じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

生きる意味

2010年10月22日 | 日々のこと

若いときには大なり小なりそれぞれがある意味目的を持って生きてきた。

家族を持てば大きな義務と責任も負っていて、それが生きがいでもあったはず。

 

妻を失い、この歳で一人「生きる目的」は何だろう、時々しんみりと思うことがある。

何がしかの楽しみはあるけれども、それは目的ではない。

人はみな長生きしたいと言うけれど、何をもって長生きしたいと思うのだろう。

目的は達成できていないし、望み楽しみの欲求は尽きないからか・・・・

 

だが生かされている限りは命尽きるまで、よりよく生きなければならない。

そのためには小さなことでも楽しみ、生きがいを見出そう。

 

例えば私が居なければ犬のラヴは困るだろう

墓守がいなくては墓が荒れるだろう、家も廃屋になってしまう。

 

楽しみは毎日のrikuとの電話での会話、孫達の成長・・・

ブログに日々の出来事を綴るのも生きがいの一つ、netでの繋がりも。

子供達を煩わせないための健康管理も必要です。

そのためのダイエットだって立派な目標かもしれない。

自然の移ろいを感じ、写真にとどめるのも楽しみの一つかもしれない・・・

 

そう思えば小さなことだけど一杯ある、それでいいのだろうね。

ひっそりと、妻の分もと思いながら残された生を全うすること。そんなところかな。

 

 

散歩道でラヴと一緒に撮りました。最近わが身の登場シーンが多い?

カメラをベンチの上や地面に置いて・・それで頭が欠けています。

恒例今夜のメニューも忘れずに。

1010223 1010222 101022shoku

コメント (7)
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