おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

笑うか!?

2021-05-13 15:50:36 | ニュースから

これは失言と言って済ませられる問題ではないと思います。

総理大臣に、親しく助言もできる立場と言う人が、今の日本のコロナ事情を「さざ波」と言ったということです。確かに他国に比べれば重症患者も死者も少なくすんでいます。でも、今、病と闘っている人、亡くなってしまった人、その方々を必死で看病していらっしゃる医療従事者の方のご疲労、どの方の立場にしても、辛い現実です。死に瀕した重症の方の入院先がなく、命の選別もせざるを得ない医療崩壊も現実です。
それを「さざ波」と言い捨てるのですか。おまけに、「笑笑」と笑うのですか。

思うに、言葉を考えて使っていないのではないのでしょうか。自分も楽しんで、便利に使っているラインなど、早く、短く、すぐ返すことが第一なのだそうですね。表現を考えることなど捨ててしまっているのでしょうか。古い時代がよかったとは言いませんが、私どもは、友人に出す手紙も、自分の考えていることを、いかに相手によく通じさせるか、表現に気を使い、適する語彙を選び、相手の感情も思いやり、書き上げたものです。
それがスピード第一、自分でもあやふやな考えを、スタンプとか、絵文字とか、短縮語とか、あまりにお手軽ではないですか。この度の「笑笑」でも、この人は単に記号としか思っていないのではないのかしら。ここで笑って深刻さを誤魔化して、「うまいだろう」とほくそ笑んでいたのかしら。

ここで、自分の子供の恥をさらします。子どもはこのブログを読んでくれているようですから、紙面でお説教です。

つい最近、娘の義父が亡くなりました。コロナ拡大の時期なので、家族葬で済ませるとのこと、私どもも駆けつけることなく、ご仏前とお花を供えるようにしました。義母さんも身体が万全でなく、娘がよく働いてくれたとおっしゃっていました。葬儀の後、ラインで私どもがお供えした花を写真で送ってくれました。ここ迄は、今まで経験したことのない葬儀を、取り仕切る夫を助けて無事義父さんを送った良い嫁だったのねと安心していました。

ところがラインを見て、思わずのけぞりました。「こんなお花を供えさせていただきました」の文の前に、「ありがとう」の言葉つきのスタンプが踊っていたのです。

娘はおしとやかな、お嬢様育ちとは言えない人です。でも常識のない人だとは思っていませんでした。近頃の若者にしては文章もうまく書くし、この度は義母さんから褒めていただく働きぶりだったようでした。
それがこのスタンプです。非常識です。現代に生きる娘は、ラインにはスタンプが悲しみを薄めるためにも入れたほうがいいと思い込んでいるのでしょう。
私に言わせると非常識です!!。

私の方が非常識なのかなあ。かんがえてみてください。


食品ロスから大騒動

2021-05-12 13:31:22 | テレビから

今日もニュースショーで見た動画から。

動画の画面はレストランとおぼしきところで、激しいけんかが始まっています。何事かと見ると、店のウエイトレスと客の諍いのよう。
店側・・・もうこれ以上料理は出せません。
客・・・・何故だ、客に向かって。金を出して買うのだから出せ!!  中国での話。

この争いの大元は、中国の文化ともいう「客に対するおもてなしの最大のものは食べきれないほどのご馳走を出すこと」と考える文化。

これが最近世界的な問題になっている食品ロスを減らそうということに繋がってきます。
中国はロスの多いこと、世界一という不名誉な統計結果があります。
これは改善しなければというので、この国らしく国家が乗り出しました。「光盤行動」。皿の上に何も残さない料理の量にする、という運動です。

国家は厳しく締め付けました。★食べきれないほどの物はとらない。★食べきれないほどの料理を勧めたら罰金 ★皿数を決める。それ以上、店側は出してはいけない。罰則を設ける ★大食い番組は罰する などなど。

