田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

亡き友に捧げる詩 麻屋与志夫

2019-01-26 06:45:27 | ブログ

1月26日 土曜日

●昨日は、ベニマルの屋上から千手山を眺めているうちに昔書いた詩を思いだした。
カクヨムの「詩の部屋」から転載しますね。
本当はもっと詩を書きたいのですが、散文作品を大量生産しているので――。
でもこんなことをつづけているとあたまが散漫になるいっぽうですよね。
ああ、もっと詩を書きたいな。


いまは黄泉の国にいるともだちに

ことしも葉桜の季節になった
花をみずに葉をみにくる――
花が咲くころは華やかすぎる
人ごみのなかで花など見上げ
たのしいなんておかしなこと

いつもきみたちと座っていた
千手山公園のてっ辺のベンチ

ここから故郷の街を見下して
青春のゆめをかたりあったね

政治家に なりたかったきみ

お金もちになりたかったきみ

女の子にモテタクテいたきみ

演劇にうちこみたかったきみ

絵かきに なりたかったきみ

小学校で教鞭をとりたかった

成功したもの挫折したものも
いまはみんな泉下のひとだね

さびしいよさびしいよ
桜の葉をみあげながら

いまぼくは言の葉をつむいでいる
いつになっても小説が完成しない
いちばんひ弱なぼくが長生きして
こうして 言の葉を茂らせている

不公平だよな
過ぎ 去った
とおい盛夏のアブラゼミの鳴き声
でも でもいますこし猶予をくれ

ぼくらの生きた
ぼくらの青春を
書きとめるまで

いますこしそこでまっていてくれ
そのうち酒を携え会いにいくから

あいにいくから
あいにいくから


ブーゲンビリア

ことしの夏
ブーゲンビリアは
咲かなかった
南国の真紅の花
文学作品でしかしらなかった
情熱の血ふぶきの花

ヨーカ堂のフロントの花屋で
鉢植えの花を妻と選んでいた
ときだね きみとあったのは
来春の市長選にでるから 
よろしく
とあいさつされた

そのきみが 当選の報をきいたのは
臨死の床
そして息をひきとるまでの
百五十秒
にっこり と 笑って 死んだ
と 新聞は報じていた
きみはなにを考えていたのだろう

花を思え 咲かなかった真紅の
ブーゲンビリアを追慕せよ
一秒に一ひら花弁を造形せよ
ヒャクトゴジュウの花弁を
友の墓前に捧げよう

はじめて 友の死にあった
詩人は 死人のように
青い夏を生きています
ことしは冷夏
さむざむとした夏だ
ブーゲンビリアは 咲きません
きみのところでは
どうなんだい……

注 市長当選後、数秒で他界したわが友、稲川武君へ。


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三浦雄一郎さんには及びもつかない。GGだなぁ。 麻屋与志夫

2019-01-25 20:46:08 | ブログ
1月25日 金曜日 快晴
●ベニマルの屋上にでる。

●三浦雄一郎さんがアコンカグア登頂断念。そんなニュースがテレビからながれていた。
三浦さんとは同年代である。元気だなぁ。と、つくづく感心する。

●寒かったが、いいお天気なのでベニマルまで買い物にでかけた。途中。「街の駅に回らない。里芋、買いたいわ」妻の言葉できゅうきょ行き先変更。回り道をしたので疲れた。三浦さん。三浦さん。三浦さん。お題目のように唱えながら、大きなリックを背負って寒中の街を歩いた。

●歩き疲れてベニマルに着いた頃には、腰が痛んでいた。

●休むためのベンチは屋上にしかない。万年元気印の妻とわかれた。幅の狭いエスカレーターに乗る。はるか先に、屋上の出入り口のオートドァが見える。山頂を目指す三浦さんをおもった。

●バカかお主。エスカレーターで屋上を目指す、数秒を――南米大陸最高峰アコンカグア(標高6961メートル)の登頂に挑戦する三浦さんの心意気と比べるなど、僭越きわまりないぞ。じぶんの愚かさにあきれはてる。

