諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

101 幸福の種 #1はじめに

2020年10月03日 | 幸福の種
富士山! 秋 南ア 仙丈ケ岳から北岳、間ノ岳と

「32 「坊ちゃん」のその後」というページがあり、おかげ様でアクセス数が多い。
テーマは時代の変化である。
明治生まれの坊ちゃんの世代が、その後、激しい変化の時代を生きることになることを誰も予想できなかったであろう、という内容である。

文化人類学では一世代を30年のスパンで考えるという。
これに沿って4世代をさかのぼる。2020年生まれ、1990年、1960年、1930年。世代間の環境の変化は大きくて、前世代が努力によって得た「生き方」は30年を経て異なる状況なっている次世代には生かされにくいことは誰でも具体例で考えられるだろう。
こんな状況が何世代も長く続いているのだから現代の教育が難しいことは巨視的には当然であるとも考えられる。
だから、忙しく10年おきに学習指導要領が更新される必要もある。
変化は必ずしも進歩ではない。
そればかりか変化の激しさの中、実際はいろいろな困難なことが起きていることは「そこら」で感じる。
それも含めて家庭も学校もつぎつぎにくる変化への対応に追われる。

もちろん、教育(家庭も学校も)は、変化だけを追ってるわけではない。
一方で普遍的なものを保っている。
子どもの側にたった営みと言ったらいいのか。それは変わらない。
学校で言えば学校文化といってもいいようなものかもしれない。

そしてその普遍性の根底にあるものは、
「どんな条件下であっても子どもたちは、幸福であってほしい」
と願う前世代の保護者や先生達の自然な感情である。

そんな、両面を教育はもっている。

さて、前回のシリーズ?で「第4の教育課程」というものを考えてみた。
学校は機能としての目的があることと、そこにいる生(なま)の子を相対してみたつもりだ。

そして「予測が困難な時代」(学習指導要領)にあって、この子たちはどう生きるのか、そういう観点から考える枠組みとして「第4の教育課程」が必要ではないかと。
そこで今回、子ども達と「幸福」について考え、「第4の教育課程」の内実としていきたい。
変化への対応に対してと幸福論を軸とした教育の普遍性について。
幸福は単なる客観的な物質条件との相関性とは。

テキストを設ける。

神谷美恵子『生きがいについて』みすず書房

名著ながら、こんな機会でないと読みにくい本でもあり、ゆっくりと進めたい。

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