もう国民の文化になっているおもてなしを罰則を設けてまでなくするとなると、こんな騒動になる場合もあるのでしょう。人間興奮してくると自分が言っていることこそ正しいこと、正義だと思い込んでいくようですね。これは日本でも、「マスク警察」などと言う言葉もできたほどでしたね。
冷静に、相手の行動も、想像して理解していくことが必要なのでしょうね。

中国のおもてなしに似たことは私のふるさとにもありました。今はもう廃れているでしょうけれど。私の子どもの頃、名家と言われる地主さんの家などで、跡取りが結婚するなどと言うことになると、大変でした。畳敷きの部屋の襖など取り払って広い空間を作り、そこに親戚知人一同大集合でした。戦後の食糧難時代、白いご飯さえおおご馳走の時でした。子どもの私にもお膳が一式でる、従兄の結婚式を経験しましたが、その時、ご飯は茶碗が空にならないように底に一口は残すものなのでした。もし空にすると、すぐさま、また大盛りのご飯を押し付けられるのです。
一口残ったご飯が「もう十分、これ以上は食べられません。満足です。ご馳走様」の挨拶になる文化でした。

 


卵かけご飯

2021-05-11 13:36:35 | テレビから

朝食後の主婦仕事はいつものことながらテレビを横目にみながら。いつものように羽鳥モーニングショー。足を止めてみたテーマは”卵かけご飯”。熱いご飯と生卵を混ぜ合わせて半熟になったところで口に搔きこむあれです。

★ ご飯の上にかける卵は、殻を割って全卵を落とし込む、か 別の器に割り入れて掻き混ぜたものをかけるか。

 これはほとんど同数の引き分け。ほかに、

〇 白味と黄味と分けて、白味とご飯を混ぜ後に黄味を上に置く。
〇 黄味だけ混ぜる(白味は卵ご飯には使わない)
〇まず醤油でご飯に味をつけておいて、といた卵をかけ軽く混ぜ合わす。

などなど、コメンテーターに、料理研究家、卵ご飯を愛する会の方などなどが、それぞれ自説を披露して面白かったです。すぐ前までコロナ問題で重い気分になっていたところ、どうでもいい問題に口角泡を(?)で言い合う皆さんが可愛かったのです。

最後に、玉川さんのまとめ。日本の卵かけご飯は「幸せご飯」ですよ。アメリカなどから帰国すると、一番にこれが食べたくなるそうですよ。何故なら向こうでは、生卵は病原菌の恐れがあって食べられませんから。
う~ん、日本でも一頃、サルモネラ菌が危ないとか、ゲージ飼の鶏は抗生物質薬品に汚染されているとか言われましたよね。

わが家では、生卵をかけるこうした卵ご飯はほとんど食べなかったような気がします。我が家の子供、MaもKもごく食の細い、食べさせるのに苦労した子供でした。きっとずるりとした口触りを嫌がったのだと思います。その代り、少し砂糖を入れたスクランブルエッグにご飯を入れて混ぜたものを好みました。我が家ではこれが卵ご飯でした。

夫の里に帰省していた時のことです。姑とお昼ご飯を用意しました。子どもたちには我が家風卵ご飯。二人におじいちゃんにご飯ですよを言っていらっしゃいと言いつけました。その時次のように言いに走ったのはKせした。

「おじいちゃん!卵ご飯だよ~」。

 


気象病・お天気病

2021-05-10 13:46:41 | 圧迫骨折、その後

悪ガキの頃の話です。青年期のごく初め、反抗期に差し掛かった頃のことです。こんなこと覚えはありませんか。
「ヒコマサ(その頃の理科の先生です)、今日は低気圧よ~、気を着けないと」。ヒコマサの所が「とおちゃん・かあちゃん」などと変わることはあっても、何故だか機嫌が悪くてイラついていらっしゃることを「低気圧」と言い習わしていませんでしたか。

わが家では、病気にとても神経質な父が、機嫌が悪くなり、神経痛が痛むと当たり散らすことがありました。子どものこととて、この機嫌悪さが分かりませんでしたが、今、82歳になり、3年越しの脊柱狭窄症・・・脊柱圧迫骨折とそれに伴うヘルニア・・・を抱えてしまった私は、良~く分かるようになりました。近頃医学関係でも「気象病」「お天気病」と名前もついて昇格したようです。

