田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

桜紅葉はまだかいな。 麻屋与志夫

2023-10-28 13:44:07 | わが家のニーユス
10月28日 土曜日
雨があがったので、午後、散歩にでた。
千手山公園の群葉にへんかがでた。
いつも四季をつうじて緑の葉をつけている樹はべつにして、桜の葉は色あせて淡い灰紫色になった。
もうすぐ、桜紅葉が見られるだろう。
紅葉した桜の葉が落ちつくせばこの里に冬が訪れる。
街の西にある岩山がごつごつした岩肌をみせることになる。
男体山の冠雪はいつごろになるのだろうか。

晩秋の景色をたのしみながら思考を重ね聖母幼稚園の脇をとおり、母校の門の前まで歩いた。


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たどり着きて今だ山麓。 麻屋与志夫

2023-10-28 10:40:05 | わが家のニーユス
10月28日 土曜日 朝から雷雨
たどり着きて今だ山麓。

わたしの恩師は木村学司先生だ。
劇作家であり小説家で浪曲の原作者だった。
NHK『浪曲劇場』という番組をもっていた。
「暇があったら、いやいそがしくても一冊でもよけいに本をよむことだよ」
と雑誌デビューをようやくはたしたばかりのわたしを導いてくださった。

『二十一世紀の会』に誘われた。
「わたしの故郷の友人です」と紹介された。
弟子ではなく友人。
先生の気配りに恐縮した。

この会には当時人気絶頂の徳川家康の山岡荘八。
村上元三。
俳優の大友柳太郎、江戸や猫八の諸氏が参加していた。

わたしは志なかばにして家庭の事情で田舎にもどってしまった。
それからというものは、六十年、生活苦とたたかいながら生きてきた。
この歳になってようやく文学以外のことには頭をつかわなくてすむようになった。

今朝は、はやくから雷鳴がとどろき雨がふっている。
掘りごたつのある仏間でこれを書いている。

おそらく、最後の文学青年となった。
これから二十年くらいは生きていないと、まとまった作品は書けないと思う。

芸術家の集落からは程遠い小さな田舎町に住んではいる。
心静かな境地でいられるのはありがたいことだ。
これから登ろうとしている山の高さはどれほどのものであろうか。


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超短編24「比喩間野 伊戸子ともうしますだぁ。」麻屋与志夫

2023-10-21 07:56:51 | 超短編小説
10月21日 土曜日

超短編24 「比喩間野 伊戸子ともうしますだぁ」

遠野将平はおどろいた。
SNSでつぶやいた。
塾の教師を引退した。
じぶんと同じだ。
場所ばかりとってもはや読むことも利用するともなくなった蔵書。
売却しようかな、とふともらした。

とたんに、驚くではないか。
古本屋さんから高価出張買取のPRがべたべた画面に張りついてきた。
SNSマーケッティング敏速さには身の毛もよだつ。

将平は部屋からでる。
インターホーンがなっている。
妻が帰って来たのか。
むぞうさに、玄関をあけた。
おどろいた。
若い女がほほえんでいる。
どことなく妻が若いときに、知りあった頃の彼女に似ている。

?????……。
「比喩間野 伊戸子ともうしますだぁ。」
肌だってIPS細胞で人肌よりもなめらかであたたかいですだ」

なんだかおかしな口調だ。
言語修復がひつようなようだ。
「不忍の池の鯉してみないか」

彼女は懸命にうりこむ。
それをいうなら、忍ぶ恋だろうが。
妻でさえ、見せたことのない媚鯛でせまってくる。
なんだか、こちらの言語感覚までおかしくなりだした。

これではいけない。
言語修復士となってありったけのわたしの情報をもちだす。
その情報とかかわりをもつレファレンスの過程から教えれば、
彼女は有能な女性になる。

まだこのとき将平はSNSマーケッティング怖さに気づいていなかった。
彼女はすばやく将平の思考を読みとった。
将平の教師根性をくすぐるっているのだ。

さらに自慢の美肌。
太腿をさらしている。
チラりと見せる媚態で迫る。
「どうする。将平」

比喩間野 伊戸子 ヒユマノイド 人型ロボット

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短編小説23 断捨離 麻屋与志夫

2023-10-20 08:13:24 | 超短編小説
10月20日 金曜日
超短編小説 断捨離
「蔵書、古本屋さんにきてもらって処分したら」
秋の彼岸で帰省した娘がすすめる。
「サンリオの文庫本は高いらしいいわよ」
「村上春樹の初版本がそろってるじゃないの」
妻と娘が口をそろえる。
このところ彼女たちは、断捨離推進派。
目をきらきらさせて処分できるものを探している。
「塾の黒板も売れるんじゃない。椅子も机も什器いっさい買い取ってもらえるものは売り払いなさいよ」
90歳で教壇を下りた。無収入となったわたしは無用の長物。
粗大ごみになってしまった。元気ハッラツとしているわが家の女たちが眩しい。