●だいいち、こちらは屋上にでるにも、エスカレーターを頼っている。

●屋上にでたからといって、木製のベンチに腰をおろして休むだけだ。

●日光の男体山や白根山の冠雪をぼんやりと眺めているだけだ。

●左手には千手山公園の〈恋空の観覧車〉が見えている。今日も動いていない。その横に水道山の白い塔。

●あのあたりを友だちとよくトレッキングしたものだ。

●回顧にふけっていると「オマタセ」と妻の元気な声。

●リックを後ろから支えて背負わせてくれた。

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小川に氷が張っていた。リリの思い出。 麻屋与志夫

2019-01-21 18:32:00 | ブログ
1月21日 月曜日 晴れ。午後風強し。

●わが家の隣りに広い駐車場かある。その東の端に、もじどおり一またぎできるような小川がある。川であるからには、いつもだったら、いちおう水が流れている。今日は午後になっても薄い氷が融けていなかった。

●二年ほど前、愛猫リリがトラックの音におどろいてダッコしていた妻の胸元から逃げたことがあった。いつになってももどらないので、この川を遡ったことがあった。そのときは水は流れていなかった。この街の川は、とぎどき水が流れなくなる。おそらく運河、人工の川なので、上流を堰き止めることがあるのだろう。

●小川は両縁から草がかぶさっていた。長くつづくトンネルのような小川を弁天池のほうまで、小声で「リリ、リリ」と呼びかけながら妻と歩いた思い出が蘇えった。そのわたしの背に今日は寒風かふきつけていた。昨日は、春風のようだったのに。

●寒暖の差が激しいら「風邪をひかないように、注意しなければ――」などと話しあいながら街にでた。

●今日も、あわただしくトラックがゆききしている。



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If Winter comes, can Spring be far behind ? 春が来るのだろうか。 麻屋与志夫

2019-01-20 12:47:37 | ブログ
1月20日 日曜日 薄曇り

●寒い。庭も遠景の家々までも灰色の埃をかぶっているようだ。乾ききっている。

●それでも庭を見回っていると、木の芽がプッント米粒ほどについているのが見られる。早く雨がふらないかな。暖かになれば木の芽がふくらみだすだろう。

●セッカチデスヨネ。今日から大寒。まだまだ寒い日がつづくだろうに……。

●でも、If Winter comes, can Spring be far behind ?(冬来たりなば春遠からじ)と言うじゃありませんか。

●これは、ご存知のように、イギリスの詩人シェリーの詩が原典です。? マークがあるところが微妙です。引用も各所でみうけます。?マークがついていないときもあります。

●GG的には、肯定として訳してある名訳よりも、春は遠いのだろうか、というほうが心情的にはしっくりきます。

●GGの場合、吹きっ曝しの西風をあびて小説を書きつづけているので、なおさら東風、春の気配を待ち望んでいるのかもしれません。

●今年あたりなにかいいことがないとつらいです。

●横綱稀勢の里は初日から三日黒星。それで引退を決めましたね。相撲の世界は毎日が勝負。厳しいものですね。

●GGなど、平成五年に『月間小説』で原稿料をいただいたきりです。二十五年間鳴かず飛ばすです。be oblivious [forgetful] of モノカキにとっていちばん悲しい忘れられた作家というところです。

●なんとか、思いだしてもらいたいと、カムバックしたいと毎日小説は書きつづけています。はたして春が訪れてくれるのでしょうか。来るといいな。

●ローランサンも悲しく歌っています。『死んだ女より 悲しいのは 忘れられた女』と……。



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ネコちゃんのいない冬。こころまで冷え込む。 麻屋与志夫

2019-01-18 17:49:05 | ブログ
1月18日 金曜日

●雨が降らない。
空気がかわいて、風も冷たい。
そとにでるのが億劫だ。
庭の草木の葉までパサパサに乾いている。
触れてみると、まるで造花のようで、潤いがない。

●ネコちゃんのいないはじめての冬を過ごしている。
半世紀もネコと共に暮らしてきた。
あのフカフカして、暖かな手ざわりがないまま寒い冬を過ごしている。

●わたしがホリゴタツの電源をいれると、そのかすかな音をききつけて、うれしそうに仏間に走りこんでくるネコちゃんはもういない。
このところ三度もネコちゃんの死にたちあった。
早過ぎたリリの死。
ブラッキ―。
そして保護してわずか十日足らずでのココの死。
もう、ネコちゃんの死をみとるのにはたえられない。
悲しすぎる。

