田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

「あだ名」「呼び捨て」は禁止。 麻屋与志夫

2022-05-29 08:37:06 | ブログ
5月29日 日曜日
「あだ名」「呼び捨て」は禁止、小学校で「さん付け」指導が広がる。
検索のページをひらいたら目に入ったフレーズだ。
読売新聞の記事らしい。
先生や友達がなにげなくつけた「あだ名」が、
その被害者の人生に、生涯にわたって影響をおよぼしてしまうことがあるのだ。

80年も前のことだ。
わたしは小学4年生。
担任の先生に「マグロ」というあだ名をつけられた。
戦時下のことで体育の授業が重視されていた。
鉄棒にぶざまにぶらさがったままで一度も懸垂ができない。
魚屋でぶらさがっている「まぐろ」のようだ。
「おい、マグロ」
と呼びかけられた。

それから、この歳にいたるまで「マグロ」。
生涯マグロ。
狭い街だから、あだ名はわたしの世代では有名だ。
悲しかった。
まったく、人間扱いをしてもらえなかった。
「さかな君」だ。(笑)。

いまの時代に生まれればよかった。

でも、この年まで生きてくると、
すべてを素直にうけとり、解釈できるようになった。

あだ名が気になって、女の子に声をかけることもできなかった。
これが幸いして24歳で初恋。
初恋の女性と結婚できるのはどれくらいの確率かな? 
あだ名が、幸せをはこんできてくれた。
でも、結婚してから村八分にあった。
一生、迫害がつづいている。
だからこそ、文学の道を歩みつづけることができているのだ。
本を読み、小説を書きつづけてこられたのも、
小さな町で迫害されたからこそだ。
こうして人目を避けた静かな生活をしているので長生きしているのだ。
そう思うことにしている。

災いを福となすような、
逆説的な考えを持つことができた。
これで、作家としてカムバックできれば言うことなし。
望外の望みなのだろうか。

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雷鳴に花瓶の薔薇の散りし音 麻屋与志夫

2022-05-26 16:20:08 | 俳句
5月26日 木曜日
23日の夜半。激しい雷雨があった。

雷鳴にパソコンを切る深夜かな

稲光り猫とび起きる夜半かな

雷鳴に花瓶の薔薇の散りし音

雷鳴に猫逃げ込むソファ下

今年の五月の天気はおかしい。
寒暖の差がありすぎる。
昨日は室温28℃。
ルナもげんなりとしていて食欲がなかった。
息子にかねてから薦められていた『世界最速のインディアン』を観た。
感動した。
若いときの夢を忘れず最後までがんばりぬいた男の物語だ。
わたしも、この世からおさらばするまでに、じぶんで納得のいく傑作を書きたい。
前立腺肥大で、オシッコはまめにでる。
ところがちょろちょろ。
脳梗塞に二回もおそわれている。
それに、北斎の享年に間もなくなる。
これでは、原稿に目を通してくれる編集者はいない。
新人賞に応募しても、歳をみて、引いてしまうだろう。
それに第一、内容が面白くない。
たったいちど、井上雅彦さん編纂の異形コレクション『魔地図』の読者投稿欄で佳作にとりあげてもらった。
そのときでさえ、最高齢者なので、敬老の意味もあって取り上げてくださったのだと思う。
嬉しくて大森の駅で下車するのを失念した。
あれからでも、何年たっているのだろうか。
『夢を追わない人は野菜もおなじだ』いい言葉だなぁ。
小説を書くことに意味がある。
そう信じて書きつづけている。



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散り敷きて薔薇は二度目の華咲かす 麻屋与志夫

2022-05-23 09:30:43 | 俳句
5月23日 月曜日
昨夜は雷雨。あまりにも激しい雷鳴に妻はパソコンの電源をぬきに起きた。
これで今年の五月のバラも終わりだろう。特に蔓バラがかわいそうにほとんど落花してしまったろう。そんな寂しいことを考えながら、わたしはうとうとしていた。