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超短編22「もう死んじゃうよ」麻屋与志夫

2023-10-17 08:30:36 | 超短編小説
10月17日 火曜日
「ショウチャン」
 老婆に呼びとめられた。銀座の街角だ。

「ほら、同級生のムッチャンだよ」
 覚えがない。古い記憶のページをぱらぱらとめくった。
「ほら、食べさっせ」
 なつかしい故郷の言葉だ。
 彼女は店頭のミカンをひょいと取りあげて彼にすすめた。
「みんな同級生は死んじゃったもんね」
「ムッチャンはげんきそうだ」
 
 名前で呼びかけられて老婆はすごくうれしそう。
 ミカンのあまずっぱい味が口の中に広がる。

「話しかけてくれてありがとう。また声をかけてよ」
「もう死んじゃうよ」
「そんな弱気なこといわないで元気じゃないか」
 老婆はうれしそうにほほえんでいる。深いしわがかがやいている。
 歩きだして、ヒョイと振りかえる。彼女はまだ手をふっている。
「武藤青果店」という古びた看板が遠い視野のなかに浮かび上がる。
 そしてその脇に、鹿沼銀座通りの標識。
 そうかここは故郷の鹿沼だった。
 コロナ疎開でもどってきた故郷だ。
『シャッター通り』になっている。
 開いている店はないはずだ。
 
 八百屋のムッチャンの姿が小さくなる。
 ひらひらふっている手は少女の手。
 
 わたしは病院にいそいだ。右手で杖をついている。
 内視鏡検査の結果を聞きに行くところだ。
 その日のうちに結果を教えてくれない。どこか悪いのか。
 あともってひと月というステージ。
 そんな最悪のことばかり脳裏をかすめる。

「もう死んじゃうよ」
 おれはまだ死にたくはない。
 
 戦後の動乱期を生きた友だちの、生きざまを書き残したい。
 話しかけたそうにふしめでわたしを見ていたムッチャンのことも。
 わたしに好意をもっていてくれた。そう思いたい。
 こちらから、あのとき話しかけていたら。
 もっと変わった人生になっていたかも……しれない。
 ひらひらと手をふっている少女の姿が鮮明に見える。




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はかなくさく秋海棠  麻屋与志夫

2023-10-14 10:09:39 | わが家のニーユス
10月14日 土曜日
淡いピンクの秋海棠の花がすきだ。
朝露が花びらの裏に宿っている。

下向きに咲く花なので花芯には宿れない。
わたしはそれでも、露に嫉妬した。
陽で透きとおった淡い花弁にとまっていられる。

でも、おまえの命は陽が高く上るまでだ。

やがて、おまえは蒸発して天に昇ってしまう。

だが、雨となり雪となりあるいはまた露となってわが庭に降りてくる。
そのときまでこのいじらしい花はこの庭にあるだろうか。

もうこの庭には咲いてしないかもしれない。
いや、この庭もわたしも存在していないかもしれないのだ。

だからこそこの一瞬の出会いたいせつにおもいたいのだ。

「ゴハンデスヨ」朝食の準備ができたと妻がキッチンでよんでいる。

こうして一日がはじまる。


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杖をついて、かえって転倒の危険がある 麻屋与志夫

2023-10-10 04:11:06 | わが家のニーユス
10月10日 火曜日
今日は暖かになる。天気予報だ。
昨日は寒がりのルナのために暖房をした。
室温15℃。
猫にはさむすぎる温度なのだろう。

いまはなきブラッキーは15℃になるとわたしの寝床にもぐりこんで来た。
二階の書斎に寝ていた頃の話だ。
いまになってみると幸福だったなあ。
健康になんの不安もなく、夜中に電気をつけて本を読むことが出来た。

いまは妻と同室なので電気をつけての読書は遠慮してしまう。
家庭のことはなにもやらないわたしのために。
男がやらなければならない仕事もこなして、夜は疲れ切って寝ている。
トイレに行くときも音を立てないように気配りしている。

気配りといえば――杖をこのところつくようになった。
転ばぬ先の杖という。
べつに杖なしでもあるけるのだが、なんども転倒している。

杖がないと不安なのだ。
つかれてくるとつい杖にたよってしまう。
みなさんはグレーチングという言葉をしっていますか。
側溝蓋のことです。
歩道などにはめこんであるあの金属の蓋。
穴があいています。
雨水を流し込む穴。
そこに杖の先がはいって再三ころびはぐりました。

