田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

鹿沼は雪が降りました。 麻屋与志夫

2023-01-25 10:29:14 | ブログ
1月25日 水曜日 雪 室温 2℃
小説を書いていた掘りごたつからでて、書斎兼寝室に入ったところ、あまりの寒さに驚いた。
温度計の赤い柱も縮こまっていた。
室温2℃。
もしかすると、とカーテンを開けたところ雪で庭が真白。
2階の書斎にかけあがった。
「恋空」の観覧車のある千手山公園の樹木が樹氷となって今照りだした太陽の光をあびて輝いていた。
わが街には何もない。
観光資源として人を呼べるほどのものはない。
それがいいのだ。
素朴で平凡な田舎町の風情がいい。
朴訥で話しかけても返事のもどってこないところがいい。
引っ越し魔の半村良が老いてから住みついた街だ。
老後、一人静かに孤独を楽しみながら住むのにふさわしい街にわたしは住んでいると満足している。




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ルナちゃんの豪快なイビキを聞いた朝。 あ屋与志夫

2023-01-25 06:32:48 | ブログ
1月25日 水曜日 寒い 室温3℃
早朝寒さで目が覚めた。いつもの朝より2℃ほど寒い。
いよいよ寒さも極まった。
まあ、これ以上寒くなるということはないだろう。
ミイマの寝床ではルナが豪快なイビキをかいていた。
アメショウの雌猫にあるまじきイビキ。
かわいい。
あまり寒いので、ダッコしてこれから暖房をするキッチにつれていこうとしたが、やめた。
不干渉。気ままな生活をさせているルナだ。
自然と起きてくるまで待つことにした。
昨日の訪問者。91名。
なんの変哲もないGGのブログを読んでくださる方がいる。
ありがたいことだ。



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見えていないものが、見えてくる。 麻屋与志夫

2023-01-23 09:21:32 | ブログ
1月23日 月曜日 晴 室温5℃
見えていないものが、見えてくる。

見えていないわけではない。
こちらが気がつかなかっただけ。

1月11日のブログに書いた
「禁猟区」の掲示板がそうだ。
千手観音堂の周囲に幾つも発見した。
何十年もまえからそこに立っていたのにまったくきがつかなかった。
意識がそこにむかわなかったのだろう。

みなさんは、そうした経験がありますか。
東京で学生時代を過ごしていた頃、隣り合わせに美人がすわってくれた。
その日は、美人がなんにんも目について、幸せな気分になったものだ。
お婆さんに朝会う。一日中老婆に会う。
これれは意識がそこに在るものに集まるためなのだろう。

としたら、ほがらかな明るい性格の人とだけつき合い。
明るい話題にだけ耳を傾けて生活していればいいのだが。
小説家の場合、職業意識が働きいままでいろいろなひとと出会ってきた。
見なくていいもの、ダークサイドもたくさんみてきた。
怖い目にも会ってきた。

寄る年波で、コロナもありこのところ朝の散歩と買い物にでかけるだけだ。
ああ、一月に一度は病院にでかけている。

これでは、感性は鈍くなるばかりだ。
テレビを積極的にみている。
世間はずいぶんとかわってきている。
それに加速がついている。
このところひとをナイフで刺す事件がおおすぎる。
犯罪を犯すものが、じぶんと同じ感覚のヤツが、ご同輩が、仲間かおおぜいいる。
と、そのことばかり見て、安心して凶行におよぶとしたら、哀しいことだ。
そうしたことに、関心がむいて、見えなくていいものが、見えてしまうというのは
いやなことだ。


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小説を書くのは格闘技。 麻屋与志夫

2023-01-22 08:54:03 | ブログ
1月22日 日曜日 晴 室温5℃
小説を書くのは格闘技。
たったひとりで、自分と戦っているようなものだ。
格闘技である証拠として筋肉のツカレがあらわれる。
剱山で上半身を叩かれているような痛みにおそわれる。
若い時には、万年筆で手書きだった。
これに右肩の痛みがさらにくわわった。
いまは、パソコンなので、その痛みを感じなくて済む。
ありがたいことだ。
間違った箇所をなんども直して原稿用紙がすりきれた。
上にほかの新しい用紙を張り付けたり、なみたいていの苦労ではなった。
訂正も挿入もいともたやすくできる。
ありがたい。
毎日、むかしの執筆時の苦労を思い浮かべながらこうして駄文をつらねている。
もうひとつ、小説に関することを書くと、文学書を読む人が極端に少なくなっている。
わたしの住む街など地政学的リスクを考慮にいれても、ともかく本を読まない。
なにも、文学書にこだわることはない。
文章を読み解いてもらいたい。


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欲望が枯れるとオカルトを信じていた12歳にもどった。麻屋与志夫

2023-01-13 10:22:26 | ブログ
1月13日 金曜日 
昨日は千手山公園。
千手院観音堂までの石段を登ることができた。
うれしかった。
いまはここは公園となっている。
お子様用の公園だ。
天辺に「恋空」で全国的に有名となった観覧車がある。
12歳の少年だった頃には駆け上ることの出来た石段。
なんども、上を見あげては登ることをあきらめていた石段。
毎日散歩して脚を鍛えた。
30分ほど歩けるようになったので思い切って挑戦した。
上まで登り切り仁王様と対面した時はほんとうにうれしかった。
仁王門や観音堂のことをこのところ超短編でとりあげていただけに感涙した。
あと何年生きられるかわからない。
一日一日が貴重に思える。
若い時には見えなかったものが、みえるようになった。
ややオカルトじみた気配を周囲にかんじる。
魔法や怪物、吸血鬼、人狼、地縛霊などが意識の靄の中に漂っているのを感じるのだ。
これこそ幼年期への回帰ではないか。
これから書く小説ではそれらの存在が主役となっていくような気がする。
年老いて色気が亡くなり、性欲に悩まされ、邪魔されなくなった、それでオカルトかとも思う。
コナン・ドイルが晩年オカルトに凝っていたのはよくしられている。
石原慎太郎もそうだつたと風評を耳にしている。
いずれにしても、これはまさしく老化現象なのだろう。
しきりと12歳の頃のことばかり思いだしている。
そのうちこうした諸々の記憶や思考も曖昧なものとなってまうのだろう。
死ぬまで文章は失いたくない。



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Sanctuary禁猟区 麻屋与志夫

2023-01-11 13:35:46 | ブログ
1月11日 水曜日 晴 外気温10℃
Sanctuary禁猟区
いつもの散歩道。
御殿山病院の脇の道を坂田山団地に向って歩きはじめる。
セブンイレブンのある十字路で左折。
右側に「西城」昔、(鹿沼城)の家老をしていたという由緒ある家系でこの屋号かある。
――を右手にみて切通の坂をおりようとして、ふと左手を見た。

まだ残っていた。
赤い「禁猟区」という標識。
この標識がいつごろ立てられたのかしらない。
わたしの家の近所。
鹿沼ハリストス正教会の前にも同じ標識が立っていたのだが今はない。
この禁猟区を英語では sanctuary。

この単語をわたしはフォークナーの小説でおぼえた。
内容のあまりの凄まじさにおどろいた記憶がある。
ポパイという変質者がトウモロコシの穂軸で乱暴する話だ。

そんなことを思いだしながら坂をくだる。
この歩道は道端にベンチがある。
疲れればそこに座って休めるのがありがたい。
いまどこの地方でも東京からの移住者を期待している。
街にベンチの数をふやし退職後のひとたちを勧誘したらどうだろうか。

若い人はムリ。
田舎で義務教育をすませ、東京の私立高校に進学を希望する家庭には向いていないと思う。
ともかくお年寄りにやさしい街づくりが大切だ。

土地も家賃も驚くほど安いのだから可能性はおおいにあると老婆心ながら思っている。

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今夜は鎮守様の「春渡祭」。オタリヤと読む。

2023-01-10 18:43:18 | ブログ
1月10日 火曜日 晴 室温5℃
今日は鎮守様の「春渡祭」。オタリヤと読む。
大きな半球形の金網のなかでふるいお札や、達磨を燃やしてくれる。
数年前、ひさしぶりでその火、一年間無病息災ですごせるという、にあたりにいった。
ところが、寺院のものは持ち込まないでください。
と標識がでていた。お寺さんのものまで、投げ込まれると膨大な量になってしまうのだろう。
その趣旨は、言わんとしていることはよくわかる。
神社と寺院という区別がわかりかねない。
衆生にとってはお寺さんも鎮守様もかわらない。信仰対象である。
鹿沼のお寺では柵をめぐらし境内に立ち入らないで下さい、という標識がでているところがおおい。
なぜだろう、とおもい、たまたまお寺さんの子が塾生でいたので聞いてみた。
「浮浪者が入ってきて、墓地を汚したり、焚火などするので危険だ」とのことだ。
ホームレスの人を救済するといった仏心はないのだろうか。
葬式の席で、仏の慈悲は無限で、仏を信じれば来世まで救われる。
とか、線香のあげかたとか、拝み方の作法をながながと述べているのが白々しく感じる。 
なにか小言幸兵衛のようなブログになってしまった。妄言多謝。こめんなさい。


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あなたの土地では「おべっか」という習慣がありますか。 麻屋与志夫

2023-01-08 09:00:51 | ブログ
1月8日 日曜日 晴。寒い。室温5℃
あなたの土地では「おべっか」という習慣がありますか。
これも母から聞いた言葉だ。母は栃木生まれだ。
正月の三が日は妻の労をいたわるため、男性が厨房に入って賄いをする。
男子厨房に入るべからず。
といった時代の風習だ。
正月料理をつくるので年末に獅子奮迅の活躍をした。
女房殿を、いやこの来し方。
一年間毎日台所で炊事をしてきた妻への。
感謝のしるしだ。
もうひとつ、食に関しての思い出がある。
母が幼少のころ、はじめて牛鍋を食べることになった。
四つ足で不浄のものを食べるというので庭に粗莚を敷いた。
その上に茣蓙を重ねて敷いて庭でコンロを囲みおそるおそる食べたというのだ。
そのころは、トマトを赤茄子と呼んでいた。
わたしが長生きしている。
母から聞いた明治中頃までの栃木地方の話が。
いまでも目の当たりにみるように思いだすことがある。


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「七草なずな 唐土の鳥が……」 麻屋与志夫

2023-01-08 06:51:48 | ブログ
1月7日 月曜日 
「七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン」
正月の七日には野菜をいれたお粥を食べる習慣がある。
これは全国にある食文化のようだ。
わが家では母がこの歌を歌いながら朝早くから炊事をしていたのを思いだす。
正月のあいだに飽食となった。
あるいは飲みすぎた胃にはやさしいお粥を食べることは理にかなっている。
どうしてお粥を食するのかは正確には寡聞にしてしらない。
唐土の鳥とはおもしろい。
むかしから、悪いものは中国大陸のほうからやってくると信じられていたのだろう。
中国のかたには申し訳ないが、ふとコロナのことを考えてしまった。
この鳥は、異界からきた妖鳥、鬼車鳥だともいわれています。
興味のある方はぜひ検索してください。
母のまな板で春の七草を刻む音も、いつもより気合が入って高くお勝手から響いてきました。

春の七草を一パックにつめて売っていた。
スーパーに妻のおともをして行ったところ、売れ残ってバーゲンの棚に並んでいた。

こんなところにも、古き良き時代の文化が廃れていくのが如実にあらわれていると、思った。


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幻想する散歩 麻屋与志夫

2023-01-04 09:12:17 | ブログ
1月3日 火曜日 室温4℃
三が日のせいなのだろう。
街が静かだ。
予定通り、母校の小学校まで散歩に出た。
暗渠の上の歩道を歩いている人はいない。
聖母幼稚園も休み。
元気な園児たちのさざめきもきこえない。
車は一台も走ってこなかった。
暗渠の上のコンクリートの歩道には30メートルおきに鉄の格子がはめ込まれている。
流れの音がする。
えっ、こんなに勢いよく水が流れているのだとおどろいた。
ほのかに生臭い水のにおいがしてきた。
車の騒音も、園児のざわめきもきこえない。
まるでよその世界にいるようだ。
わたしだけしか、存在していないような幻想にとらわれる。
ばしゃっと足元で水がはねた。
一瞬。鉄格子の下に魚影をみた。
たしかにウロコらしきものが弁天池のほうに流れをくだっていった。
銀鱗まではっきりみた。
そのウロコが生臭いにおいをたてていた。
ふりかえって追いかけようとおもったがやめた。
川の流れより早く歩くことは出来ない。
苦笑した。
もう若くはない、いつお呼びがかかっても、おかしくはない歳だ。
小説を書きた一心で生きている。
子供のころ、この川でよく魚とりをした。
ヤスや網をもってこの川にもジャブジャブはいったものだ。
でも、あれほど大きな魚は見たことがない。
子どもが魚とりをしないので、大きくなったのだろうか。
いや、あれは魚のウロコではない。
鮫の鱗のようにとげとげしていた。
15年ほど前に、母校の体育館の床下に人狼が住みついていて――。
街のひとびとを殺害するという恐怖小説を書いた。
あくまでも小説、フィクションなのだ。
街や建物を実名で書いたので発表するのをためらっている。
自分の知っている名前や地名、神社仏閣がでるとどうしてもリアルと思える。
モデルさがしでもして、実在の人物に迷惑がかかってはと考慮してのことだ。
架空の場所にすればいいのだが、それではわたしが納得できない。
いろいろと幻想にふけっているうちに、母校の石塀にたっした。
どんな塀に改修されるのだろうな。
こんどは近い未来を想像してみた。
物書きには、一人散歩だからといって、退屈するようなことはない。



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