散しバラうち重なって二三段

散り敷きて薔薇はまた咲くしたたかさ

●バラは散ってもその花弁の美しさはいつまでものこっている。
妻はその花弁をガラスの容器に入れて楽しんでいる。桜や椿はそうはいかない。

散り敷きて薔薇は二度目の華咲かす

散り敷きて薔薇はふたたび華咲かす

残されし花弁震える薔薇落下

●大輪のバラの花弁が床の間に落ちた。花瓶にのこされたバラが、散っていった一片の花弁を懐かしむかのようにふるえていた。

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空に舞う花弁は蝶か猫がじゃれ  麻屋与志夫

2022-05-16 08:59:12 | 俳句
5月15日 日曜日
薔薇が散るその散る花弁猫が追い

宙返り猫が捕らえしバラ花弁

反回転猫が捕らえしバラ花弁

空に舞う花弁は蝶か猫がじゃれ

舞う蝶を猫がとらえしバラ花弁

天神は空から青梅猫じゃれる

切り株に空蝉すがり声はなし

薔薇に痴れ猫に痴れてる妻の顔

バラに痴れネコに痴れ妻したり顔

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老いの手は血管の川うきたたせ 麻屋与志夫

2022-05-15 10:50:01 | 俳句
5月15日 日曜日
「アサヤ塾」はまだやっている。
妻の数学教室のほうには生徒がいる。
国語、英語教師のわたしの方は、いない。
生涯現役で頑張ろうと思っているのに。
だれか入塾者を紹介してくれないかな。
だが、わたしは二刀流。
小説家としてのわたしは、はじめてフルタイムの作家としての日々を送っている。
だが、お座敷のかからない老作家だから、ただただひたすら書きつづけているだけだ。
むだに、だが、ありがたいことに、筆力がついてきた。
一日に十五枚くらい書けるようになった。
二十枚は書きたいな。
書くことがあり過ぎる。
それくらい書かないと。
生きているうちにその全部を書ききることはできないだろう。
パソコンにむかって毎日精進している。
両手の甲をじっと見つめた。

老いの手は血管の川うきたたせ
老いの手は皺の谷間に血の流れ

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梅雨入りし川音嘆く女あり 麻屋与志夫

2022-05-14 10:41:09 | 俳句
5月14日 土曜日
夜来の雨ふりやまず。
ひそかに朝寝を楽しみながら句作。
できがわるく、独りよがりで、句意がみなさんにとどかないのではないかと心配です。
こんなとはしたくないのですが、自己解説をつけました。

青梅の落ちし境内猫遊ぶ
●天神様の境内です。猫が梅の実でサッカーをしていまし。

工事音ひびくは街の蝉の声
●市役所の工事現場から四六時中騒音。蝉の声ときけば、きにならない。

梅雨入りし川音嘆く女あり
●「川の音がうるさくて、夜寝らんないよ」その家の前を側溝が流れている。

川音は風流ならん梅雨の入り
●都会ではけっして枕元に川の流れる音はきくことができない。懐かしい音と思えばいいのだ。

街中を流れ流され梅雨の川
●最近知ったのだが、わが街を流れているのは掘割の流れ。黒川から取り入れた水を昔防火水の役割としてつくった運河や堀に流している。人工的に流されている川がおおいのだ。だから黒川の水位が下がると、街の流れは干上がってしまうのだ。

人糞の臭いは下水ゲスの夏
●わが町は上下水道の建設はとてもはやかった。誇るに足りることだ。ところが街を歩いていると、特に夏、人糞のいやな臭いが側溝からする。いまどきみなさんは車で移動しますからね。わたしたちのような老人でないと気がつかないこととでしょう。ゲスなひとがいるものですね。だいぶ前のことですが、ある蕎麦屋さんに入ったところ客がいるのにですよ。その店のおかみさんがこどものオシメ、うんちのついたオシメをとりかえているのでした。