●これはわたしがGGになったからだろう。
二十年ほどまえにミュ―に死なれたときは、可哀そうだとはおもったが、精神的にまいってしまう、というようなことはなかった。

●歳はとりたくないものだ。




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障子に映る影。回想。うたたね。 麻屋与志夫

2019-01-15 11:58:46 | ブログ
1月15日 火曜日 薄曇り

●ときおり陽がさすと障子に庭の草木が幻のように浮かびあがる。
風か吹いているのだろう草の葉がゆれている。
大通りから離れているから車の騒音とは無縁だ。
部屋のなかは静まりかえっている。

●障子は――年末にかたくなに古い習慣を守っている妻が張り替えた。
妻の障子張りはもはや名人の域に達している。
ピーント張られていて小皺ひとつない。
皺ひとついまだにみられないものがもうひとつあるが……。
そのことは、また別の機会に書いてみたい。

●障子紙は手漉きの土佐和紙を使う。
いまはもうほとんど売られていない繋ぎ目のある和紙だ。
機械でつくられたものは、光を撥ねかえしてしまう。
日本古来の製法でつくられた和紙は、光がやんわりと紙をとおして部屋にさしてくる。
その光の風味がなんともいえずこのましいものだ。

●白い障子に映った草葉と樹の小枝はさながら水墨画を観ているような快楽をあたえてくれる。

●水墨画といえば、昨年他界した村上犀(倉持光雄)君のことをおもいだした。
人はこの世を去っても、おもいだしてくれる人がいれば、生き続けている。
彼との70年に亘る交流をおもうと涙がにじむ。
こんなときだ。おれも老いたものだなと嘆息するのは。

●そろそろまた書道をはじめたい。
書道は倉持の水墨画を理解するためには、
わたしも筆や墨のニオイのする空間に身を置きたいと、
ずっと続けて来た。

●小説家としてカムバックしたら始めようとおもい、
ここのところ書道に励むことは冬眠状態だった。
でも紙代のことをかんがえると憂鬱になる。
ビンボウ老書生にはむりだろうな。
いま半紙はひとしめいくらくらいしているのだろう。

●ぼんやりと障子の黒い影をみつめていると涙がにじんだためか、
黒い色が、ひと塊りになって動きだした。
いまは亡きブラッキーに見えてきた。
わたしはうとうとして、ブラッキーの夢のなかにとけこんでいた。


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New year's reflections.新年の抱負  麻屋与志夫

2019-01-12 22:23:50 | ブログ
1月12日 土曜日


●おくればせながら新年の抱負みたいなことを考えてみた。
実は街猫を保護した。「ココ」と名前を付けた。ところが、衰弱していて病気だったのだろう。一週間ほどで他界してしまった。最後まで水も餌もたべなかった。毎日カミサンと不眠不休で……かわるがわるこうたいしてがんばって看病したが、だめだった。ココの死を見つめて過ごしたこの正月の七日までに多くのことを学んだ。

●ココの死は悲しみとともに、わたしたち夫婦に貴重な経験をもたらした。

●先ず、わたしたちはもう若くはない。ネコを飼うのはもう無理。悲しいことだが、体がついてこない。ココの看病をしているあいだは疲れきってなにもできなかった。

●老醜について考えた。一年間のブログを読みかえしてみた。批判的に街や、街の様子を見てきていた。歳をとっているので「小言幸兵衛(コゴトコウベエ)」のようになっていた。これからは、批判したいことが有ったら、ブログではなく随想として書き公には発表しない。周囲のことは、淡々と眺める。

●小説を書くことに専心する。そして営業も考える。ブックウォーカーやカクヨムに発表
してある小説は見本のようなものだ。はたしてどの程度の作品なのかが、じぶんとしてはさっぱりわからない。この歳で「持ち込み」は辛い。だいいち杖をつきながら老醜をさらして出版社めぐりはもう無理だ。

