田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

吸血鬼/浜辺の少女

2008-04-30 08:18:16 | Weblog
4月30日 水曜日
吸血鬼/浜辺の少女 22 (小説)
「約束は忘れないで」
 いくわよ、という気合をこめて暗黒の洞窟に夏子がとびこむ。 
 闇の奥からじめじめしした腐臭がふきよせる。
小動物の死骸が通路にころがっている。周囲は大谷石だ。ジワッと湿気をおびた邪悪な気配が毛穴からしみこんでくる。それを全身で感じる。
 隼人は身動きがとれない。はずだった。ふつうの人間であったら。
 ところが暗闇でもかなりよく目が利く。夏子の愛咬を軽く首筋にうけた。あらたな能力に目覚めた。目覚めつつある。ingだ。進行形だ。これからもどんな能力が新たに芽生えるか隼人にもわからない。
「わたしの血と隼人の血がまじりあったのよ。いよいよ効いてきたのね」
「すごく強くなったようだ」
「吸血鬼マスターとしてのわたしの父の純血と、わたしの母の血、隼人の遠い祖先の血が混血したの。まだまだパワーアップしていくわ」
「それで夜目がきくのか。暗闇でもものが見えるのだ」
「いいとこ取りって感じね」
「どう戦えばいい」
「血のおもむくままに」 
「それなら任せておけ。おれの血を吐く修行。死可沼流の剣の技を鍛えてきたのは、この日のためだったのかもしけない」
 興奮している。ぼくが<おれ>になっている。
「きたわよ。ここがエントランス」
 ギョッとして構える隼人。夏子が押さえる。
「通させてもらうわよ」 
 夏子が闇にむかって挨拶する。
「門衛がいるのよ。赤外線カメラみたいなものよ。吸血鬼しか通れないの」
「おれは……血が混ざりあっているから。混血種だから……」
「そういうこと。わたしのより、隼人はさらにあたらしいタイプになるわ。血がのみたくなるなんてことは絶対におきないから安心して」
 ざわっという不気味な音。吸血蝙蝠がおそってくる。隼人は虚空に剣を振るった。
 どんなことがあっても、全身全霊で、おれは夏子を守る。守る。蝙蝠のほうからギーとういう陰気な声をあげて剣に群がってくる。蝙蝠の断末魔の鳴き声が岩肌にこだまする。
「門の守衛が通したものを、どうしておそうのよ。こいつらみさかいなくおそってくる。鹿人兄さんの配下ね。わたしたちを通さないように命令されているのよ」
「おれの気配が蝙蝠を呼び寄せているのだろう」
「気にすることないわ。先に進みましょう。どんなことがあっても死なないでね。隼人。すきよ」
 夏子がポンと隼人の肩をたたく。
 夏子はたちまち、闇のさらなる深み、奥にむかって走りこむ。吸血蝙蝠の群れが、ふたりに追いすがる。長く黒い帯状になって追いすがってくる。
急な斜面を隼人は駆け降りる。
 冷気が吹きつけた。
 地上は晩夏。地下は冬。
 夏子もまた隼人を励ましながら、手刀を振るって戦っている。長く伸びた爪で蝙蝠を引き裂き前に進んでいく。その後ろ姿を隼人は追っていたはずだった。
 夏子の姿がない。地下道で迷ってしまった。一瞬……蝙蝠のあまりの絶叫に天井に目をそらした。その間に、夏子が道を曲がつたのだ。それに気づかず直進していたのだ。道はいたるところで枝分かれしている。もどったところで迷ういっぽうだろう。
 隼人はただひたすら前進することに決めた。
 鋭い殺気だ。体が凍てつくような恐怖。吸血鬼の視線だ。殺気だ。それもかなりハイクラスの吸血鬼だ。


吸血鬼/浜辺の少女

2008-04-29 14:39:30 | Weblog
4月29日 火曜日
吸血鬼/浜辺の少女 21 (小説)
 大谷街道にときならぬ妖霧がふきよせてきた。
 街道の周囲の丘や谷、窪地から隼人のルノーめがけて霧がたなびいてくる。まるで活きているように流れ、渦を巻き車の進行をはばむようにしのびよってくる。
 夏子がハンドルをにぎる隼人の腕に触れる。運転のじゃまにならないようにそっと手を重ねる。
 隼人の意識が、夏子の心に吸いこまれていく。
 その意識は夏子の心から隼人のところにもどってくる。
 隼人と夏子がひとつの精神の回路で結ばれる。ふたりの心がひとになる。ムンクの浜辺の少女は、みずからも絵描きになる夢をみていた。夏子からもどってきた意識が隼人にそう伝えている。
「ああ、わたしも絵を描きたい。わたしもはやく、美しいものを生み出す側に立ちたい」
 石造の建物のおおい街だった。故郷鹿沼も大谷石の倉や、塀が街のいたるとこに在った。回顧の情にひたりながら散策していた。そんなとき、ムンクに声をかけられたのだった。
「わたしの心に在る、北欧の街、石造りの家に住む、あのひとたちのよろこびや苦悩をいつか描いてみたい」
 放浪した街で会った芸術家を志す若者たちへの夏子の想いが隼人の心によみがえる。
 ぼくらの時間はいまはじまったばかりだ。父のように死ねるかも、などと寂しいことは考えないでください。
 ルノーのルーフになにか衝撃があった。おおきな翼が風をたたいている。夏子が顔をひきつらせた。
「おでむかえよ」
 ばさっと、黒い巨大な蝙蝠がフロントにへばりついた。
 とがった口。小さな目。
 ピーッという音。
「敵ではないわ。もどれ。大谷へはくるな。大谷へはこないほうがいい。といっているのよ。
 夏子が隼人に伝える。
「兄のRFのなかにも、わたしに味方してくれるものがいるのね」
 夏子がうれしそうにため息をつく。
「ごめんなさいね。わたしは、どうしても雨野をたすけだしたいの。仮死のままの母に会いたいのよ……せっかく警告にきてくれたのに、ほんとにごめんなさい」
 蝙蝠はあきらめてとびさった。
「いくわよ。油断しないで」
 フロントに吹きつける妖霧はさらに濃くなった。ライトをつけた。
 空には黒雲が渦巻いている。あたりが暗くなった。雨粒がひとつぶ、フロントにあたった。その雨滴が窓枠の下まで落ちてくる。みるまに視界は雨の簾で覆われた。北関東名物の雷雨となった。
「危なくなったら、隼人は逃げて。わたしは死なない。死ねないからただから。だから心配しないで、わたしをおいて、逃げて。ここでそれを約束してくれないと、そうでないと、これからいくところの、怖さを理解できない。わたしも隼人をつれていけなくなるから」
 夏子が唇をよせてきたて。さわやかなミントの香りにするキスだつた。
 夏子は冷やかに燃えていた。

9

 採掘坑跡に着いた。
 廃坑の入り口から生臭い匂いがふきだしている。



吸血鬼/浜辺の少女

2008-04-28 09:45:29 | Weblog
4月28日 月曜日
吸血鬼/浜辺の少女 20 (小説)
 道場がいつものように静かになった。
 隼人は鹿沼土の寝床に横になった。夏子が隼人の腕を枕として、顔を寄せてくる。
 悲しみと寂しさの陰りが青白い顔にある。月の光が武者窓から射している。
 夏子が直接心にひびいてくる声で話しかけてくる。
「母の育った道場にいるなんて夢のようだわ。明日は大谷にいってみましょう。そこに、雨野はとらわれているの。それに……母がいく世紀にもわたって仮死の状態で生きているの。会いたいな。もう、百年以上も会ってない。会いたいわ。母は、わたしたちの出会いをよろこんでくれるはずよ」
「ぼくも、夏子のお母さんに会いたい。似てるの」
「それはもう、そっくりだといわれていたわ」
 夏子は遠くを見ている。夏子にとっての過去とは、どれほどのものなのだろうか。人間はかならず死をむかえる。ぼくが死んでも夏子は永遠に生きている。夏子の遠い未来の記憶の中でぼく生きつづけていることだろう。
「隼人にも一目でわかるわよ」
「たのしみだなぁ」
「隼人の腕、たくましいのね」
 隼人はその腕で夏子をだきしめた。
 夏子がさらに顔をよせてくる。
 ふたりの唇が、道場の鹿沼土の寝床で、触れあった。
 夏子があえぐ。
「夏子すきだ。愛している。愛している。ずっとむかしから、ぼくらは出会い、愛しあう運命にあったような気がする。むかしからの約束だったような気がする」
 夏子はじっと目を閉じている。
 一筋の涙が頬をつたっている。
「ああ、鹿沼にもどってきよかった」
 幸せそうな声なき声が隼人の心にしみてくる。
「鹿沼にもどってこられて、よかった。隼人に会えてよかった」
 夏子が隼人の唇を吸う。
 甘い香りが夏子からたちのぼる。バラの庭園にいるようだ。
 ふたりはだきあつたまま、心で話しあっている。やがて、眠りがやってきた。

9

 大谷石の地下採掘場跡に隼人と夏子は真紅のルノーを走らせていた。
 一夜が明け、鹿沼土の寝床で癒された夏子は体力が回復していた。
「はやく雨野をたすけにいきましょう。母にも会いたい」
 そこにはだがしかし鹿人が待ちうけている。
 昼でも暗い。地下百メートルをこえる廃坑。
 大谷石を掘りだした跡の迷路のような廃坑。
 地下道がからみあい、もともと自然に存在していた洞窟をつなぎ、人間が迷いこんだらでてこられない。人外魔境の迷路。大谷。大夜。大いなる夜の一族の牙城にふたりはのりこもうとしている。そこが文字通りの、吸血鬼の牙の城だということをいまは知ってしまった隼人だった。
「夏子を、なつかしく想い、一目ですきになった理由もこれでわかりました。ぼくらはつながっていたのですね。後ろ姿だけなのに、浜辺の少女がすきですきで毎日のように美術室のポスターを観にいっていた。だから、ふいに現れた夏子に魅かれて……それが浜辺の少女だとすぐにわかって……」
 隼人の愛の告白だった。生きて帰れないかもしれない。


吸血鬼/浜辺の少女

2008-04-27 05:15:02 | Weblog
4月27日 日曜日
吸血鬼/浜辺の少女 19 (小説)
住みこみの門下生が『サツキ』栽培のために備蓄してある鹿沼土を道場に運んでくる。隼人も祖父の指図に従おうとした。
「隼人。そばにいて。おねがい」
 夏子が隼人を見上げて哀願する。
 お弟子さんたちがビニール袋をまず矩形に、寝床のおおきさにならべる。その中に鹿沼土を敷きつめる。急ごしらえの土で作った寝床ができあがった。
「よし。これでいい。ここに横になりなさい」
 幻無斎がやさしい、いたわるような声でいう。
 隼人は夏子をだきあげる。そっと土の寝床に横たえる。
「ああ、なつかしい、鹿沼の土。故郷鹿沼の、わたしを癒してくれる鹿沼の土。夜の一族は百年に一度は故郷の土をあびなければならないの。……だから隼人、その土に触れることができない永久追放は、生きながら死を受けいれることだったの……」
 隼人にだけつたわるテレパシーで夏子かささやく。
 他の人から見れば、夏子はただ黙って鹿沼土の寝床に仰臥している。
 淡い黄色のつぶつぶの土。顆粒状をした鹿沼土をなつかしそうに掬い頬ずりをしている。
 鹿沼土は夏子の体の上にもかけられた。
ドロ温泉につかっているようだ。
 鹿沼土が青白く発光した。この怪奇現象を前にしても、だれも声をだすものはいない。
 青い光はオロラーのように道場の高い天井いっぱいに広がる。だれも冷静にそれをみている。さすがは剣の鍛練で精神も鍛えぬかれためんめんだ。それでも西中学剣道部の荒川だけが小さな声で「わあ、きれいだな」と低い声ですなおに感嘆した。
 土の粒子のひとつぶひとつぶが、夏子の消耗した体力を回復させるためにかがやいている。夏子はみるみる精気にみちいくる。頬に血の気がさしてくる。
 鹿沼土はもともと無機質といわれるほどだ。なんの養分もない。それなのに、夏子は土から精気を吸いとっている。まるで充電しているようだ。
 夏子にとっては、故郷鹿沼の土は、癒しの土でもあるらしい。
 だからこそ、長い放浪の果てに故郷にもどってきたのだろう。
 夏子の呼吸が正常になった。深く呼吸するたびに夏子の上から土がさらさらとながれおちた。
 胸のふくらみがふるえている。瞼に真珠の涙があふれた。
 隼人は夏子の手をしっかりとにぎった。
「ありがとう。やっと鹿沼にもどってこられたのね」
「グランパ。これは……」
 夏子の急激な回復におどろいた。
 頬にほんのりと紅がさしてきた。
 夏子に生気がみなぎってきた。よろこびのあまり隼人は祖父のいやがる英語で呼びかけてしまった。めずらしく咎められなかった。
「隼人。おまえに、この魔倒丸を譲ときがきたようだ」
「それは! 魔剣」
 恐怖にみちた叫びだった。夏子がふるえている。
「そうだったの……。わたしは理想のパートナーに会ったわけね」
「遠い昔。一度は混ざり合った血。ご先祖さまにどうやら隼人、おまえは恋をしたらしいな。これも定めかもしれない。死可沼流の女が、昔この家から岩また岩の大谷に住む一族に嫁いだ。岩と砂ばかりの土地で作物ができるのだろうか。なにを食べて生きているのだろうかと危ぶむものもいたらしいが、勇猛果敢な一族でそこにほれ込んで親族のものもその婚姻に同意したという。それが……子どもをふたり産んでから……その一族がとんでもない魔族であると知った女はこの魔倒丸で夫を切り自害した。遺体はもどされず、この剣だけが送りかえされてきた。死可沼流奥儀、稲妻二段切りは二枚の刃で切ったような傷口になる。この剣は鹿沼の細川唯継の鍛えし業物。魔族も容易に再生できないということだ」
「わたしも聞いています。わたしは、そのかたを母として生まれたバンビーノ。一族のきらわれもの。来宮、ラミヤです」 


吸血鬼/浜辺の少女

2008-04-26 22:52:41 | Weblog
4月26日 土曜日
吸血鬼/浜辺の少女 18 (小説)
淡々とし口調で隼人がいう。それは隼人の死を賭けたことばだ。
「うれしい申しいれね。ありがとう。でも、忘れたの? わたしは、……血を吸えないバンパイァなのよ」
 夏子が悲しそうにいう。夏子はいま隼人にすべてをさらけだしている。心の痛手も。悲しい宿命も。すなおにことばにだしている。じぶんにささやきかけているような声だった。
 顔だけではない。首筋から手首まで青白くなっていく。
「ぼくの血をすって。元気になるならぼくの血をすってくれ。ぼくはどうなってもいい。遠慮しないで、さあどうぞ……」
 夏子とならどうなってもいい。夏子のそばにいられるならぼくはどうなってもいい。なんでもしてやりたい。たすかってほしい。ぼくらは知りあったたばかりだ。これからふたりで生きていくのだ。元気になってくれ。夏子が元気になるためなら、夏子の笑顔がみられるのなら、ぼくはなんでもする。
 どうしたらいいのだ。
 なにをしたらいいのだ。
 夏子。ぼくにできることを教えてくれ。
 なんでもしてあげる。
 このまま、なにもしないで、夏子が衰弱していくのをじっとみてはいられない。

7

夏子をかかえて武者門をくぐった。
 だれもみあたらなかった。皐道場の広い前庭には月の光がさえわたっていた。
 道場に明かりはついていたが、叫んで聞こえる距離ではない。こんなときに、携帯があれば。広すぎる屋敷がうらめしかった。一刻もはやく、夏子を休ませたい。
 ここにつれてきたのは無謀な行為だったのではないか。あのまま夏子の部屋で静かにねせておいたほうがよかったのではないか。隼人は心細かった。
 頼りになるのは祖父。祖父に夏子の容態を診てもらいたかった。
 庭も屋敷も、背後の雑木林もいま光りだした月明かりに照らされていた。静寂な夜の中でひっそりと静まりかえっていた。
 隼人は夏子をかかえてよろよろと歩いていた。
 夏子の顔から冷たい汗がしたたっていた。
 ロウがとけていくような汗だ。夏子の青白い頬から首筋にかけてながれていく。
 体温が感じられない。
「夏子さん。しつかりして。もうすこしだから」
「夏子でいいのよ」
 弱々しい声がする。
 夏子。ラミヤ。吸血鬼としてのあなたはもっと強いはずです。もうすぐ道場です。がんばってください。励ましの声が喉元までこみあげた。でも、吸血鬼と呼ばれることを夏子はよろこばないだろう。いやがるはずだ。
「いますこしですから」
 ありきたりの平凡な励ましのとばしかかけられない。この夏子への想いをうまくつたえることができない。
 もどかしい。せつない。いまはそんなことを想っている場合かよ。いままでこんな感情になったことはなかった。武者門の外に駐車場はある。車はそこに停めてきた。
 段差のきつい階段は夜露にぬれていた。躓かないように注意してのぼった。時間がかかりすぎた。
「おんぶしてあげる」
「はずかしいわ」
「こんなに弱りきっている。そんなこといわないで」
 隼人は強引に夏子を背負った。丸みのあるお尻に手をそえた。軽い。夏子が頬をよせてきた。氷のように冷たい。冷たい。夏子の冷や汗と涙だった。
 池で鯉が跳ねる。気の乱れを感じとったのか。鯉が水をもりあげて、はげしく泳いでいる。波立つ水面に跳ねた鯉の鱗が月光にきらめく。

