田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

明日になれば一握りの骨と灰になってしまうリリよ。 麻屋与志夫

2016-04-30 17:44:44 | ブログ
4月30日 Sat.

●リリ、10:10分に死んでしまった。
明日は火葬業者がきてくれる。
それまでは、籐椅子のうえに横に成っている。
むっくりと、起きあがってきそうな気配がする。
だが、リリは息をしていない。
これが死ぬということなのだろう。
痛恨、涙もでない。
ただ、嘆くのみ。

●明日になれば、一握りの骨と灰になってしまうリリよ。
この1年と8カ月。
いっぱい、いっぱいの楽しい日々ありがとう。

●リリの肉体はほろびても、
わたしたちはリリのことは忘れない。
いつもいっしょだよ。
いつもいっしょにいるのだからな。
リリよ。
リリよ。



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寒い朝、リリが苦しんでいる。  麻屋与志夫

2016-04-30 06:10:37 | ブログ
4月30日 Sat.

●3:30分。
まだ外は暗い。
寒いので起きだしてセェターを重ね着したところだった。
枕元の携帯がなった。
「リリ、がまたおかしい。きてぇー」

●リリの呼吸が荒い。
先日VIVAで買った新しいツメトギ台のうえに腹這いに成っている。
腹部が大きく波打っている。
枕元に水をやったが、なかなか飲まない。
カミさんはサッサと片付けてしまう。
そのままそこに置いておいたら。
やがて、リリは舌をだしてかんがえていたが、
ペロペロと二度ほどのんだ。
それも一度目と二度目のあいだが、
休んでいるあいだがながかった。

●「このまま、そっとしておいて、むりに食事をあたえないほうが、いいのかしら」
また安楽死のことが、話題となる。

●このリリの姿がこの世からなくなる。
とても、耐えられそうにない。
でも、どんなに愛している猫との生活も、
いつかは、おわりがくる。
かわらないものなんか、ない。
理屈では、わかっていても、
かんがえただけで、悲しくなる。

●ホリゴタツを点けてパソコンにむかう。
ブラッキ―がきてもぐりこんだ。
けさは冬なみに寒い。
たぶん、10°を下回っているだろう。


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リリ、危篤。なんとか生きて。夫婦は老いの眼に涙。 麻屋与志夫

2016-04-29 04:09:18 | ブログ
4月29日 Fri.

●風呂上がり洗面所で歯を磨いていた。
「パパ、きて。パパ」とカミさんが絶叫している。

●おおきなホリゴタツのある部屋をぬけ、
離れの引き戸をあけ、
渡り板を踏み、
キッチンを通り過ぎ、
テレビのある居間にかけこむ。
こういうときは、家が広いのも、考えものだ。ありがたくはない。

●カミさんは、リリに餌を、注射器でやろうとしていた。
いやがる。
それでもムリに口をこじ開けようとした。
リリの呼吸があらくなって、ぐったりとしてしまった。
……ということだ。

●「ねえ、どうしよう。どうしよう」もう涙声だ。

●どうみても、リリは黄泉比良坂をとぼとぼとあるきだしている。
「リリ。おいで。まだはやすぎる。もどっておいで。まだはやすぎるよ」

●こんなに呼吸が荒く、
苦しそうなのに、
ムリにでも生きていてもらいたい。
これは飼い主のエゴかもしれない。
このまま死なせてやった方が、
ラクニなるのだから、
いいのかもしれない。
安楽死ということばが、またもやわたしの脳裏をかすめた。

●心配なので、離れの部屋にわたしもフトンを敷いてもらった。
夫婦でリリを中に入れて、川の字になって寝た。

●いまのところ、なんとかリリは落ち着いている。
呼吸もすこし荒い程度。

●でも、食事はとらない。
水ものまない。

●カミさんとわたしは老いの眼に涙の夜を過ごしている。

●リリ、げんきになってよ。
おねがいだ。

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きょうはひねもす小説の日。  麻屋与志夫

2016-04-28 06:58:09 | ブログ
4月28日 Thu.

