田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

10 尺八の音に誘われて  麻屋与志夫

2017-12-28 21:34:26 | 超短編小説
10 尺八の音に誘われて
 
妻とよく散策した黒川の河川敷、郷里鹿沼にもどったときには必ず訪れる風景のなかの点景人物にわたしはいまもなっている。
どうやらまだピテカントロプスエレクトス(直立猿人)として二足歩行は可能のようだ。変形性膝関節症のわたしには辛いことだが――。
この黒川は日光山系から小来川に流れ、途中で行川(なめがわ)と合流して鹿沼まで到達する清流である。
南朝の藤原藤房公が小来川に来た時、薬師堂の丘から眺めた景観を見て「湧き出でし 水上清き小来川 真砂も瑠璃の光をぞ添う」という和歌を詠まれました。この「小来川」の文字が地名の由来となっていう。そうした地名の由来をヤフーの検索で知ったのはいつのことだったろう。
「だからこの黒川の上流――を土地の人は、オコロガワ、と呼んでいる」
「こんなにキレイな流れなのに、どうして黒い川というの」
「それは……」といったところでわたしは言葉をのみこんだ。
妻が最初の子どもをミゴモッテいた。まだ元気だった両親にその報告がてら舞い戻った故郷――はじめての黒川河畔の遊歩道でのことだった。
日光男体山開山にあたり、勝道上人が土着の北方民族との戦いに明け暮れ、その流した血は夜になると生臭く黒い流れとなった。と古文書が伝えている。赤い血の色が月明かりでは、黒く見えたのだろう。
そうしたなまなましい血の歴史を語ることは、妊婦にはふさわしくない。――そうした配慮から言葉を紡ぐことを中断したのだった。
あれから幾たび、この河畔の遊歩道を妻と散策したことだろう。
遊歩道は流れぎりぎりのところに敷かれている。
旧帝国繊維の工場群の辺りからはじまり貝島橋の辺りで途絶える。遊歩道の行く手が、バジッと切断されたように途切れてしまうのが、いかにもこの街の土木工事らしかった。ここまで歩いて来て人は、振りかえって真逆のほうこうに戻ってください、といわれているようだ。前に進むことはできない道なのだ。
元来た方にもどらなければならない。せめて、土手に登る道でも作っておけばいいモノを――。また来た道を戻るということは、たまらない。閉塞感にさいなまれる。
「アラツ。尺八の音色よ」
わたしのかたわらを歩いていた妻がつぶやいた。低い妻の声よりも、なお、かすかな尺八の音色が嫋々と河川敷に流れていた。いままで、その音に気づかなかったのは、わたしがもの想いにふけっていたからだろう……。
川面には夕霧がながれていた。
渇水期とあって流れはゆるやかだ。
尺八のかすかな音色は川面にすいこまれていく。
川音と尺八の音が融け合い幽玄な調べとなってきこえてくる。枯れ芒があるかなしかの風にゆらいでいる。
遊歩道の縁が防波堤のように普通の縁よりも高くなっている。ちょうど、腰をおろすのにいい高さだ。そこに虚無僧が尺八を作法通りにかまえて吹き鳴らしていた。足を「く」の字に曲げた蹲踞の姿勢から女性と知れた。かたわらに、白い杖がこれもコンクートの縁にたてかけてあった。
「いまどき、本当に珍しいわね」
妻は未来のじぶんに声をかけている。
「あなたが、さきに死んだら、四国巡礼の旅にでるわ。旅の途中で、行き倒れて死ぬのがわたしの美学よ」
