「人はパンのみに生きるにあらず」なのであって、人は明示しにくい心の何かがないと生きにくいことは誰もわかっている。
だから芸術や精神文化が生まれる。歴史を知りたいというのもそういうことかもしれない。
教育もこれに似たところがあって、人は無力で生まれ一定の教育の時期が必要なことがは誰でもわかっている。
それは親の生きがいともつながっていて、教育という営みは芒洋としてつかみにくい、でも確かに存在する。
一方、AI技術は育ちが違う。数値化、測定可能を積みあげているので貨幣の流通のように誰にでも明瞭で収まりがいい。意識野だけの思考でできているから合意形成が早い。
いつの間にか社会のありようや生活の様式を変えてしまいつつある。そして、遅れて事態の変化に気づき驚くのは自分の中の無意識の部分だったり、細胞の更新に時間のかかる身体である。
AIの問題はこの゛遅れてくる自分″をどう確保し、あるいはどう補完するかということではないか。それは科学技術に対する人文科学の役割ともいえるし、子どもに対する大人の直観だったりするのだろう。
以上、
新井紀子『AI vs 教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社
の感想でした。
だから芸術や精神文化が生まれる。歴史を知りたいというのもそういうことかもしれない。
教育もこれに似たところがあって、人は無力で生まれ一定の教育の時期が必要なことがは誰でもわかっている。
それは親の生きがいともつながっていて、教育という営みは芒洋としてつかみにくい、でも確かに存在する。
一方、AI技術は育ちが違う。数値化、測定可能を積みあげているので貨幣の流通のように誰にでも明瞭で収まりがいい。意識野だけの思考でできているから合意形成が早い。
いつの間にか社会のありようや生活の様式を変えてしまいつつある。そして、遅れて事態の変化に気づき驚くのは自分の中の無意識の部分だったり、細胞の更新に時間のかかる身体である。
AIの問題はこの゛遅れてくる自分″をどう確保し、あるいはどう補完するかということではないか。それは科学技術に対する人文科学の役割ともいえるし、子どもに対する大人の直観だったりするのだろう。
以上、
新井紀子『AI vs 教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社
の感想でした。