●夜来の雨が降り続いている。
昨夜は、風呂に入るはずだったが、
カミさんが疲れてしまい、パス。
寝床の布団の上に枕の方に足をむけ――。
カミさんはリリとうたたねをしていた。

●同じように、カラダをエビのように曲げて寝ていた。
こがらなカミさんとリリの相似形の寝姿。
猫はうたた寝のカミさんによく似合う。

●毎日四時間おきに注射器でリリに食事をあたえている。
つかれきっている。
はやく、固形の餌をじぶんから食べられればいいのだが。
このままでは、カミさんがツブレテしまう。

●「方舟の街」仮題。どうにか第一稿は書き上がった。
これからが大変だ。
鹿沼を舞台にした小説はしばらくは書くことはないだろう。
この作品は傑作にしたい。

●いま書いている作品は、宇都宮に取材している。
どんな作品になることやら。

●むかしは、小説や詩は青春の産物と思っていた。
いまでは、文学の勉強をしてきてよかったと思う。
老境の身ではあるが、作品をうみだせるのはウレシイ。
長年の想いを、家にこもって書きつづるのは、タノシイ。



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リリのお手柄。ムカデを退治。 麻屋与志夫

2016-04-27 15:26:20 | ブログ
4月27日 Wed.


●なにか気配を感じた。かすかな音がする。リリは虚空を見上げ鼻をひくひくさせた。耳をぴくぴくさせていた。

●リリのこの動作をカミサンがみのがさなかった。こうした動きを猫がするときは、なにかいる。

●「キャア―」とカミサンが悲鳴をあげた。この世の終わりが到来したようなけたたましい悲鳴だ。

●その絶叫をききつけ、わたしは離れ座敷に急ぎ、引き戸を開ける。カミサンの指さすふすまの上のほうに。いた。ムカデだ。10センチ以上もある。わたしはあわてて、手にしていたバインダでムカデを叩いた。

●「噴霧器。ゴキブリ用でいい」とカミサンに叫ぶ。

●カミサンが持参した噴霧器――で、わたしがムカデに向かって吹きつけた。ムカデが畳におちた。

●多寡がムカデくらいで、なぜこんなに大騒ぎになるのかというと――。数年前のやはり五月のゴールデンウイークだった。わたしがムカデに刺された。ひねりつぶすのは、かわいそうだとおもい、ティシューでつかまえて、刺された。

●痛みはたいしたことはなかった。体がふるえだした。動悸が高まった。おどろいて、深夜であったが、お客に来ていた娘に上都賀病院まで連れて行ってもらった。

●「リリ。偉かったね。よくしらせてくれたね」カミサンはリリにほほずりして、ほめている。

●リリは病気でほとんど動けない。カミサンの寝床の裾の方に座ったきりだった。もしカミサンが刺されたら、そのショックで……心臓の弱いかのじょだ――。

●リリのお蔭でたすかった。なにもしないで、おまえは生きているだけだ。なんていったらバチがあたるな。

●リリちゃんありがとう。




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年寄りの冷や水 麻屋与志夫

2016-04-26 06:21:19 | ブログ
4月26日 Tue.

●鹿沼の街を散策していても声をかけられることがすくなくなった。あちらに旅たってしまった同級生が多い。健康年齢ということがいわれるが、生きていても、外を出歩けないひとがいる。結局、同級生で散歩のできるのはわたしだけになってしまった。なんとも、さびしい。

●病弱で二十歳まで生きられないだろうといわれていたわたしが、健康でいちばん長生きしていることになる。

●学習塾を故郷のこの鹿沼でやっているが、東京オリンピックから東京オリンピックの間やっていることになりそうだ。あと四年は軽いかるい。希望としては、あと28年くらいがんばりたいものだ。最長不倒距離を誇りたいと日々鍛錬の連続だ。