不吉なことをいうなとはわたしはいえなかった。
「それとも、虚無僧になって奥の細道の旅に出ようかしら」
わたしはなんとも返事ができなかった。
妻の想いとは逆に、わたしがとりのこされている。
傍らにいたはずの妻がいない。
たしかに、いままで妻の声がきこえていたのに。
妻がいない。
遠くにいってしまったのに、いまはきみをいつにもまして、身近に感じる。
妻を感じることは――できる。
リアルに感じる。
尺八の調べに誘われて、いまふり返ったなら、わたしはなにを見るだろうか。
虚無僧の姿は消えて、白い杖だけがポッンと石畳上に冬の斜陽をあびて在るだろう。
ふいに、川の表層がもりあがる。波となって寄せてくる。
波はわたしをのみこもうとする。波頭がもりあがっておしよせてくる。
濃密な生きもモノの気配が、波には潜んでいた。
波が吠えた。ズブヌレになって、波の牙に追われて、わたしはただひたすら逃げた。
膝の痛みがあるのでギクシャクとした走行だ。波がなぜ怒りくるっているのか。
わからない。波を避けて走りつづけた。
まだ、死ぬには、早過ぎる。
まだ、傑作と広言できるようなものは書いていない。
もつと、ましな、小説を書きたい。
いままで書いてきた小説はどれも気にいらない。
「もういいわよ。もう諦めて、書くのやめたら」
妻に宣告されたのはいつの日のことだったろうか。
「わたし待ちくたびれた」
妻が嘆声をもらしたのはいつだったろう。
「才能がなかったのよ」
妻のステ台詞。
そんなことは、じぶんがいちばんよくしつている。悲しいことだが――。
でも始めたことはやめられない。やめることはできない。
書きつづけることで、わたしは生きている。
書かなくなるといことは、死を意味する。書くことが命なのだ。
川辺からは遠ざかったつもりだった。まだ遊歩道でもたついていた。
背後から襲いかかる波は、蘇芳色をしていた。
血の色だ。
牙を剥いて襲いかかる波。
大波。小波。
波に翻弄される。
波頭が砕ける。
白いはずの波。牙まで血の色をしている。弧を描きながら襲いかかってくる。
波頭から飛び散る波しぶき。生臭い血の臭いまでする。
まだ、まだ――、だ。
まだ、もっとましな小説が書ける。
まだ、生きぬいて、いい小説が書きたい。
いい小説とは、どんな小説なのだ。
川の霊体よ、はわたしの脳の動きを読みとっているのなら、教えてくれ。
怒涛となって、わたしをのみこむ前に教えてくれ。
膝が痛む。もう先には進めない。教えてくれよ。
わたしと妻の会話を読みとっている川よ。
教えてくれ。
見せてくれ。
妻の姿を――。
わたしの手に杖が現れた。
いや、これは骨だ。
わたしは妻の骨を突いて、川の堤をのぼりだした。
暮れなずんでいた冬の日がようやく夜をむかえようとしている。
わたしは杖をついた。三足歩行となった。
膝はさらに痛む。
妻が河川敷を見はるかすベンチに座っている。
ベンチに座ったが妻のワイドパンツの片裾が風になびいている。
わたしを励ますように手をふっている。
妻までの距離が遠い。
わたしはついに堤の斜面を這い登りはじめた。
妻の骨を杖として、妻に助けられながら、土手を這い登る。波を逃れて土手を上る。
這いずりながら妻の手招きに、妻の期待に添うべく土手を這い進んだ。
尺八の音はいつのまにか途絶えていた。

