に公開されたものをあわせても7時間半ほどだった。