じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

昔の話になりますが

2014年07月01日 | 日々のこと

私の子供の頃はまだ結核は死病といわれていた。

小学校のとき、先生が大変な手術をしたが間もなく亡くなったことを覚えている。

まだ手術するのは先進的で、大抵は家に籠り寝込んで衰弱死していたように思う。

江戸時代のドラマでも「労咳」で喀血する場面がよく出てくる。

 

「風立ちぬ」ではサナトリウムの場面があり、お金持ちは保養、栄養、日光浴による自然治癒に頼っていた感染症病でした。花子とアンの村岡の若い奥さんも・・・?

昭和30年代、ストレプトマイシンという抗生物質の特効薬の出現で激減しましたね。

その結核が、なぜか最近になってまた増加してきたといわれます。

 

 

かく言う私も20歳代の初めに罹患して半年入院しました。

病院の最上階の西側に隔離病棟があって、閉じ込められていた時期があります。

早くて半年、長い人は一年と長丁場、・・・かといってみな普通に元気なのでした。

それでも老人で進行した人は亡くなっていました。

見舞いもほとんど来なくて、そこの患者同士は仲良くなったものでしたよ。

特効薬の効果は抜群で3ヶ月もすると肺の影からはほぼ治癒しているのですが、

大事を取って更に2,3ヶ月入院されられるのでした。

思えば私もよい時代に生まれたもので、戦争にも行かず、結核からも救われ、今またがんの治療にも助けられている。世が世なら・・・

 

病棟の婦長さんがたまたま私の田舎の出身で、当時40歳前後だったでしょうか、

独身でスラリとして、若いころの越路吹雪のようなきれいな人でした。

同郷のよしみで私も妻にも優しくしてくれました。

実は、今は亡き妻はその病院に勤めていたのですよ、20歳位だったかな、、頻繁に訪れてくれて、この上ない嬉しい入院生活でした。

その病棟婦長さんにいろいろ取り持ってもらえたのですね・・・。

その方の消息は知りませんが、歳からみて多分お亡くなりになったでしょう。

遠い昔のこと・・・・・・

 

 

朝は自転車散歩、夕方散歩では水遊びしました。

梅酒、一か月で飲めるようになりチビリチビリ・・・なかなかいける。

飲みごろの3ヶ月まで持たないかも

1407011140701214070131407014

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする