3月29日金曜日 雨
●夜来の雨がふりやまず、まだ降り続いている。16年も前に書いた随筆をどなたか読んでくれた。そこはパソコンのありがたさ。ポンとキーを打った。下記の随筆があらわれた。読み返したがけっこうおもしろいので再録しました。
2008-03-19 22:15:00 | Weblog
3月19日
瓦 (随筆)
瓦への憧憬は幼少の頃からあった。
明治維新のあと、士魂商才という言葉があるが、母の実家は瓦屋になった。
剣をもつ手で粘土をこね始めたわけである。そうした、父の苦境におちた環境の激変について、母はぼくによく話してくれた。
朝の陽光をあびて働く父や瓦職人の姿を実にリアルに話してくれた。
まんじゅう型の瓦窯から立ち上る紫煙を、庭先にでて家族全員で眺めたときの感慨など、明治を生きた人々の姿が、強烈な印象となって、ぼくの幼い脳裏にやきついた。
勿論、武器をふりまわすより、土をこねまわすほうが平和でいい。
自然に慣れ親しんで生活したほうがより人間らしい。だが当時は、これを没落といった。ながく停滞した武家政治が崩壊したわけで、悲劇がいたるところで派生した。
後年、母方の祖父が焼いた鬼瓦をみせてもらったが、素朴ななかにも武士の気魄のこもった重量感あふれるものであった。
未知の未来に向って何か形ある存在を残すのはいいことだ。ご先祖様との繋がりを子孫が親しみをこめて思いだしてくれるではないか。
ところで、わが家の板塀はシロアリにくいあらされてしまった。基底部はすでにボロボロになって塀に片手をかけただけで、ゆさゆさ揺れていた。雨水を吸った部分などは、にぎりしめると角材であったものがまるでミソのように一握りの塊になる始末だった。
大門さんに頼んで、深岩石の石塀にすることにした。このときになって、瓦のことがふいに脳裏をかすめた。門の屋根には瓦を葺いてもらおう。
雨にうたれた瓦の質感、わびた風情。
昔、京都を旅したとき、気ままに街を歩き回るぼくの目前にいつまでも広がっていた瓦屋根。母の話してくれた瓦屋の生活。瓦を焼く苦労と製品ができたときの喜び。そうだ、狭い屋根だが門は瓦にしよう、とおもったものだ。
陶器の色瓦はどうもすきになれない。あまり光沢がありすぎる。色調もけばけばしい。軽薄に映る。祖父の作品である灰色の鬼瓦を初めに見たためなのだろう。
門の屋根にのせられた瓦は、役瓦もいれて、わずか30何枚かのものであったが、ぼくにとっては、この上もない贅沢であった。
豪華におもえる。緑の群葉ごしに、朝の陽光が瓦にさしてくる。瓦は光を反射せずに、柔かくうけとめてほのかに光っている。
静寂がしみこんだような光りかただ。
風化のなかでさらに光りは渋さをますだろう。
雨が降ると、湿気によってそのつど様々な表情をみる。
楽しい。
さっそく、雀がやってきて巣を作った。こ雀の小さなくちばしから鳴き声がもれるようになった。
パパ。
スズメの赤ちゃんだよ。スズメが鳴いてるよ。
小さな舌のさえずりを、耳ざとくききつけた息子の学を抱き上げる。石塀の上にのぼらせる。顎を前方につきだして、門の庇をのぞいている。
パパ。
うごいている。
うごいているよ。
ぼくは形あるものを、それはぼくにとって完成された小説だが、未来に残せないかもしれない。だが、学の心を通して未来にメッセージを送ることはできる。自然を愛したぼくの心は学ぶに受け継がれるだろう。
パパ、スズメが巣からはいだしたよ。と学の声がひびく。
麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。
ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。
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3月19日
瓦 (随筆)
瓦への憧憬は幼少の頃からあった。
明治維新のあと、士魂商才という言葉があるが、母の実家は瓦屋になった。
剣をもつ手で粘土をこね始めたわけである。そうした、父の苦境におちた環境の激変について、母はぼくによく話してくれた。
朝の陽光をあびて働く父や瓦職人の姿を実にリアルに話してくれた。
まんじゅう型の瓦窯から立ち上る紫煙を、庭先にでて家族全員で眺めたときの感慨など、明治を生きた人々の姿が、強烈な印象となって、ぼくの幼い脳裏にやきついた。
勿論、武器をふりまわすより、土をこねまわすほうが平和でいい。
自然に慣れ親しんで生活したほうがより人間らしい。だが当時は、これを没落といった。ながく停滞した武家政治が崩壊したわけで、悲劇がいたるところで派生した。
後年、母方の祖父が焼いた鬼瓦をみせてもらったが、素朴ななかにも武士の気魄のこもった重量感あふれるものであった。
未知の未来に向って何か形ある存在を残すのはいいことだ。ご先祖様との繋がりを子孫が親しみをこめて思いだしてくれるではないか。
ところで、わが家の板塀はシロアリにくいあらされてしまった。基底部はすでにボロボロになって塀に片手をかけただけで、ゆさゆさ揺れていた。雨水を吸った部分などは、にぎりしめると角材であったものがまるでミソのように一握りの塊になる始末だった。
大門さんに頼んで、深岩石の石塀にすることにした。このときになって、瓦のことがふいに脳裏をかすめた。門の屋根には瓦を葺いてもらおう。
雨にうたれた瓦の質感、わびた風情。
昔、京都を旅したとき、気ままに街を歩き回るぼくの目前にいつまでも広がっていた瓦屋根。母の話してくれた瓦屋の生活。瓦を焼く苦労と製品ができたときの喜び。そうだ、狭い屋根だが門は瓦にしよう、とおもったものだ。
陶器の色瓦はどうもすきになれない。あまり光沢がありすぎる。色調もけばけばしい。軽薄に映る。祖父の作品である灰色の鬼瓦を初めに見たためなのだろう。
門の屋根にのせられた瓦は、役瓦もいれて、わずか30何枚かのものであったが、ぼくにとっては、この上もない贅沢であった。
豪華におもえる。緑の群葉ごしに、朝の陽光が瓦にさしてくる。瓦は光を反射せずに、柔かくうけとめてほのかに光っている。
静寂がしみこんだような光りかただ。
風化のなかでさらに光りは渋さをますだろう。
雨が降ると、湿気によってそのつど様々な表情をみる。
楽しい。
さっそく、雀がやってきて巣を作った。こ雀の小さなくちばしから鳴き声がもれるようになった。
パパ。
スズメの赤ちゃんだよ。スズメが鳴いてるよ。
小さな舌のさえずりを、耳ざとくききつけた息子の学を抱き上げる。石塀の上にのぼらせる。顎を前方につきだして、門の庇をのぞいている。
パパ。
うごいている。
うごいているよ。
ぼくは形あるものを、それはぼくにとって完成された小説だが、未来に残せないかもしれない。だが、学の心を通して未来にメッセージを送ることはできる。自然を愛したぼくの心は学ぶに受け継がれるだろう。
パパ、スズメが巣からはいだしたよ。と学の声がひびく。
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