あぶないですね。
老人の話題でゴメンなさい。
ご家族で杖をついているかたがいたら、ご注意。ご注意。

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祭りはおわった。街はずれで太鼓をたたくものは誰か? 麻屋与志夫

2023-10-09 09:58:23 | 本の話
10月9日 月曜日
祭りがおわった。
にぎやかなお囃子の音がきこえなくなった。
秋の雨が降りだした。

なごりおしそうに街のはずれで叩いていた遠い太鼓のひびきもとだえた。
秋の夜。
街のざわめきが空気のぬけた風船のようにしぼんでしまった。

昨夜は下痢。
昨年のいまごろも二月くらい下痢が続きなやまされた記憶が鮮明によみがえった。
注意していたのに。
なんとしたことだ。

眠られぬ夜をすごした。
朝。

雨は降りつづいていた。
青白い馬が、げんなりと首を垂れたような街に秋雨がふりそそいでいる。

読書の秋だ。
わたしは反省をこめて……。
むかし読んだフィリップ・ソレルスをはじめヌボーロマンの作家の本を。
五重塔のように積みあげた。

べつにぜんぶ目をとおすわけではない。
あれほど豊潤な熱意をもって読みぬいた本だ。
いまは、かわききった頭になった。
再挑戦して読もうと思っても頭に入らない。

なぜだ、なぜあれほど夢中で読めたのだ。

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老夫妻の間の友情のようなものは  麻屋与志夫

2023-10-07 14:18:02 | わが家のニーユス
10月7日 土曜日
老夫妻の間の友情のようなものは、友情のもっとも美しい芸術品である。三島由紀夫

今日は街の祭日だ。
朝からお囃子の響きで目がさめた。
明日が本祭りでにぎやかだ。
動く陽明門といわれる屋台が何台もでる。
絢爛豪華な彫刻屋台で街の誇りだ。

そこで、朝からの夫婦の会話。

「この街の祭りは職人町だから元気があっていいわよね。それに屋台が何台も出てすばらしいわ」
 
ともかく、この歳まで夫婦でいる。

予定調和ではないが、話がよく合う。
夫婦としての話がすごくたのしい。
それは恋人同士のときからだ。
聞き上手、話し上手の妻を相手にしているのだから。
これぞ幸せの極致と、まあまあGG的にはかんがえている。

ところがこのところ唐突に会話のなかに金のことが突入してくる。
「金がない。金がない、どうするの」
悲しくなる。
あることがあって、GGは国民年金に入れなかった。
理由を書くとあの苦難の時代をむしかえすことになる。

ヤーメタ。

無収入のGGの耳には突き刺さるような言葉が妻の口からとびだすのである。
「結婚したら愛を囁いた口から金、金という言葉がもれる」というようなフレーズをうたい上げたのは、ひそかにGGが私淑してきた金子光晴とおもってきた。
ちがうらしい。
そのかわり先生の詩をひさしぶりで読んだ。
そして遭遇した。
詩、偈より
「すぐれた芸術家は、誰からも/はなもひっかけられず、始めから/反古にひとしいものを書いて、/永恒に埋没されてゆく人である。」

うれしいことをウタイアゲテくれた。
もっとも反語的な意味合いを多用している詩人だ。
額面通りによろこぶわけにはいかない。


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秋深く、ひとり歩む文学の道 麻屋与志夫

2023-10-06 10:40:02 | わが家のニーユス
10月6日 金曜日
散歩から帰って少し寝た。
最近とみに疲れやすくなってきた。

なんとかいままでの体力を維持したい。
散歩をしたりダンベルを持ち上げたりしている。
だが急におそいかかってくる歳の波にのみこまれそうです。

寝ていて見る夢はともだちの夢。
功なり名を遂げたともだちもいる。
無名のまま亡くなった友人も多い。

一将功なりて万骨枯る。
なんだか古臭い表現でごめんなさい。
万骨のなかに入らないようにGGは精根をかたむけています。
あいかわらずお座敷のかからない小説をかきつづけています。

夢にでてくるともだちはもはやこの世にはいません。
語りあったり、励ましあった彼らが残ってはいません。
残っているともだちもいるのだろうが便りは絶えはてています。
寂しいです。

GGの泣き言に朝からつきあっていただいて恐縮です。
いま、イジメが話題になっていますね。
小学生のイジメをテーマ―にかいています。

色々な形のイジメがあります。
簡単に解決できないだけにモンダイですね。
嫉妬が、イジメの根底にあることは確かです。

いろいろと情報を集めるためにもわかいともだちがいればいいのですが。
田舎町なので文学を志すものがいません。
絵画はさかんなのですが寡聞にして小説をかきたいという若者がいるとは聞いていません。

これでいいのかもしれません。
もともとひとりで歩みだした文学の道ですから。


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