諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

36 「豊かさとは何か」の続編として

2019年07月17日 | 
?マークが集まった花。名前は(も)


暉峻淑子著「対話する社会へ」岩波新書

 原始の昔から、人は老若男女の密な共同体の中で生まれ、成長してきた。コミュニケーションの中で認知は発達したし、共同生活で社会性を身に着けた。
 そして、自分のあるべき姿(人格)は共同体の生活で育まれ、あるいは鍛えられながら規定されてきた。「生活=教育」といことが広義の教育の根本原理である。

 大学生でゼミを面白く思っていたころ、共働き家庭率が50%に迫ってきて、子どもたちの生活の質の変化が懸念されてきたいた。コンビニが出来て、「お袋の味」が「(コンビニの惣菜の)袋の味」になった。テレビ画面のスーパーマリオで一人遊びして、ウォークマンで密室的に音楽聞いて、塾の前にマックに寄って…。
 
 そんなころ暉峻さんの講演を聞いたことがあり、有名な「豊かさとは何か?」という緑版の岩波新書があった。社会科学の先生が「豊かさ」をどう説くのかなぁ?と思って読んだように思うが今となっては正確な内容は忘れた。でも「忙しいとは心を亡くすと書く、豊かさとは風に揺れる花を感じること」(正確でない)とどこか書いていたのは印象的だった。だから、そのころの(若いころの主観の多分に混ざった)社会状況と重ね合わせてこの人を記憶した。

 それから数十年が経った。共稼ぎ率という概念が聞かれなくなった。老人が増えて介護もあって、「文化性」を維持した生活にはお金がかかる。追われた感じでゆとりがない。
 そして子どもが減った。一方で一人親世帯も増えた。貧困ということもある。教科書にあったはずの商店街はなくなって、Amazonで深夜でも非対面でなんでも買える。子ども一般の「生活」の実態や実感が分かりはしないが、「学ぶべき教材として生活」は質的にどうなっているのだろう。ノスタルジーやセンチメントで過去を美化せず、冷静な意味でどんなことが学校教育に求められているのだろう。学びが必要だ。

 社会の変わりように無力を感じかねない中、暉峻さんは「対話が必要だ」という本を90歳で出した。この30年間本当の豊かさを求めて活動してきたことの証明である。すごい人がいる。



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14 AI と 遅れてくる自分

2019年04月17日 | 
 「人はパンのみに生きるにあらず」なのであって、人は明示しにくい心の何かがないと生きにくいことは誰もわかっている。
だから芸術や精神文化が生まれる。歴史を知りたいというのもそういうことかもしれない。

 教育もこれに似たところがあって、人は無力で生まれ一定の教育の時期が必要なことがは誰でもわかっている。
それは親の生きがいともつながっていて、教育という営みは芒洋としてつかみにくい、でも確かに存在する。

 一方、AI技術は育ちが違う。数値化、測定可能を積みあげているので貨幣の流通のように誰にでも明瞭で収まりがいい。意識野だけの思考でできているから合意形成が早い。
 いつの間にか社会のありようや生活の様式を変えてしまいつつある。そして、遅れて事態の変化に気づき驚くのは自分の中の無意識の部分だったり、細胞の更新に時間のかかる身体である。

 AIの問題はこの゛遅れてくる自分″をどう確保し、あるいはどう補完するかということではないか。それは科学技術に対する人文科学の役割ともいえるし、子どもに対する大人の直観だったりするのだろう。

 以上、
  新井紀子『AI vs 教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社
 の感想でした。

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04 定点読書

2019年03月13日 | 
 発達心理学の本を読み返しつつ。
 「母親と新生児はさまざまな感覚レベルを駆使して、お互いに密接に働きかけてあっています。相互に行動を誘発しあい、反応に報酬を与えあっています。対面すると視線を合わせあいます。子どもの泣き声は、母親を引き寄せ、母乳の分泌も促進します。また、母親が乳児への働きかけに特有なピッチの高い声で体動を伴って語りかけると、子どもは同じような微妙な体動で反応します。」
「乳児の凝視行動には、見つめる-目をそらす、というリズムがあり、母親がこのリズムを無視すると、この相互作用は終わることが示されています。」
「話し言葉の音節と新生児の手足などの身体の動きの変化点との間に相互作用の同期性がみれらます。」
 
 発達心理学は「わかってるよ」と思うことが多い気がするが、丁寧に読むと発見や再発見が多い。
 カレンダーを見ると〇〇の日があり定期的に大切なことを思い出すようになっている。こうした基礎研究を再聴取する習慣があるべきだと思ったりする。
 言わずもがなだが、教育って、発達の変数、個別性の変数、環境や地域、教育制度、社会体制や国内外の情勢、時々の文化性の変数…で、求める解はどうガンバッテも近似値だ。その中で基礎研究は定数を地道に求め続けている。
 
※定数と言ったが最近の新たな進展も随所に発見される。例えば、この部分でも新生児は一方的に「依存」する存在として、客体的な捉えだったが、母親との「相互行動」という認識でどちらの発達かわからないという。「この子の成育」といった場合、この子だけをとりあげるのではなく、子と母のいるその世界を全体で取り上げないと意味をなさないということだろう。
※ここでは、福村出版『新 乳幼児発達心理学』向田久美子ほか参照してます。


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