●いちにち、一時間は散歩する。そのほか、ベニマルまで大きなリックを背負って買い物に行く。カミサンの買い物に付き合う。この時間は三十分ほどかかる。一日おきにベニマルには行く。十キロくらいの荷物を背負うことが出来る。――三浦さんには及ばないが。

●風邪をひいて、それでもこのところグズグズとした生活を送った。こうしたときは、猫ちゃんたちを見習っている。もう徹頭徹尾、動かない。じつとしている。あまり薬にたよらない。薬にたよるほど、自己治癒力が低下するようだ。

●今宮神社の切り倒された大ケヤキをみてかんがえた。芯は空洞に成っていた。人間も、体力だけに留意して、頭のナカミのこともかんがえなくてはだめだ。中から枯れていく。頭が先に死んでしまう。

●毎日、朝起きるのが怖い。なにもすることがないので、怖い。

●などというひとは、もう死んでいるのだと思う。

●わたしは頭は酷使する。朝四時起床。根気のつづくかぎり小説をかく。疲れたら、英語の勉強をする。これは気ままにやっているので、ストレス解消に成る。

●そのうち十年ほどやすんでいる書道を始めようかな……。

●じぶんが、歳を取ったと内心では思ったことはない。この生き方は、年寄りの冷や水といわれそうですよね。



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日暮れて道遠し   麻屋与志夫

2016-04-23 07:17:14 | ブログ
4月23日 Sat.

●「どれくらいかかりますか?」

●目的地までの時間、どれくらいでそこまで行けるか訊くと、「10分くらいで着きますよ」という返事がもどってきた。

●ところが、歩けども、歩けども、目的地に到達できない。こんな経験をしたことがありますか? ないでしょうね。だってみなさんは車にのっていますもの――。わたしは車にはのらないで、徒歩の時間で距離をかんがえます。

●車で10分というと、歩くと1時間くらい、いやそれ以上かかります。

●若い時、隣町の宇都宮から歩いて帰って来たことがある。とぼとぼ歩いているうちに、日が暮れ、こころぼそかった。3時間ほどかかった。わたしの歩行時間に関する思考回路はこの時の経験からなりたっている。宇都宮までは三里(なんて古い)、12キロ。車で15分。歩いて三時間。徒歩では1時間に4キロ。薄暗くなった道をひたすら、鹿沼に向かって歩きつづけた。

●「日暮れて道遠し」なんて感覚はいまのひとには実感としては理解できないだろう。二足歩行がたよりだったわたしたちの世代の人間だけが、若き日の感傷とともに思い出すことだろう。

●恋人の家まで通い詰めるなどという言葉は歩行者でなければわからない。

●いまでは、二足ではなく4輪だ。

●日暮れて道遠しと言えば、「徒然草」の112段だ。白居易小伝に、「日暮れて途遠し。吾が生己に蹉跎(さだ)たり」とあるところからの引用だ。

●わたしの周囲から知り合いが消えていく。まず歩けなくなる。寝たきり病人に成る。そして――。

●幸か不幸か、わたしは車にはのらないので、むかしから二足歩行、足だけが空間移動の手段だ。いまでも、10キロくらいはリックにつめて歩いている。日暮れて道遠し、わたしの人生は思うように成らなかったことのれんぞくだった。などと考えて、とぼとぼと、10キロのお米を背負って夜道をベニマルから帰って来ることがある。

●健康だけが取り柄。それも、二足歩行をつづけてきたからなのだろう。とクルマ社会からハジキとばされているわが身を自嘲しながら歩きつづけている。

●カミサンの弟の永代供養がこの月末に宇都宮の恵光寺でとりおこなわれる。「駅から5分くらいですよ」と言われて、「ああ、車での時間だな」と理解出来たのは上のような経験があったからだ。




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ごくあたりまえの風景が消えてしまった。 麻屋与志夫

2016-04-22 04:51:14 | ブログ
4月22日 Fri.