気圧が不安定になったり、気温が上下したりすると、予報ができるほど覿面に具合が悪くなるのです。整形医に3年リハビリに通い、今年のお正月から思い切って通院を止めさせてもらったのですが、そのお天気病が暴れはじめると3年間、リハビリを指導してくださったA先生を思い出すのです。本当に優しく愚痴を聞いてくださり、指導してくださったのです。孫と同じくらいの若い先生でした。

1月くらい前だったでしょうか、低気圧が近づき、午後からは雨になるという空模様。正直に病悪化です。それでも公園でのウオーキングはさぼらずにやろうと思いました。いつも周回路3周がノルマです。ダル重く、痛みも出てきて2周回ったところで強情者の私もあと1周は出来ないほどの具合の悪さになり、とうとう切り上げて引き上げたのでした。

午後ごろごろして、夕方には買い物に出かけました。歩く時はスマホを持って、歩数を記録させます。ほとんど毎日同じ日程です。今日は3周を2周にしたから、歩数は少なくて当然と思いながら見ると、オヤ変。いつもの歩数より多いのです。これはどうしたこと?

今日は脚のだるさに2周めはほとんどウオーキングとは言えないよたよた歩きをしたのでした。そうだ、歩幅だ。A先生がおっしゃってた、
「おせっちゃん、歩くのが基本ですからできるだけ歩いてください。その時大事なのはスピードを上げることではなく、歩幅を広く歩くことです」
ご自宅に近い病院から声が掛かって、昨年末でこちらの病院は退職なさったA先生の最後のお言葉でした。

なるほど、意識して歩幅を広げないと、歩数ばかりが増えるんだ。
幸い最近は激痛の起こることも少なく、頑張って歩いています。褒めてくださるA先生はいらっしゃらないけれど。


ミカンの花

2021-05-08 14:32:04 | 思い出

今週は、花で締めようと思います。

わが家の玄関ドア―を出ると、目の前はお隣のお庭で、アメリカハナミズキが大きく茂って、春の花、夏の西日除け、秋の紅葉と楽しませてもらっています。その下にゆずの木があり、冬至のゆず湯には使わせていただきます。

今、そのゆずの木に花が咲いています。ゆずの実は知らない方はないと思いますが、花は案外ご存じない人もと思うのです。同じ柑橘類ですからミカンも似ています。
私には懐かしく親しい花です。

実家は山口県のH市のNと言う農村です。60メートルばかりの小高い山の中腹の家に住んでいました。敷地から塩田を越えて瀬戸内海が見晴らせました。
家の周りは,山の斜面を段々にしたミカン畑でした。この時期には白い、香りのいい花が競って咲いたものでした。

童謡にも歌われるように、いかにも長閑な風景ですが、農業としての仕事はなかなか厳しいものでした。夏の日照り、害虫の駆除の消毒、草取り、肥料やり、11月12月は収穫、ほとんどが人力での仕事ですから、相当の作業でした。当時現金収入のなかったわが家の貴重な収入だったと思います。

学校に納めなければならないことでもあったのでしょうか、とにかく現金が必要だったのだと思います。母と二人車(と言っても今の車ではありませんよ。母が引き、私が後押しをして人力で動かす小型の農業用の車です)にミカンを積み、寒さの中自宅からかなり離れた家々を売りに回ったことがありました。
母と話しながらの道中はつらいというよりは、心の通うような思い出にもなっているのですが、あるお家を訪ねた時、同じクラスのお友達が出てきたのには驚いたし、きまり悪くもあり、なんだか情けなかったことを思い出します。

どれだけ売れたのか、お金は必要なだけ都合がついたのか記憶がありませんが、とにかく夕方には帰宅しました。帰宅前に、農協の売店で母がご苦労さんとパンを1個買ってくれたのはよく覚えています。
「こんなの買っていいのかしら。折角稼いだお金なのに使って大丈夫なのかしら」不安を感じながら、齧りついたのでした。