第二稿




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超短編小説「老いの窓から」10 尺八の音に誘われて。 麻屋与志夫

2017-12-27 06:18:32 | 超短編小説
10 尺八の音に誘われて
 
妻とよく散策した黒川の河川敷、郷里鹿沼にもどったときには必ず訪れる風景のなかの点景人物にわたしはいまもなっている。
どうやらまだピテカントロプスエレクトス(直立猿人)として二足歩行は可能のようだ。
変形性膝関節症のわたしには辛いことだが――。
この黒川は日光山系から小来川に流れ、途中で行川(なめがわ)と合流して鹿沼まで到達する清流である。
南朝の藤原藤房公が小来川に来た時、薬師堂の丘から眺めた景観を見て「湧き出でし 水上清き小来川 真砂も瑠璃の光をぞ添う」という和歌を詠まれました。この「小来川」の文字が地名の由来となっている。そうした地名の由来をヤフーの検索で知ったのはいつのことだったろう。
「だからこの黒川の上流――を土地の人は、オコロガワ、と呼んでいる」
「こんなにキレイな流れなのに、どうして黒い川というの」
「それは……」といったところでわたしは言葉をのみこんだ。
妻が最初の子どもをミゴモッテいた。まだ元気だった両親にその報告がてら舞い戻った故郷――はじめての黒川河畔の遊歩道でのことだった。
日光男体山開山にあたり、勝道上人が土着の北方民族との戦いに明け暮れ、その流した血は夜になると生臭く黒い流れとなった。と古文書が伝えている。赤い血の色が月明かりでは、黒く見えたのだろう。
 そうしたなまなましい血の歴史を語ることは、妊婦にはふさわしくない。――そうした配慮から言葉を紡ぐことを中断したのだった。
あれから幾たび、この河畔の遊歩道を妻と散策したことだろう。
遊歩道は流れぎりぎりのところに敷かれている。
旧帝国繊維の工場群の辺りからはじまり貝島橋の辺りで途絶える。遊歩道の行く手が、バジッと切断されたように途切れてしまうのが、いかにもこの街の土木工事らしかった。ここまで歩いて来て人は、振りかえって真逆のほうこうに戻ってください、といわれているようだ。前に進むことはできない道なのだ。
元来た方にもどらなければならない。せめて、土手に登る道でも作っておけばいいモノを――。また来た道を戻るということは、たまらない。閉塞感にさいなまれる。
「アラツ。尺八の音色よ」
 わたしのかたわらを歩いていた妻がつぶやいた。低い妻の声よりも、なお、かすかな尺八の音色が嫋々と河川敷に流れていた。いままで、その音に気づかなかったのは、わたしがもの想いにふけっていたからだろう……。
川面には夕霧がながれていた。
渇水期とあって流れはゆるやかだ。
尺八のかすかな音色は川面にすいこまれていく。
川音と尺八の音が融け合い幽玄な調べとなってきこえてくる。枯れ芒があるかなしかの風にゆらいでいる。
遊歩道の縁が防波堤のように普通の縁よりも高くなっている。ちょうど、腰をおろすのにいい高さだ。そこに虚 無僧が尺八を作法通りにかまえて吹き鳴らしていた。足を「く」の字に曲げた蹲踞の姿勢から女性と知れた。かたわらに、白い杖がこれもコンクートの縁にたてかけてあった。
「いまどき、本当に珍しいわね」
 妻は未来のじぶんに声をかけている。
「あなたが、さきに死んだら、四国巡礼の旅にでるわ。旅の途中で、行き倒れて死ぬのがわたしの美学よ」
 不吉なことをいうなとはわたしはいえなかった。
「それとも、虚無僧になって奥の細道の旅に出ようかしら」
 わたしはなんとも返事ができなかった。
 妻の想いとは逆に、わたしがとりのこされている。
 傍らにいたはずの妻がいない。
たしかに、いままで妻の声がきこえていたのに。
妻がいない。
遠くにいってしまったのに、いまはきみをいつにもまして、身近に感じる。
妻を感じることは――できる。
リアルに感じる。
尺八の調べに誘われて、いまふり返ったなら、わたしはなにを見るだろうか。
虚無僧の姿は消えて、白い杖だけがポッンと石畳上に冬の斜陽をあびて在るだろう。
ふいに、川の表層がもりあがる。
波となって寄せてくる。
波はわたしをのみこもうとする。
襲いかかる波は、蘇芳色をしていた。
血の色だ。
牙を剥いて襲いかかる波。
大波。小波。
波に翻弄される。
波頭が砕ける。
白い牙となって、弧を描きながら襲いかかってくる。
波頭から飛び散る波しぶき。
まだ、まだ――、だ。
まだ、もっとましな小説が書ける。
まだ、生きぬいて、いい小説が書きたい。
いい小説とは、どんな小説なのだ。
川の霊体よ、はわたしの脳の動きを読みとっているのなら、教えてくれ。
怒涛となって、わたしをのみこむ前に教えてくれ。
膝が痛む。もう先には進めない。教えてくれよ。
わたしと妻の会話を読みとっている川よ。
教えてくれ。
見せてくれ。
妻の姿を――。
わたしの手に杖が現れた。
いや、これは骨だ。
わたしは妻の骨を突いて、川の堤をのぼりだした。
わたしは杖をついた三足歩行すらあきらめなければならなかった。
膝はさらに痛む。
妻が河川敷を見はるかすベンチに座っている。
ベンチに座ったが妻のパンタロンの片裾が風になびいている。
わたしを励ますように手をふっている。
妻までの距離が遠い。
わたしはついに堤の斜面を這い登りはじめた。
四足歩行だ。
這いずりながら妻の手招きに、妻の期待に添うべく土手を這い進んだ。

