なんだか、お正月の番組が例年に比べて面白くない…。
んで、早起きして見ているんだが、これ、写真に興味のある人にはオススメ。
直接は関係ないのだけれど、昔の絵の具の解析とかにちょろっと光学分野の話が出て来るんである。色ってモノを知るにも良いねぇ…。
平安時代に書かれた絵巻物を再現模写する…ってのが本来のスジ…なんだけれどね、今でこそ画材だの絵の具だのってのはゴマンとあるんで、いかにも簡単そうに思えるんだが、見た目で復元しても実はあまり意味が無い。それこそ単に「複製品」を作っているに過ぎないんだけれど、オリジナルはかなり劣化しているワケで、これを現代の科学の目で解析して、書かれた当時がどうだったかを再現するのである。
今よりモノが全てにおいて「乏しい」時代の作品なのだけれど、そこに当時の絵師が至高の技を盛り込んでいたワケで、単に「立派なもんだぁ…」ってのを超えちゃって「すげえよ、コレ…」って世界がそこにあるのだ。
そうした全てを読み取って、新たに描く現代の絵師もそれ相応の人でなければならず、単に日本画の巨匠…ってだけじゃ無さそうなのもスゴイ。オリジナルの劣化した状態から僅かな痕跡を読み取って、再現しなければならないのだからねぇ。
こう言う時、ちょいと絵画についての知識があるともっと楽しめるのだが、生憎そんなに深い知識も無いので、いきなり完成品を見せられても「ふーん。」で終わっちゃう方の人間なのが後悔したりする。高校の時に、美術の時間に「油絵」はちょろっと描いたりもしたので、油絵ならスタートから知っているが、日本画がどうなのか全く判らない。水彩画と違うのかどうなんだかなぁ。
写真の場合、オリジナルはオリジナルのまま、正確に複写するのは仕掛けさえ揃っていれば難しいコトも無いが、オリジナルが劣化する前の状態がどうだったか再現するのは無理ってモノ。デジタル化して像を置き換えて行かねばならないだろうし、それが果たして「写真」の範疇に納まるものかどうか…。絵の場合はそうした事も可能である所がうらやましい。だけど、そこに至るまではやはり写真ってものが必要不可欠であったりもする。
デジタルな写真が当たり前になって、誰もが簡単に100年前では想像も付かなかった映像の世界を手にするコトが出来たのだけれど、そうなった事でアートの世界も大幅に広がった。絵画と写真の境が無くなって、新しいアートとして産まれてもいるのだけれど、どこかでカッチリとした線引きを期待しているのは古い人間だからかなぁ。何か釈然としないものもあるのは確かなんだけどねぇ…。
そうした意味で、自分で撮ったデジカメの写真も、ほとんどいじるコトは無いのです。フォトショップを始め、便利なツールはたくさんあるのですが、リサイズするくらいで、それ以上は何か「いけないコト」をしている感じがしちゃうのです。
さて、再現模写された国宝の絵巻は、オリジナルと比較したらそりゃ全然違います。だけれども、可能な限りでオリジナルと同じ道具、同じ手法を用いて描かれたそれは、別の意味で「国宝」でしょうね。これを見るコトで、オリジナルが描かれた当時と同じ物を見ているに近いって、やはり「スゴイ…」コトだと思うのです。860年前に描かれたオリジナルを人間の目で見ても、入ってくる情報量は劣化と言うベールで隠されているのですが、科学の目で情報量を補って再現された再現模写からは圧倒的な量を「これでもかっ!」ってほどに見せ付けられます。そこに、800年も前の人々の英知が見て取れるってのは、いいよねぇ…。
が、こう書いている私は「紫式部」が原作者だってコトくらいしか知らないし、肝心な書籍の中身は全くと言ってよいほど知りません。光源氏って人がぐちゃぐちゃのどろどろな人生を送った…とは聞いてますが。そうした中身も知らないと、作品を見てもまた情報量は減っちゃうんだろうな。物語の挿絵ってのは、物語を知らないと描けないのも当たり前だし…。
まぁ、目の肥やしにはなったんで、良しとするんだけど、芸術は奥が深いなぁ、おい。