老い猫が人恋しがる朧月
●認知症が猫にもあるらしいです。かっては、飼い猫だったのでしょう。ひとになれていて、寄ってきてすりすりをしてくれるのです。やせほそって、死期まじかの老猫です。さかりがついて鳴いているならいいのに。鳴き声をきいていて悲しくなりました。

雨音を風雅と聴くは老いの華
●老いて、花を咲かせることのできない老木のおいら。こころにはされど華を保とう。

むつみあうむつみの声も春の宵
淫声もたあいなきこと春の夜
●むかし西早稲田の三畳ひと間に下宿住まいをしていたことがあった。年老いたいまなら、タアイモない声と聞けるだろうに。どうして、おかしなことを、思いだしたのだろう。薄いべニヤの板壁がうらめしかった。

落ち敷きし薔薇の花びら閉ざす門
飛び石におおいかぶさる薔薇花弁
●これは解説の必要はない。満開のバラが降り続く雨でびっしりと庭を覆っている。バラは散っても、なお美しさ誇っている。とても、踏みつけることはできない。しばらくは門を閉ざして閑居を楽しもう。

まだ梅雨入りはしていません。
それなのに、梅雨の句がおおくでごめんなさい。
わがこころに雨が降る。
このところ艶歌歌手のでてくる小説を書いています。
「雨雨ふれふれもっとふれ」好きです。


梅雨入りし川音嘆く女あり 麻屋与志夫

2022-05-14 10:41:09 | 俳句
5月14日 土曜日
夜来の雨ふりやまず。
ひそかに朝寝を楽しみながら句作。
できがわるく、独りよがりで、句意がみなさんにとどかないのではないかと心配です。
こんなとはしたくないのですが、自己解説をつけました。

青梅の落ちし境内猫遊ぶ
●天神様の境内です。猫が梅の実でサッカーをしていまし。

工事音ひびくは街の蝉の声
●市役所の工事現場から四六時中騒音。蝉の声ときけば、きにならない。

梅雨入りし川音嘆く女あり
●「川の音がうるさくて、夜寝らんないよ」その家の前を側溝が流れている。

川音は風流ならん梅雨の入り
●都会ではけっして枕元に川の流れる音はきくことができない。懐かしい音と思えばいいのだ。

街中を流れ流され梅雨の川
●最近知ったのだが、わが街を流れているのは掘割の流れ。黒川から取り入れた水を昔防火水の役割としてつくった運河や堀に流している。人工的に流されている川がおおいのだ。だから黒川の水位が下がると、街の流れは干上がってしまうのだ。

人糞の臭いは下水ゲスの夏
●わが町は上下水道の建設はとてもはやかった。誇るに足りることだ。ところが街を歩いていると、特に夏、人糞のいやな臭いが側溝からする。いまどきみなさんは車で移動しますからね。わたしたちのような老人でないと気がつかないこととでしょう。ゲスなひとがいるものですね。だいぶ前のことですが、ある蕎麦屋さんに入ったところ客がいるのにですよ。その店のおかみさんがこどものオシメ、うんちのついたオシメをとりかえているのでした。

老い猫が人恋しがる朧月
●認知症が猫にもあるらしいです。かっては、飼い猫だったのでしょう。ひとになれていて、寄ってきてすりすりをしてくれるのです。やせほそって、死期まじかの老猫です。さかりがついて鳴いているならいいのに。鳴き声をきいていて悲しくなりました。

雨音を風雅と聴くは老いの華
●老いて、花を咲かせることのできない老木のおいら。こころにはされど華を保とう。

むつみあうむつみの声も春の宵
淫声もたあいなきこと春の夜
●むかし西早稲田の三畳ひと間に下宿住まいをしていたことがあった。年老いたいまなら、タアイモない声と聞けるだろうに。どうして、おかしなことを、思いだしたのだろう。薄いべニヤの板壁がうらめしかった。

