先日、プラハ国立歌劇団の『アイーダ』を見てきました。
実は、原語の生のオペラを見るのは初めてです。子どもの頃、日本語のオペラは見たことがあるんですけどね。『マダム・バタフライ』でした。
いえ、ちょうど、幕末物語に絡む時期のオペラですし、少しでも、当時のオペラ見物の雰囲気がわかるかな、と。会場は地方の文化会館ですし、わかるわけはないんですけれども、一応、ロングの黒手袋に毛皮のストール、真珠の三点セットで決めてみました。ああ、毛皮のストールはネットオークションで、そこいらのコートよりはるかに安い値段で手に入れた中古品です。
プラハといえば、オーストリア・ハンガリー帝国の弟二の都。パンフレットによれば、国立歌劇場は、1887年、ドイツ人が創設したそうですから、ハプスブルク朝貴族の社交場ですわね。クーデンホーフ伯爵はオペラ好きだったそうですから、妻となった光子さんも、出かけたはずですね。たしか、プラハに親族を訪ねた記録はありますから。
しかし、こんな地方都市にまでプラハから歌劇団が来るなんて、幕末明治は遠いですねえ。
会場はともかく、小規模ながらきっちりバレーも入れた演出で、公演そのものには満足しました。
アイーダよもやま話
凱旋行進曲が聴けるので、上のサイトをリンクさせてもらいました。
ここにあるように、『アイーダ』は、スエズ運河開通を祝うオペラとして、エジプトからの注文で、ヴェルディが作ったものですが、付け加えるならば、スエズ運河は、ナポレオン三世、第二帝政フランスの国策事業だったんです。
先頭に立ってこの事業に取り組んだフランスの元外交官フェルナンド ・ド・レセップスは、ウージェニー皇后の親戚です。
開通の祝賀には、ウージェニー皇后が出席しましたが、これにあわせて注文していた『アイーダ』は、結局間に合わなかったのです。
スエズ運河の完成と買収
スエズ運河の完成は1869、明治2年。その翌年には普仏戦争が起こってフランス帝政は瓦解します。『アイーダ』が完成したとき、ウージェニー皇后はイギリスへ亡命の身でした。
いえね、あの勇ましい凱旋行進曲は、世紀の運河開通祝賀にいかにもふさわしいんですが、悲劇的でしめっぽい結末は、祝賀オペラというよりも、栄華を誇ったフランス第二帝政への挽歌、に見えたり、してしまうんですよね。
実は、原語の生のオペラを見るのは初めてです。子どもの頃、日本語のオペラは見たことがあるんですけどね。『マダム・バタフライ』でした。
いえ、ちょうど、幕末物語に絡む時期のオペラですし、少しでも、当時のオペラ見物の雰囲気がわかるかな、と。会場は地方の文化会館ですし、わかるわけはないんですけれども、一応、ロングの黒手袋に毛皮のストール、真珠の三点セットで決めてみました。ああ、毛皮のストールはネットオークションで、そこいらのコートよりはるかに安い値段で手に入れた中古品です。
プラハといえば、オーストリア・ハンガリー帝国の弟二の都。パンフレットによれば、国立歌劇場は、1887年、ドイツ人が創設したそうですから、ハプスブルク朝貴族の社交場ですわね。クーデンホーフ伯爵はオペラ好きだったそうですから、妻となった光子さんも、出かけたはずですね。たしか、プラハに親族を訪ねた記録はありますから。
しかし、こんな地方都市にまでプラハから歌劇団が来るなんて、幕末明治は遠いですねえ。
会場はともかく、小規模ながらきっちりバレーも入れた演出で、公演そのものには満足しました。
アイーダよもやま話
凱旋行進曲が聴けるので、上のサイトをリンクさせてもらいました。
ここにあるように、『アイーダ』は、スエズ運河開通を祝うオペラとして、エジプトからの注文で、ヴェルディが作ったものですが、付け加えるならば、スエズ運河は、ナポレオン三世、第二帝政フランスの国策事業だったんです。
先頭に立ってこの事業に取り組んだフランスの元外交官フェルナンド ・ド・レセップスは、ウージェニー皇后の親戚です。
開通の祝賀には、ウージェニー皇后が出席しましたが、これにあわせて注文していた『アイーダ』は、結局間に合わなかったのです。
スエズ運河の完成と買収
スエズ運河の完成は1869、明治2年。その翌年には普仏戦争が起こってフランス帝政は瓦解します。『アイーダ』が完成したとき、ウージェニー皇后はイギリスへ亡命の身でした。
いえね、あの勇ましい凱旋行進曲は、世紀の運河開通祝賀にいかにもふさわしいんですが、悲劇的でしめっぽい結末は、祝賀オペラというよりも、栄華を誇ったフランス第二帝政への挽歌、に見えたり、してしまうんですよね。