尺八の音はいつのまにか途絶えていた。


第一稿





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酒は微酔。ホロ酔いがいい。 麻屋与志夫

2017-12-22 18:47:50 | ブログ
12月22日 Fri.
●久しぶりにオテントウサマが輝いているのに、お酒を飲んだ。

●菊水の冬季限定、ふなぐち「菊水」の一升瓶を買って置いた。冷酒で飲むとワインのような舌触りでおいしい。妻も一猪口くらいはつきあってくれる。

●わたしはアツカンにして飲む。ありがたいことに、「生酒のため、早めにお召し上がりください」とレッテルにかいてある。「早く飲まなくてはな」などと言わずモノがなのいい訳をしながら飲みだす。飲みだした日をレッテルにフエルトペンで書き込む。月きに一升くらいの酒飲みだとわたしは思っている。「そんなことはない。もっと飲んでるわよ」と妻にいわれている。いつもは菊水の黒カン(200cc)を飲んでいるので、正確にはどの程度の酒飲みかわかっていない。こうしておけば、――恐らく妻のいうことが正しいだろう。

●一合以上は飲まない。酒は微酔。ホロ酔いがいい。

●おかげで、昼から熟睡。これで小説の筆がのびれば、いうことなし。



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あなたは、好きなことに一生をささげることができますか? 麻屋与志夫

2017-12-21 08:32:36 | ブログ
12月21日 Thu.

●毀れものを出す日だ。ガラス瓶、空き缶。――を置いてある金属の容器に空ける。大きな音がするので近所迷惑と思い、7時になるまで待っていた。

●道がカチカチに凍っている。真冬の寒さだ。風邪をひいている妻はまだ白河夜船。彼女は一昨日、湿疹ができて上都賀病院にいった。どうやら風邪のウイルスのしわざらしい。扁桃腺は痛むし、体はカユイカユイでこのところホトンド眠っていない。それでも、塾の数学の授業は休まず務めている。ご立派ですね。

●眠れるだけネテいてください。

●昨日は彼女のOO歳の誕生日だった。子どもや孫たちから祝福をうけていた。

●家庭的にはとてもシアワセだ。

●あとは、わたしがひとさまに読んでもらえるような傑作を書くのみ。でも、それが難しいのです。でもじぶんの好きなことをヤリツヅケテいるのだから、やはりluckyといわなければね。

●あなたは、じぶんの好きなことに一生を賭けることができますか。



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寒い日には家の中で楽しむ。 麻屋与志夫

2017-12-20 16:46:27 | ブログ
12月20日 Wed.