●もののあるがままの相(すがた)であるとして、道元禅師語録に「鶏は五(ご)更(こう)(午前四時)になると時を告げて鳴く。とある。今朝しばらくぶりで四時起きをしてブログを書きだした。

●鶏の鳴き声はしない。わたしが子どもの頃には、鶏の時を告げる声が随所でしたものだった。朝の早い製材所、建具屋の機械ノコのひびき。犬の遠吠え。恋猫の鳴き声。も聞こえてこなくなってから久しい。

●わたしは雌猫二匹と同棲している。オスの、野良猫が寄って来たものだったが、もはや、野良猫のすがたはみうけられない。

●ペットショップ、日曜大工の店「カンセキ」や「VIVA」のペット売り場でも、この三月ほど猫の姿は消えている。この街では猫の人気がないのだろうか。

●ごくあたりまえに見受けられた風景が、猫がうろついていたり、犬が吠えしていたりする光景がみられなくなってしまった。

●いまこの街はどこにむかって、進んでいるのだろうか。わたしなりのこれから書く小説のテーマとなった。

●書きかけの作品は別だが、ライトノーベルは卒業した。





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安楽死についてかんがえている。 麻屋与志夫

2016-04-21 11:07:15 | ブログ
4月21日 Thu.

●安楽死についてかんがえている。人間の安楽死ではない。猫の、リリの安楽死についてである。どんなに、かわいがっていても、愛していても、死はかならずおとずれる。別れはやってくる。

●人間よりも寿命の短い小動物と生活をともにしていると、その別離の悲しみをなんども体験することになる。こんなことを書くと批判されるだろうが、わたしの場合、人の死よりも愛猫に死なれたときのほうが悲しかった。初代飼い猫のミューに死なれたときの悲しみはいまでも忘れない。

●animal euthanasia  animal mercy killingなどという言葉が脳裏をかすめる。

●リリは苦しんでいる訳ではないが、むりにこじ開けた口に注射器で餌を入れてやる。その行為がリリには迷惑、いじめられていると、思うのか、すごくいやがる。すすんで、固形餌を食べてくれればいいのだが――。

●トントントンと足音をひびかせて二階らリリが下りてきた。
「生きてて、よかった。よかつたね」とカミサンはリリを抱き上げてホホずりをしている。

●安楽死について話したわたしのことをどう思っているのだろうか。

●よくなったり、わるくなったり、いまのところまだリリは健在だ。




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健康で長生きしなければ、とあらためて思った。

2016-04-20 09:17:28 | ブログ
4月20日 Wed.

●桜を観られなかった。
気がつけば、はや、蕊(しべ)桜の季節となっていた。
薄桃色の花びらと違いやや色も濃くなったシベが、
大地に重なっておちてきている。

●花ミズキ通りでは、
まさにこれから満開のときをむかえようとしている。

●三月の末にひいた風邪が治らない。
寝こむほどではない。
買い物にも出かけることが出来た。
それなのに桜を観にいこうという気力がなかった。
小説を書くのもお休み。
一つ月も、小説をかかないなんてことは、初めてのことだった。
やはり歳なのかと酷く気が滅入った。

●リリはなんとかがんばって生きている。
カミサンが一日に五回くらい注射器で(もちろん針はついていない)が、
食事を与えている。
でも、あまりよろこんで食べない。
今週からインターへロンは休すむことになっている。
べつに、元の元気な状態にもどらなくてもいい。
生きつづけてもらいたいと願っている。

●カミサンもリリの看病疲れで参っているせいか、
これまた風邪が治っていない。

●抗加齢協会から推奨されるほど若く見える、
カミサンも寄る歳波にはかなわないのか。

●先日見た今宮神社の大ケヤキの内部。
空洞になって枯れているのを、思いだした。

●外見ではわからないが、
老いはまさに体の中で始っているのだ。
さびしくなった。



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