8

「おじいちゃん」
 玄関を入る。隼人は必死で叫んだ。
 磨きあげられて黒光りする道場の床。道着にしみこんだ汗と男の体臭。それがすごく頼もしく感じられた。やっとついた。ほの暗い広がりの中に平穏ないつもの道場がある。それがすごく頼りになる。いつものわが家だ。
「だれかきて」
「これは……」
 奥から走りでてきた祖父の幻無斎が絶句した。
 夏子は道場の床に横たえられた。夏子の顔からは血のけがうせている。息もたえだえだ。青ざめた顔でそれで健気に挨拶をする。
「たすかったわ。……夏子ともうします。お世話になります」
「なにもいうな。わかっておる。そのままでは永すぎる眠りに落ちてしまう」
 幻無斎の命令は奇異なものだった。
「倉庫にある袋詰めの鹿沼土をありったけここに敷きつめるのだ」


吸血鬼/浜辺の少女

2008-04-26 15:20:38 | Weblog
4月26日 土曜日
吸血鬼/浜辺の少女 17 (小説)
鹿人が夏子の髪に引かれてよろける。それはみせかけだった。よろけるふりをしながら、背後のものにサインをだした。
「ひきょうょ。なにする気」
 夏子がすばやく気づいたが……。
「ひきょうは覚悟のうえだ」
 鹿人の顔が冷酷な笑みをたたえる。勝ち誇ったように哄笑する。
 ……雨野がとらえられた。剣をうばわれた。高野に白刃を喉元にあてられている。高野はおぞましい顔で不敵に笑っている。暴走族の頭。いまは吸血鬼の従者。レンフイルド。RF。疑似吸血鬼。
「レンフイルドの雨野京十郎でも首をはねられればあとかたもなく土にもどる。ふたたびこの世にあらわれることはない。どうするラミア。この髪を解いてもらおうか」  
「雨野を楯にとるなんて。どこまでひきょうなの」
 隼人……頼むわ、すきをみて、雨野をたすけてあげて。夏子の声なき声が隼人の心にひびく。隼人は動いた。それを田村がはばむ。田村の胸の傷はあとかたもなく消えでいる。いまは上半身むきだしだ。
「逃がさんぞ。まだ決着はついていない」
 鱗状の上半身もあらわに迫ってくる。
 隼人は焦る。
 木刀で胴に切りこむ。ばんと横に払った木刀がはねかえる。さきほどからおなじことのくりかえしだ。いくら打ちこんでも、突いてもまったく効果がない。
 ガチっとこんどはナイフで受けられる。
「兄さん。雨野をはなしてあげなさい」
「いやだね。そちらが髪を退くのがさきだ」
「ひきょうよ」
 夏子の髪が吸血鬼の戒めを解く。髪の拘束から解放された吸血鬼の集団がさあっと撤退する。雨野は高野につかまったままだ。
「ひきょうだわ。だましたのね」
「なんとでもほざけ。雨野はあずかった」
 よろけながら鹿人が逃げる。隼人が追いすがる。
 鹿人の姿が門の外に消えていく。霧のように消えていく。
「夏子、追いかけよう」
「よして。」
「さっきは、たすけてあげてと……」
「もう、まにあわない。追いつけないわ。でも、行き先はわかっているのよ」
夏子は鹿人の消えた方角をくやしそうににらんでいる。
遠くでバイクのおとがひびいた。
夏子がよろめく。
立っているのがつらそうだ。乱れた髪が肩にかかってかすかにゆらいでいる。息もたえだえだ。細くひきつるような呼吸をしている。それでも、ことばをつむぐ。
「わたしはくやしくて泣いてるのではないのよ。夜の一族なのに、血を吸えないのはわたしの罪なの。ただ血を吸えないということだけで、どうしてこんなにいじめられるの。ねえ、こたえて隼人」
「夏子。いまはなにも考えないほうがいい。心がみだれているときは、なにを考えても悲観してしまう。悲しくなる」
 夏子の髪が光沢を失う。色褪せる。
「あまりみつめないで。わたしが、おばあちゃんだってわかってしまう。消耗がはげしすぎたのよ。夜の一族と戦うと、こういうことが起きるの。……同族間の闘争をいましめるスリコミかしら」
「夏子。おねがいだ。ぼくの血を吸ってくれ。それで元気になるならぼくの血を吸ってくれ。夏子、すきだ。愛している。ぼくの血を吸って元気になってくれ」