●具体的にはどうしたらいいのかわからない。いい作品を書くことに精進し、カムバックできるようにも努力していきたい。

●お酒は出来るだけ控えたい。

●庭の隅、ミユー、ブラッキ―を埋葬した隣にココの墓穴をほりながら考えたことだ。


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家庭での教育は厳しく。 麻屋与志夫

2019-01-04 04:43:54 | ブログ
1月4日 金曜日

●迷いこんで来た猫にはカミサンが『ココ』という名前をつけた。ところがココと呼びかける日があとどのくらいつづくだろうが。病をかかえたネコだった。

●食欲がない。水もほとんどのまない。食事をしないからなのか、ウンチをしない。

●餌皿に固形餌、子猫用のやわらかなササミ肉etcをころみたがふりむきもしない。

●ところが流しのそばの野菜くずなどをいれてい置くゴミ入れのまわりを嗅ぎまわっている。

●もしやと思い、抱き上げてシンクに入れてみた。ナメテいる。シンクの水を飲んでいる。排水口を閉じて、すこし水をためてみたところピチャピチャ飲んでいる。

●「速く。美智子」妻を急かせる。これだけで、長年夫婦をしていると意味が通じる。

●妻がシンクに置いたササミをいくらか口にした。

●ノラダな。と哀れになった。野良ネコとして生きて来たので餌皿から餌や水を飲むことをしらなかったのだと推察した。この推察が正しいのか、否かはわからない。

●だがココの行動を見ていると街猫だつたのだなぁ、と思う。

●それでも、わたしたちが寝室に去ると、さびしがってナキツヅケル。

●シカタガナイ。今夜はわたしがホリゴタツデ徹夜をしている。ホリゴタツに入っていれば暖かなのと、わたしがいることがわかるので熟睡している。

●習慣とは怖いものだ。そこで日頃疑問に思っていたことについて考えてみた。

●勉強の習慣のついていない子がおおい。ここでいう勉強とは学問だけではない。社会生活全般に亘ることだ。

●なにか不安に思っていたことが氷解した。

●スーパーで買い物してると、ドツとカートを当ててくる。あやまらない。狭い通路で立ち話していて避けてくれない。レジで支払いをしているのに、後ろから押してくる。駐車場では警笛を鋭くならす。挙句の果て、人身事故。タバコのポイ捨て。横断歩道に人がいてもけっして止まらない。命がけで歩きだすと加速して迫ってくる。諸々。

●これらすべて教育の成果!!なのだ。家庭の教育もふくめてのことだが。

●もちろん全ての街の人がそうではない。未教育の人のパーセントが多い、ということで、悪い癖ほど目につくからなのだ。妄言お許しのほど。


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年賀状  麻屋与志夫

2019-01-03 09:52:10 | ブログ
1月3日 水曜日

あけましておめでとうございます。

亥年ですね。猪突猛進はすこしむりです。
夫婦合わせて今年は168歳になります。
二人三脚。といいますが、ふたりで五脚。
わたしが杖をついています。コラーゲン。
サプリの効果か、いまのところ二人四脚。
歩みが遅いとしかられますが。
のたりのたりと、焦らず歩き。
みなさまとの交流を楽しみに。
生き続けます。よろしくおねがいします。

今年の年賀状より。




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初売り、小説の初執筆。 麻屋与志夫

2019-01-02 17:18:27 | ブログ
1月2日 水曜日

●初売り。VIVAとベニマル。カミサンが買物をしている間に、屋上の駐車場に登っ
てみた。独りきり乗れない幅の狭いエスカレーターはさすがに元日の二日のためかすいていた。いつもは上りも下りも絶えずひとの乗り降りがあるのに、閑散としていた。

●屋上のドアをでてすぐに鉄製のベンチがある。そこに座って日光連山を眺める。男体山は頂上から麓にかけて白い縞模様があらわれている。昨夜あたりかなり雪が降ったのだろう。日光の峰々の手前の山にはまだ雪は降っていない。こうして見渡すと鹿沼は南だけは関東平野に向かって馬蹄形に開けている。三方は山また山に囲まれている。舟形盆地にあるのがよくわかる。

●黒川の河川敷。流れには鴨も白鷺も青鷺もみあたらなかった。枯れすすきの穂が寒風に揺れていた。河川敷の遊園地には遊んでいる子どもはひとりもいなかった。そのためか、よけい寂しい感じがした。

●小説のほうはあいかわらず正月から苦吟に陥り、パソコンの画面をじっと睨みつけているうちに時間は過ぎていき、ただただ焦るのみ。こういうときは、他の作品に移るのも一つの解決法なのだろうが、あまりそういう逃げはうちたくない。一作一作完成させていくのがGGにはむいている執筆態度と思っている。

●それにしても、遅筆とはカナシイ性だ。



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