●寒さがすこしだけやわらいだのに。こちらはGGだからひねもすホリゴタツで仕事。

●ダラシナイったら、アリヤシナイ。寒さが身にしみる。特に、膝関節症を患っているので、寒さで痛みがぶりかえしている。歳はとりたくないものだ。今週は、高校の同級生がふたりなくなった。寂しくなるな。街をあるいても知り合いとはほとんど会わなくなった。

●最近、友だちとのことをよく思いだす。彼とはもっと親密につきあえばよかった。いい友だちほど、早死にしてしまう。あのとき、彼にああいったのは、暴言だ。傷つけてしまった。などと反省する。いまごろ反省しても、遅すぎるのだが、歳をとってくると、若い時には、わからなかった心のアヤが見えてくる。

●本棚から昔読んだ本をひっぱりだす。手にとって、その本を買った時のことを思いだすのは楽しい。どこの本屋さんで買ったのかわからなくなっているものもある。

●読みかえしてみると、以前とは読後感がまったく違う。つい、夢中になってしまい、作品を書く時間がなくなってしまう。

●家から一歩も出なくても、本はあるし、jazzレコードもある。楽しく過ごすことが出来る。

●でも日本のテレビドラマはつまらなくなった。GGが経年劣化の頭脳で見るからでしょうかね。



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大人になった雄猫の野生の誇り。  麻屋与志夫

2017-12-18 07:34:18 | ブログ
12月18日 Mon.

●今朝も寒い。「白」のためにデッキに置いた餌皿の水に氷が張っている。この寒さではどこもかしこも氷が張っている。水を飲まなかったら死んでしまう。野生の野良ネコはいかなる行動で獲物や餌を獲得しているのだろうか。野良ネコの場合は、何代にもわたってズット野生なのだろうから、野生動物としての習性が身についているのだろう。餌をくれるネコ好きもいる。この寒さの中をなんとか生き伸びている

●そういえば、飼い猫といえども、野性味はのこしている。ミュー、ムック、リリ、ブラッキ―歴代のわが家のネコちゃんたちも、モグラやノネズミをよくくわえてきた。それも、寝床や、ときには、食卓に獲物をポトンと置いて「どう……たまには、レアでいきましょうよ」ときたもんだ。もちろん、絹をさくようなカミサンの悲鳴が家の空気をふるわせ隣近所にひびきわたった。でも――この冬の寒さのなかでは、獲物を捕獲するのは困難だろうな。

●「白が寒くて、かわいそう」いまはすっかりわたし以上の愛猫家になっているカミサンが、まず、園芸道具を置く棚に発泡スチロールで小屋をつくってやった。それでも、外の温度が零度以下になってきたので、白は風邪をひきクシャミをしている。鼻水をたらしている。

●数日前の夜、そんな白を憐れみ、カミサンが部屋に連れこんだ。カミサンに抱かれて、静かにしている。だいぶ馴れてきている。――わたしは感心した。そのまま、いまは亡きリリのネコベットにソット寝かせた。

●ところが、夜なかになってから、がたがた音がする。白が外に出たがっている。カミサンも起きだして白を呼ぶ。おとなしくまたカミサンの胸に抱きしめられて彼女の部屋にもどっていった。

●翌朝、床におしっこ、フン。「かわいそうに、トイレにいきたかつたのよ」とカミサンは解釈した。

●ところが、それいらい、白はカミサンをさけるようになった。野生の野良ネコとしての矜持をもちつづけようとしている。野生の習性を、生活を――誇りをもって、つづけようとしている。ぼくは、コノママデイイモン」そういっているようだ。

●部屋のなかがよほど恐かったのだ。燃えるストーブの火がおそろしかったのだ。恐怖の一夜を明かした白はいまもスチロールの小屋だけで、満足している。





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人が「言葉」を失いつつある。  麻屋与志夫

2017-12-17 19:38:24 | ブログ
12月17日 Sun.