んで、早起きして見ているんだが、これ、写真に興味のある人にはオススメ。
直接は関係ないのだけれど、昔の絵の具の解析とかにちょろっと光学分野の話が出て来るんである。色ってモノを知るにも良いねぇ…。
平安時代に書かれた絵巻物を再現模写する…ってのが本来のスジ…なんだけれどね、今でこそ画材だの絵の具だのってのはゴマンとあるんで、いかにも簡単そうに思えるんだが、見た目で復元しても実はあまり意味が無い。それこそ単に「複製品」を作っているに過ぎないんだけれど、オリジナルはかなり劣化しているワケで、これを現代の科学の目で解析して、書かれた当時がどうだったかを再現するのである。
今よりモノが全てにおいて「乏しい」時代の作品なのだけれど、そこに当時の絵師が至高の技を盛り込んでいたワケで、単に「立派なもんだぁ…」ってのを超えちゃって「すげえよ、コレ…」って世界がそこにあるのだ。
そうした全てを読み取って、新たに描く現代の絵師もそれ相応の人でなければならず、単に日本画の巨匠…ってだけじゃ無さそうなのもスゴイ。オリジナルの劣化した状態から僅かな痕跡を読み取って、再現しなければならないのだからねぇ。
こう言う時、ちょいと絵画についての知識があるともっと楽しめるのだが、生憎そんなに深い知識も無いので、いきなり完成品を見せられても「ふーん。」で終わっちゃう方の人間なのが後悔したりする。高校の時に、美術の時間に「油絵」はちょろっと描いたりもしたので、油絵ならスタートから知っているが、日本画がどうなのか全く判らない。水彩画と違うのかどうなんだかなぁ。
写真の場合、オリジナルはオリジナルのまま、正確に複写するのは仕掛けさえ揃っていれば難しいコトも無いが、オリジナルが劣化する前の状態がどうだったか再現するのは無理ってモノ。デジタル化して像を置き換えて行かねばならないだろうし、それが果たして「写真」の範疇に納まるものかどうか…。絵の場合はそうした事も可能である所がうらやましい。だけど、そこに至るまではやはり写真ってものが必要不可欠であったりもする。
デジタルな写真が当たり前になって、誰もが簡単に100年前では想像も付かなかった映像の世界を手にするコトが出来たのだけれど、そうなった事でアートの世界も大幅に広がった。絵画と写真の境が無くなって、新しいアートとして産まれてもいるのだけれど、どこかでカッチリとした線引きを期待しているのは古い人間だからかなぁ。何か釈然としないものもあるのは確かなんだけどねぇ…。
そうした意味で、自分で撮ったデジカメの写真も、ほとんどいじるコトは無いのです。フォトショップを始め、便利なツールはたくさんあるのですが、リサイズするくらいで、それ以上は何か「いけないコト」をしている感じがしちゃうのです。
さて、再現模写された国宝の絵巻は、オリジナルと比較したらそりゃ全然違います。だけれども、可能な限りでオリジナルと同じ道具、同じ手法を用いて描かれたそれは、別の意味で「国宝」でしょうね。これを見るコトで、オリジナルが描かれた当時と同じ物を見ているに近いって、やはり「スゴイ…」コトだと思うのです。860年前に描かれたオリジナルを人間の目で見ても、入ってくる情報量は劣化と言うベールで隠されているのですが、科学の目で情報量を補って再現された再現模写からは圧倒的な量を「これでもかっ!」ってほどに見せ付けられます。そこに、800年も前の人々の英知が見て取れるってのは、いいよねぇ…。
が、こう書いている私は「紫式部」が原作者だってコトくらいしか知らないし、肝心な書籍の中身は全くと言ってよいほど知りません。光源氏って人がぐちゃぐちゃのどろどろな人生を送った…とは聞いてますが。そうした中身も知らないと、作品を見てもまた情報量は減っちゃうんだろうな。物語の挿絵ってのは、物語を知らないと描けないのも当たり前だし…。
まぁ、目の肥やしにはなったんで、良しとするんだけど、芸術は奥が深いなぁ、おい。