とあるスナックで
コー
小林
コー
コー
この本のなかで、気になったところがいくつかあるんだ。 P-6
澄田はのちに「バブルを発生させた戦犯」と指弾されることになるが、本人は「在任中に実施した金融緩和策については、当時の眼前の情勢に照らして適切な措置だったと思う。しかし日銀総裁たるもの、少しでもおかしな兆候があれば敏感に感じ取って将来を予想すべきであり、資産価格が上がることの意味をもっと早くとらえて手をうつべきだった、と思っている。」と述懐した。
家では仕事のことをあまり話さない澄田だったが、一度だけバブルの原因について長男の誠にぽつりとこう話したことがある。誠は90年代後半のことだったと記憶している。
「あれだけ慎重だった銀行、特に都銀が、あんなに無謀な貸し出しにはしるとは思わなかった」
「父はバンカーを尊敬していた面があった。それが別働隊まで作ってどんどん貸し込んでいたとは、と思ったのでしょう。本人にしてみたら(銀行の行動は)非常に残念だったことだろうと思う」と誠は話す。
節度を忘れた銀行の融資は80年代後半、バブルを増幅させていった。しかも途中からそれは系列のリース会社などを通じて本体と切り離して行われるようになり、当局の視野に入りにくくなった。澄田の金融機関批判はそのことを指しているのだろう。
澄田はのちに「バブルを発生させた戦犯」と指弾されることになるが、本人は「在任中に実施した金融緩和策については、当時の眼前の情勢に照らして適切な措置だったと思う。しかし日銀総裁たるもの、少しでもおかしな兆候があれば敏感に感じ取って将来を予想すべきであり、資産価格が上がることの意味をもっと早くとらえて手をうつべきだった、と思っている。」と述懐した。
家では仕事のことをあまり話さない澄田だったが、一度だけバブルの原因について長男の誠にぽつりとこう話したことがある。誠は90年代後半のことだったと記憶している。
「あれだけ慎重だった銀行、特に都銀が、あんなに無謀な貸し出しにはしるとは思わなかった」
「父はバンカーを尊敬していた面があった。それが別働隊まで作ってどんどん貸し込んでいたとは、と思ったのでしょう。本人にしてみたら(銀行の行動は)非常に残念だったことだろうと思う」と誠は話す。
節度を忘れた銀行の融資は80年代後半、バブルを増幅させていった。しかも途中からそれは系列のリース会社などを通じて本体と切り離して行われるようになり、当局の視野に入りにくくなった。澄田の金融機関批判はそのことを指しているのだろう。
小林
本当に日銀は地価や株価が高くなっているのは、バブルかどうか分からなかったんですかね。
コー
うーん、どうやら分からなかったんだろうな。たとえば、今株価が上がったとする、それはバブルなのか、いやそうじゃないんだ、その企業の価値が高くなったんだから当然だということの違いがはっきり分からないということかもしれないな。それを判断する経済的な指標があるのかどうか、バブルかどうかの。
それにしても、当時銀行からの貸出しのお金が、土地と株に多く回っていたのは間違いない。 P-280
日銀幹部も金融機関の攻勢を受けた。調査統計局長の南原はある大手銀行から「5000万円を無利子で貸すから株を買わないか」と持ち掛けられた。断ったものの、こういうことが経済状況のベースにあるんだと思った南原は、この話を政策委員らのいる会議で持ち出して注意喚起したという。
また、大蔵や日銀のみならず、どこの官庁でも、監督する業界からの接待やつけ回しは日常的な光景だった。飲食だけでなく、大名行列のような接待も珍しいものではなかった。この状況はバブル崩壊後も続いたが、最終的に98年に東京地検特捜部の捜査のメスが入り大蔵省では112人という前代未聞の大量処分に発展した。
それにしても、当時銀行からの貸出しのお金が、土地と株に多く回っていたのは間違いない。 P-280
日銀幹部も金融機関の攻勢を受けた。調査統計局長の南原はある大手銀行から「5000万円を無利子で貸すから株を買わないか」と持ち掛けられた。断ったものの、こういうことが経済状況のベースにあるんだと思った南原は、この話を政策委員らのいる会議で持ち出して注意喚起したという。
また、大蔵や日銀のみならず、どこの官庁でも、監督する業界からの接待やつけ回しは日常的な光景だった。飲食だけでなく、大名行列のような接待も珍しいものではなかった。この状況はバブル崩壊後も続いたが、最終的に98年に東京地検特捜部の捜査のメスが入り大蔵省では112人という前代未聞の大量処分に発展した。