●土曜日には膝関節と血圧が高いので医者のお世話になった。病気のことはさておき、いろいろ考えさせられた。

●まず、タクシーをたのんだ。若い運転手だった。ドァがあいた。女性の声でシートベルトをしめてください。と、指示された。あれ、女性なの? とおもわず彼をみて……気づいた。音声によるガイドだ。

●行き先を告げる。
病院につく。
また音声ガイドで「目的地につきました。またどうぞ」というような、声がした。
この間、運転手は始終無言。

●胸部のCT、その他いくつもの検査。レントゲン技師。医師。看護師。薬剤師。いろいろな職種のひとにお世話になったが、こちらの質問には、的確な応えがもどってこない。

●GGになったので、ボケが始まったのだろうか。こちらのいっていることが、理解してもらえない。悲しくなった。

●でも、家に帰って冷静に考えているうちに、気がついた。人間がマニアルどおりの会話しかできなくなった。マニアルどおりに会話をはこぶなら、なるほど、運転手はみずからの声で挨拶などする必要はないのだ。

●ひとが言葉を失いつつある。だから、GGのようなアナログ人間には、周囲のひとが対応しかねるということなのだろう。

●ひとは言葉でできている。的確な会話を持つことはたのしい。ところが、人が、本を読まなくなってから久しい。読書に関心のない人がふえている。読み書き、会話の際の語彙が極端に減少している。もちろん、GGの周囲の田舎町でのことだから、ここだけの経験で判断するのはどうかと思う。

●みなさんは、どんなふうにお考えですか。



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遅い朝の目覚め。 麻屋与志夫

2017-12-17 09:44:54 | ブログ
12月17日 Sun.

●寝たのが遅かったのでGGとしては早い朝をむかえることはできなかった。6時起床。5時間も睡眠をとったのはひさしぶりだ。

●先週は小杉が今週は小西君が亡くなった。冥福を祈る。共にこの故郷鹿沼で高校にかよった。死んでしまった同級生の数のほうがおおくなった。

●GGの場合はこれこそわたしの小説だというような傑作が書けていない。しばらくは、お迎えの来るのはゴエンリョモウシアゲタイ。

●寝床で仰向けに寝たまま両手をあげて背をのばしていたら、ブラッキ―も起きだしてアーチをつくってストレッチ。おたがいに20年も寝食をともにしているとやることが似てくるから面白い。もちろんわたしのほうがネコに似てきたのだ。ブラッキ―にはこのところ、ワンパック一食のマグロのフレークなどを食べさせている。少し高いので、わたしはお酒を飲む回数を減らしている。ブラッキ―は歯がよわっているから柔らかなモノしか食べない。オイシイのだろう。ムシャムシャよく食べている。つくづく食べられるうちは死なない。という言葉を噛みしめている。死なないでよ。ブラッキ―。

●GGのほうも、膝関節の痛みは小康状態をたもっている。膝の痛みのあるうちは、さすがに小説は書けなかったが――よかった、よかった。またぼちぼち書きすすめている。

●新聞をとりに庭にでたら、風花が舞っていた。



二年前にはリリとの別れがありました。そのときの悲しみをカミサンとまとめた作品があります。ぜひ読んでください。角川の「カクヨム」に載っています。下記の題名で検索してください。すぐ読めます。


「愛猫リリに捧げる哀歌」

猫愛/
猫のスリスリ/
むくむくの毛並み/
猫とのサッカ―/
リリの病/
闘病/
看病/
ペットロス/

猫を愛するみなさんへ。ペットロスに悲しむあなたへ。
麻屋与志夫  木村美智子


この作品は、先住猫ブラッキーとリリ、わたしたち夫婦の楽しい思い出。リリは一年と八カ月で他界。その間の様子を記録したブログを編集したものです。わたしたちはペットロスにおちいり、とくに、妻は涙、涙の日々をおくっています。なんとか、この悲しみからぬけだそうと、もがけばもがくほど、悲しみは深まるばかりです。猫、大好きなみなさん。ペットロスで苦しんでいるみなさん。猫との生活の楽しさ、死なれた時の悲しさ。わたしたちと共有してください。
ブログ「猫と亭主とわたし」木村美智子+「田舎暮らし」麻屋与志夫より編集。