吸血鬼/浜辺の少女

2008-04-26 09:00:30 | Weblog
4月26日 土曜日
吸血鬼/浜辺の少女 16 (小説)
雨野が剣を風車のようにふりまわし鬼島と戦っている。
「爺、ムリしないで」
夏子と隼人は囲まれていた。じりじりと吸血鬼が迫ってくる。
「なぜ、おそうの。兄妹で争うことはない。わたしの家からでていって」
夏子の悲しみが隼人のこころにしみこんでくる。夏子は兄と戦いたくない。夜の一族から追放され、一世紀にわたってヨーロッパを放浪してきた妹のふいの帰還。掟により追放された妹を表向きは歓迎できないとしても、襲撃することはない。兄が指揮して故郷についたばかりの夏子をおそっている。夏子は悲しんでいた。
「わたしの庭からでていって。あなたたちがいるとバラが枯れるわ」
 吸血鬼はむかし神の庭園の庭師だった。あるとき、バラの棘に刺された。ふきでた血をうっとりとすすっていたのを神にみとがめられて天国からおとされた。そんな伝承がある。夏子はバラを愛するが、ほかの吸血鬼はバラを忌みきらっている。バラさえなければいまも天国にいられたのに。天国の美しい庭の園丁で優雅なくらしがしていられたのに。と、バラの花をにくんでいる。
「争うことはないのよ。わたしはバラの世話でもして静かにここでくらしたいだけなの」
「嘘だな。なぜ帰ってきた」
 さきほどと、おなじ返事をして鹿人がさらに間合いをつめてくる。鉤爪が光っている。
 夏子の髪がのびる。10万本あるという女の髪が鹿人たちにからみつく。
「かえって。ここからでていきなさい」
 釈由美子のようだ。夏子が人差し指を真っすぐ鹿人にむけ「おゆきなさい」と叱咤する。
鹿人はさらに間合いをつめる。どうしても夏子をおそう気だ。爪がぶきみにさらにのびる。ナイフのような凶器となっている。
「うわあ。これはなんだ」
 まさに夏子をおそうためにさいごの間合いをつめた鹿人とその従者がおどろきの声をあげた。
「力がぬけていく」
「ラミア。なにをした」
 髪の触手が鹿人をとらえている。鹿人の顔が夏子の髪に埋もれている。黒髪がバチッと放電した。青白い光がとびちった。青白い光は髪の先に走る。そこに髪にとらえられたものたちの顔がある。日がかげり、あたりは薄闇になっていた。夏子の庭を闇にしたのは鹿人の能力だろう。薄墨色の闇の中でスパークは美しく光った。
 夏子には芸術的感動が蓄えられている。それが夏子の生きるエネルギーになっている。それは人の心を浄化する。芸術を志す若者に精気をあたえる。美の精華をつたえる。
 だが相手は吸血鬼だ。人外魔境のもの。人にして人ではない。不死のものたちなのだ。
「どうかしら」
 人を至福の芸術のよろこびに誘うエネルギーは、吸血鬼には死の苦痛をあたえる。人の苦しみを糧として生きる、血を吸って生きるものたちが、顔をゆがめて叫び声をあげている。
「どうかしら。みなさんわたしのバラ園からでていつてくださる」
「やめろ! やめるんだ。話し合おう。ラミア」