落ち敷きし薔薇の花びら閉ざす門
飛び石におおいかぶさる薔薇花弁
●これは解説の必要はない。満開のバラが降り続く雨でびっしりと庭を覆っている。バラは散っても、なお美しさ誇っている。とても、踏みつけることはできない。しばらくは門を閉ざして閑居を楽しもう。

まだ梅雨入りはしていません。
それなのに、梅雨の句がおおくでごめんなさい。
わがこころに雨が降る。
このところ艶歌歌手のでてくる小説を書いています。
「雨雨ふれふれもっとふれ」好きです。

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霧雨の散歩 麻屋与志夫

2022-05-13 10:36:09 | ブログ
5月13日 金曜日
ジャンバーを着ていてよかった。
霧雨に街はけぶっていた。
このところ毎日のように散歩している。
おかげで、30分は休まずに歩けるようになった。
走り梅雨なのだろう。
このところ、雨の日が多くなってきた。

雨ためて薔薇天井の迫りくる。

という句を詠んだ。
妻の丹精込めたわが狭小庭園はいま蔓バラに覆われている。
モッコウバラの白と黄色。
庭は薔薇の天蓋で覆われている。
雨が降ると、その重みでググっと薔薇のからみあい密生した天井がひくくなって迫ってくる。
小柄な妻とちがい、わたしは背をかがめて歩かなければならない。
ときには雨滴が落ちてきてずぶ濡れとなる。
そうした情景がはたしてみなさんに伝わったろうか。
俳句は早熟晩学。
八十年ぶりで真剣にとりくんでいる。
その間、句作に励まなかったわけではない。
友達もなく、全くの独学なので心もとない。
「迫りくる」はまずかったかな。
「低くなり」と素直によんだほうがよかったのかな。
などと考えているうちに、わが家についてしまった。
ジャンバーはびしょ濡れだった。


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雨ためて薔薇天井の迫りくる  麻屋与志夫

2022-05-11 20:24:24 | 俳句
5月11日 水曜日
横臥して死を待ちいれば蝉の声

味噌甕のアヤメが咲いて母想う

坪池にアヤメが咲いて日が暮れる

雨ためて薔薇天井の迫りくる

走り梅雨ビニール越しの街ゆがむ

母植えし味噌がめのアヤメ咲きたるか

葉はとんがり花はうつむくアヤメ草

アヤメ咲く緑に揺れる葉の中に



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 また悪魔の夢をみた。 麻屋与志夫

2022-05-03 14:17:13 | 夢見るGGの夢占い
夢見るGGの夢占い29
悪魔の夢をみた。
大きな長柄収穫鎌をもって迫ってくる。
鎌を振り上げてわたしの首を刈り取ろうとしている。
戦慄が背筋をいっきにはいのぼった。
上半身は金縛り。
動けない。
それでも、わたしは玄関に立ちふさがっている。
「この家は、おまえにわたすわけにはいかない」
家の中では一家団欒。
楽しそうな話声がしている。
どんなことがあっても、この幸福は守ってみせる。
「さがれ悪魔」わたしは大声で叫んでいた。
なんども、何度もお大声で悪魔退散の呪文をとなえた。

「あなた、起きて。夢よ。夢よ」
妻におこされた。
掛け布団を足の方までけとばしてあった。
わたしの抵抗の凄まじさをみせていた。
もし妻と同じベットにねていたら。
妻を蹴り殺していた。
死なないまでも、大けがをさせていた。
ゾッとした。
どうしてこうも、悪魔の夢ばかりみるのだ。
吸血鬼作家の宿命なのか。
はっきりと、正気に戻ってから気づいた。
わたしは妻と二人暮らした。
子どもたちはねもう独立して孫までいる。
占い。
今回の夢でも、悪魔を退散させた。
決して、悪魔に負けたことはない。
また大きく成長できるのかもしれない。
吸血鬼の話はひとまず置いて、純文学の作品を書くことにした。


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