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愛しい猫ちゃんの死。  決定稿  麻屋与志夫

2017-12-15 10:27:00 | ブログ
愛しい猫ちゃんの死  決定稿
 ミュウはわたしの膝で静かに息をひきとった。二十数年前になる。そのときはじめて生活を共にしてきたペットに死なれるのはこんなに悲しいことなのかと思い知らされた。
 とぎれとぎれだった鼓動がぴたりと止まった。ミュウの背中に置いた手のひらが、冷えていく彼女の体温を伝えてくる。ミュウ。ミュウといくら呼びかけても、優雅な長い尾をぴたぴたとわたしの膝にうちつけて、応えることはもうしない。静かにかたまって冷えていった。
息絶えたミュウは急にひとまわりも小さくなった。失禁したり、ふらふらとおぼつかない足どりでわたしたちの周りをあるいていたミュウの姿はいまでも脳裏に浮かぶ。   
ミュウは幼くして東京の学校に転校させた息子が飼っていたものだ。近所の森山会館の前で拾ってきたのを、ひそかに小さな段ボールの箱で、わたしたちたに内緒で飼っていた。それから18年もわたしたちとミュウは生活を共にした。
 庭の東の隅に金木犀の木がある。その根元に埋めた。寒がりのミュウだったので、あたたかな毛布にくるんで埋葬した。チャ虎だった。わたしがうろ覚えのお経を唱えた。妻はわたしの手をにぎっていた。涙をこらえていた。手がかすかにふるえていた。
 リリには一昨年死なれてしまった。わずか、一年八カ月の命だった。三毛猫だった。生後三カ月くらいで、わが家の庭に迷いこんできた。妻によくなつき、もじどおり寝食を共にしていた。妻の寝床にもぐりこんで寝ていた。二階の教室でドングリの実で、妻とよくサッカ―をしていた。妻がドングリを指ではじくと、かわいい肉球のある足でハジキかえす。ときにはクワエテくる。長い尻尾をふりながらかけてきてクワエテいたドングリをポトンと妻がさしだした手におとす。あまりよく鳴けなかった。声帯がおかしかったのだろうか。そのリリは死に際に「ニャオ」と一声、いかにもメス猫らしいかわいい声で鳴いた。あのときのナキゴエは忘れられない。なぜ死の瞬間に「ニャオ」となけたのだろう。妻に必死で苦しさを訴えたのだろうか。それとも「わたし死んじゃうよ。これでお別れだね。さようなら」というメッセージをこめてないたのだろうか。神様がさいごのさいごにリリの声帯が正常に機能することを許してくれたのだろう。ドングリの実はいまでも妻の机の上とリリの骨壷のわきにポッンと置いてある。振ってみると、中の実がかわき、かたまり、小さな音をたてる。わたしたちは、その音にリリの魂の囁きをきく。虹の橋でいまでもドングリの実とじゃれあっているだろう。
 いま同居しているブラッキ―が老衰した。ゴツゴツに浮き出た背筋。やせ細ってしまった。食欲もなくなった。人間の年齢にすれば、百歳。それなのに、一日になんども外に出たがって奇声を発している。イライラしているようだ。どこか痛むところがあって部屋にじっとしていられないのか。痴呆症かも――。外を徘徊してきたのをすぐに忘れてしまうのだろうか。とんぼ返りで、すぐにまた外にだせと、いばりだす。ともかくすごい迫力で「ギャオ、ギャオ」と鳴く。小さな体のどこから出るのかと訝るような声だ。ご近所迷惑だろうなとこちらは体が縮むおもいだ。
 食べものも、固形餌はほとんどたべず、流動食と牛乳で生きている。わたしの酒のオツマミ、鳥のレバーをよく咀嚼してから、手のひらにうつして差しだすとうれしそうにノドをならして食べている。「死ぬなよ。九番目の命を使って生きぬくのだ。死んでも生きていろよ」と、とんでもない励ましのことばをかけている。
 ブラッキ―の死期を冷静にうけとめられればリアリストだ。わたしは九つ目の命を使って生きぬいてよ、と励ます。呼びかける。少しでも、明るい未来を期待しているロマンチストだ。美人薄命であったリリが、いまも虹の橋でドングリをころがして遊んでいるとイメージしているのだから徹頭徹尾ロマンチストだ。
 膝の痛みに耐えきれず上都賀病院で診察をうけた。足をひきずり、痛みに耐えて、マダ、マダだ。まだ頭はタシかだ。小説はかける。ボケない限り、かきつづる。わたしは、究極の高等遊民、ロマンチストだ。
でも――さすがに、日々衰弱していくブラッキ―のことを見ていると悲観的なことばかり考え現実的になってしまう。
……別れの日の近いブラッキ―とのいままでの交情を思い、わたしは妻と静かな晩秋の日々を過ごしている。