吸血鬼/浜辺の少女

2008-04-25 06:45:44 | Weblog
4月25日
吸血鬼/浜辺の少女15 (小説)
 盛り上がった芝生の筋が雨野めがけて収斂する。青々とよくのびた芝生がそそけだち、なんぼんもの筋があきらかに雨野の足元めがけて集まってきた。
地下からモグラのような生物が攻撃をかけてきた。
雨野が隠し持った幅広の剣を大地につきたてた。
バンと青白い炎が剣をつきたてた大地で炸裂した。
衝撃音が窓ガラスをこなごなに破壊した。
「念波アタックよ。わたしたちの防御バリアが破られたわ」
 とても信じられないことだが絵は完成していた。キャンパスの夏子をみるために現実の夏子が隼人のそばによりそった。「なかなかのできね」隼人の作品を見て夏子はつぶやく。  
ふたりはかたくだきあった。
絵の出来栄えを祝してふたりはかたくだきあった。
はげしくもえるようなキスをかわした。
「いくわよ!」
凛としたひびき。
夏子の気魄のこもった声だ。
隼人は絵筆を木刀にかえて夏子の後を追った。
夏子が念じる。お経のようにも聞こえる。陰陽師の呪詛のような念動力をひめたものだった。割れてちらばっていたガラスの破片が人型にうごめくものたちにむかって射こまれた。鋭角にとがった破片が雨野をおそおうとしている人型をヒットした。光にきらめきながら、無数の破片が人型を攻撃する。
 そこに声がする。破片は四散する。はねかえされる。むなしく大地におちる。
「あいかわらず、勇ましいことだ。白っこ娘。おれの従者がせわになったな」
「その呼びかたは、やめてほしいわ。鹿人お兄さま」
 空気が冷えた。肌寒かった。隼人は土埃のなかにいた。その目前で人型が具体性をおびてきた。
 どこといってかわったところはない。背のすらりとした、やせ形の若者の姿になった。チェックのシャツをダメージGパンの上にだらしなくだしている。背後には鬼島と田村がひかえている。そして、ああ、爬虫類の肌をした異形のものたち。
「夏子となのっているのだったな。妹よ、おまえはラミア、もどってきてはいけなかったのだ」
「兄さんこそ、なにをやろうとしているの。わたしをおそうなんて、あいかわらずいじめっ子ね。卑劣だわ。どこまでわたしをいたぶったら気がすむの。ごていねいなお出迎えありがとう」
「この鹿沼を支配したものが日本を統べることになるのだ。この県を統括することが日本を束ねることになるのだ。故郷を留守にしていたラミアはしらないのだ。近い将来、那須に首都機能が移転されることになるだろう」
「だから? だからそれがどうしたというの」
「わからないのか。この土地を手中におさめることが、日本を支配する。おれは闇の帝王になれるのだ」
「かわっていないのね。鹿人兄さん。兄さんは、人間を支配することばかり考えている。共に生きる道があるというのに」
「むだだったな。世界を遍路したことがなんにもなっていないのだ」
「わたしは故郷鹿沼の土の寝床でしばらく眠りたいだけなのに」
「嘘だな。なにを企てている」


吸血鬼/浜辺の少女

2008-04-24 21:09:53 | Weblog
4月24日
吸血鬼/浜辺の少女14 (小説)
 ふいに夏子の声にならない声が脳裏にひびいてきた。
「敵が来ている。はやく描いて。この屋敷にも入りこんでいるわ。彼らの邪念が感じられるでしょう。壁のつたが鉄錆色に退色したら危険信号なの……」
 夏子にそういわれてみれば、外から邪悪な思念が迫ってくる。
 異質なとげとげしい念波が隼人の意識のふちをちくちく刺している。
「ブラッキー・バンパイァですか。鬼島や田村ですか」
「ほら、おしゃべりしていると、雨野にしかられますよ」
 ラミアとの再会に、感動のあまり雨野の顔はほころんでいる。もう会えないかもしれない。ラミヤ姫の母、鹿未来(カミーラ)の密命を拝受して従者になってから何年になるのだろうか。忘れてしまった。
 人の血を吸うことができず、拒血症の白っこ、アルビネスとさげずまれ、群れを追われた姫のふいの帰還。うれしくて心がふるえている。
 ラミアの帰省。それも<心>を人にかよわせ、その相手の心のエネルギーを高揚させる。そのエネルギーをほんの少しばかり吸収することで、生きながらえる技を獲得しての帰還だった。この土地としては、新しいタイプだ。
 マインド・バンパイァ。人間の血を吸わず、人を殺してバンパイァとすることもない。なおさらに、人と共生できる技を目前にしても、まだそれを信じられない。雨野のよろこびが隼人の心になだれこんできた。
「信じられない。筆がひとりでに動き、配色まで無意識にやっている」
「それはわたしの心にある、ムンクのなせる技……」
 絵を描こうとする、いい作品を創造しょうとする意欲が高まる。精気がこんこんと隼人の中でわきあがる。
「いそいで」
 建造物の壁にはりついたつたがざわついている。風もないのに葉がひるがえる。ちりちりと干からびていく。つたの蔓が念波攻撃を受けて壁からひきはがされる。まるでいきているように空中で蛇のようにのたくっている。錆鉄色のつたの葉が宙にとびちる。
 しゃりしゃりに乾き、粉末となって降ってきた。その粉末の霧の中に人型のだが異界のものとわかるものが浮かびあがってきた。
「こんどの攻撃はつよいですね。みてまいりましょう」
「でないほうが、いいわよ」
 夏子の制止が聞こえていたはずだ。雨野は外にとびだした。
「爺はよろこんでいるのよ。わたしが戻ってきたので、生き返ったようなものね」
 それが、文字通り棺から再生したのだとは、さすがの隼人もまだわからない。
 雨野京十郎は目覚めた。この屋敷も忽然と現れた。これだけの屋敷があれば評判になっていたはずだ。
 雨野も屋敷も長い眠りから目覚めたばかりなのだ。

6

窓越しに雨野が庭を走るのが目撃できた。
雨野の前方で芝生が盛り上がる。

   赤い蔦

       



吸血鬼/浜辺の少女        麻屋与志夫

2008-04-24 14:22:57 | Weblog
4月24日 木曜日
吸血鬼/浜辺の少女 13 (小説)
ひんやりとした夏子の唇の感触が、夏子の家にむかっている隼人の唇にある。夏子のことを思っただけで胸の動悸が高鳴る。体が熱っぽくなる。すきだぁ。夏子のことすきだ。おれの恋人はバンパイァだぁ。と心の中でさけんだ。夏子はたぶんバンパイァとよばれることをいやがるのだろう。
 照れ屋の隼人にやっと恋人ができた。それも会ってすぐの、一目ぼれの恋人だ。
 A BOY MEETS A GIRL. そして恋におちる。 こんなことがおきるとは夢にもおもおわなかつた。あったとたんの恋人宣言。
 夏子の邸宅は、街の西南の地、鹿沼富士の裾野にある雑木林の奥にあった。隣接して五月カントリー倶楽部がある。なんども通った道のような既視感があるのは夏子の記憶が隼人の脳にプリントされたからだ。
 鋳鉄製の先は槍のように尖った塀にとりかこまれている。襲撃にあったあとだ。隼人は木刀を身にかくして門をくぐった。ちらりとみた表札は、雨野京十郎と時代がかったもの
だった。
「画材はすべてそろえてあるわ」
 再会の第一声、夏子の唇から洩れた言葉がそれだ。
「おもうように筆をすすめるのよ。隼人の感性のときめきのままに……描いていけばいいのよ……」
 夏子がよりそってくる。
 柑橘類のイイ匂いがする。なんていう香水なのか。夏子の体臭なのかもしれない。キスしたいのをがまんする。
 隼人は夏子をモデルに絵をかきつづけた。
 ずつとむかしから夏子をモデルにこうして絵をかいてきたような心地がする。心が高揚している。
 どうしていままで、人物を描かなかったのか不思議だった。なつかしい人に会えた。隼人は母の顔をしらなかった。剣道の師範である祖父に育てられた。これからはこの人だけを書きつづける。やっと絵筆をとることができた。絵を描くことはあきらめていた。実技はなかばあきらめていた。それで、西洋美術史を専攻していた。
クラブ活動ではときおり油絵を描いていた。たのしくはなかった。それが嘘みたいだ。夏子とむかいあって、彼女の肖像を描いているとふつふつと意欲がわきあがってくる。そんな隼人を夏子は愛おしそうに目を細めて眺めている。
全国大学美術連盟の秋の展覧会にはひさしぶりで出品してみよう。落選つづきだ。
 おなじ美術部に属する仲間の川島信孝は大判の画集の並んだ書架に、美術展での受賞の証として、金色にきらめく賞牌や楯を飾っている。それをみせつけられて屈辱感に苛まれた。
そのあげく、あきらめた油絵だ。
そのあげく、すてた実技だ。
やはり絵筆をとるのはたのしい。快楽だ。オイルの匂いもいい。絵筆がキャンパスをはしる筆触がここちよい。心のおもむくまま筆がはしる。何年もこうして夏子を描きつづけてきたようななつかしさがある。芸術家だけがあじわえる至福の時だった。純粋な存在に隼人と夏子はなっていた。クリスタルの中で生きているようだ。
「その気持ち。それがいいのよ」
 夏子の見えない髪がのびてきて隼人の精気をすいとる。
「ああ、すてき。すばらしいわ。こんなに純粋な精気をすうのははじめてよ」
 隼人と夏子の心が交感しあっている。
 隼人のよろこびは、夏子のよろこびだ。
 夏子に精気をすわれることによって、隼人はさらに高い芸術の境地へとのぼりつめる。