 故郷の同人誌「かぬま詩草」に寄稿。



二年前にはリリとの別れがありました。そのときの悲しみをカミサンとまとめた作品があります。ぜひ読んでください。角川の「カクヨム」に載っています。下記の題名で検索してください。すぐ読めます。


「愛猫リリに捧げる哀歌」

猫愛/
猫のスリスリ/
むくむくの毛並み/
猫とのサッカ―/
リリの病/
闘病/
看病/
ペットロス/

猫を愛するみなさんへ。ペットロスに悲しむあなたへ。
麻屋与志夫  木村美智子


この作品は、先住猫ブラッキーとリリ、わたしたち夫婦の楽しい思い出。リリは一年と八カ月で他界。その間の様子を記録したブログを編集したものです。わたしたちはペットロスにおちいり、とくに、妻は涙、涙の日々をおくっています。なんとか、この悲しみからぬけだそうと、もがけばもがくほど、悲しみは深まるばかりです。猫、大好きなみなさん。ペットロスで苦しんでいるみなさん。猫との生活の楽しさ、死なれた時の悲しさ。わたしたちと共有してください。
ブログ「猫と亭主とわたし」木村美智子+「田舎暮らし」麻屋与志夫より編集。


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今夜は鹿沼今宮神社の夜祭り――「冬渡祭」です。  麻屋与志夫

2017-12-10 18:52:44 | ブログ
12月10日 Sun.

●今日は鹿沼今宮神社の「冬渡祭」だ。どうやら、この「オタリヤ」と呼ぶ夜祭りがあるのは、宇都宮二荒神社と今宮神社だけらしい。詳細はぜひ検索してください。

●むかしは、太太神楽(だいだいかぐら)」が奉納されたのだが、いまはどうなのだろうか。子どものころ「ダイダイ」を見に母親に連れられていくのが楽しみだった。

●わたしの家からは50メートルと離れていない今宮神社なのに膝の痛みがあるので夜の外出はひかえている。それに寒くて風邪でも引くと、まだ塾の教壇に立っているので授業にさしさわりがある。歳をとると心配性になるものですね。

●古くなったお札やダルマサンなどを燃やすこのオタリヤの炎が、東京で生活していたときには、懐かしく思いだされた。ホームシックにかかるとかならず、ドンドン焼きの炎とそこに被せられる大きな半円型の鉄製のドームを思いだしたものだ。

●夜店が出た。わたしの家のすぐ裏に露天商の親分が住んでいた。おおぜいの露天商の若者が出入りしてにぎやかだった。

●あの頃のことを「尾長鳥」という作品にかきだしたのだが、遅筆のわたしのことだから、いつ完成することやら。


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