富士山! 秋 奥秩父 甲武信岳からの朝焼け
「はじめに」の2回目となります。繰り返しで恐縮ですが意図をわすれないために書いておきます。
ー本文ー
前回のケンちゃんのクラスの先月の歌は『アイスクリームの歌』である。
「おとぎ話の王子でも、むかしはとても食べられないアイスクリーム、…僕は王子ではないけれどアイスクリームを召し上がる…」
むかしは王侯貴族でも得られないおいしいものを僕でも食べられるわけである。
「舌にのせると……、喉を音楽隊が通ります」
というのだから僕はこの現代が開発してたお菓子を文字通り謳歌している。
アイスクリームとの出合いは僕にとってエキサイティングなできごとだったのだろうと想像したりする。
調べるとこの歌が出来たのは1960年ごろ、60年前の少年だったのだ。
その後はというと、コンビニができ、グローバル化が進んで、深夜でも「ハーゲンダッツ」をいくらでも買えるのだからエキサイティングな現代のギフトはまだ成長し続けているのである。
同じように、自家用車だって、エアコンだって、スーパーマリオだって、Amazonだって、オンラインミーティングだって、「むかしはとても食べられない」ものの仲間である。
60年前の少年の興奮のあと、さらに技術開発があり、グローバル化して、エネルギー開発と供給手段も飛躍的に進んですごい勢いで「アイスクリーム」は増え続けている。
それはコマーシャリズムの明るいノリで浸透していき、私たちは「むかしはとても…」どころではない絶えまないエキサイティングで便利な世界に生きている。
そして、これらの新規なことごとは次第に日常化していき、それ自体は刺激的なものではなくなっていきながら、さらに開発は進む。
後には開発して当たり前のものとしてマインドセットされ、仕組み化されたものにコストだけは支払わねばならない。
このことについては、GDPの総額とエネルギー消費量とは比例するとか、産業構造、二酸化炭素…、そんな問題が社会的に言われるが、見えにくい問題として、大きなコスト(代償)の割には効率よく個々の幸福感にはつながっていないのではないか、ということである。
世界の幸福度ランキングはかなり低いし、あるアンケートには「未来は今より悪くなる」と感じている人が80%以上あった。自死者もまだ少ないとはいえない。
それは、生活自体の実質が変化した影響か、人間にある“業”や“欲”の問題なのか定かではない。
ただ、物質や変化による高揚は、自他の幸福に対する想像力や創造性を弱める傾向があるように思う。
こうした豊かさは、どこか刹那的であるということかもしれない。
このシリーズは、生きることへの地道な努力とそこから生じるであろう幸福について改めて考える。
もちろん、そのことはすべての子の教育にあてはまる「長期目標」(前世代の願い)にかかわることでもある。
もっとも、ユートピアの語源はウ・トポスというラテン語で、「どこにもないところ」という意味だそうで、一方、メーテルリンクの青い鳥は近くにいるという。いずれにしても目を凝らす程度では見えそうにない。
ま、ブログで考えるいいテーマかもしれません。
さて、テキスト、
神谷美恵子「生きがいについて」みすず書房
を柳田邦男さんが次のように解説している。
「いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じされているものは何であろうか。ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見出すのだろうか」
神谷美恵子はつねに苦しむひと、悲しむひとのそばにあとうとした。本書は、ひとが生きていくことへの深いいとおしみと、たゆみない思索にささえられた、まさに生き思想である。
神谷さんは精神科医である。
らい(ハンセン氏病)の国立療養所に滞在した時の経験と調査とが本のベースになっている。
その時の調査アンケートには「将来になんの希望や目標を持てない」という記述が多い一方で、
「ここの生活…かえって生きる味に尊厳があり、人間の本質に近づき得る。将来…人を愛し、己が生命を大切に、ますますなりたい。これは人間の望みだ、目的だ、と思う。」
という入所者もあったという。
「同じ条件のなかにいてあるひとは生きがいが感じられなくて悩み、あるひとは生きるよろこびにあふれている。この違いはどこからくるのであろうか。」
と、本書の冒頭にある。
1966年の著作から、得たいことは多い。
「はじめに」の2回目となります。繰り返しで恐縮ですが意図をわすれないために書いておきます。
ー本文ー
前回のケンちゃんのクラスの先月の歌は『アイスクリームの歌』である。
「おとぎ話の王子でも、むかしはとても食べられないアイスクリーム、…僕は王子ではないけれどアイスクリームを召し上がる…」
むかしは王侯貴族でも得られないおいしいものを僕でも食べられるわけである。
「舌にのせると……、喉を音楽隊が通ります」
というのだから僕はこの現代が開発してたお菓子を文字通り謳歌している。
アイスクリームとの出合いは僕にとってエキサイティングなできごとだったのだろうと想像したりする。
調べるとこの歌が出来たのは1960年ごろ、60年前の少年だったのだ。
その後はというと、コンビニができ、グローバル化が進んで、深夜でも「ハーゲンダッツ」をいくらでも買えるのだからエキサイティングな現代のギフトはまだ成長し続けているのである。
同じように、自家用車だって、エアコンだって、スーパーマリオだって、Amazonだって、オンラインミーティングだって、「むかしはとても食べられない」ものの仲間である。
60年前の少年の興奮のあと、さらに技術開発があり、グローバル化して、エネルギー開発と供給手段も飛躍的に進んですごい勢いで「アイスクリーム」は増え続けている。
それはコマーシャリズムの明るいノリで浸透していき、私たちは「むかしはとても…」どころではない絶えまないエキサイティングで便利な世界に生きている。
そして、これらの新規なことごとは次第に日常化していき、それ自体は刺激的なものではなくなっていきながら、さらに開発は進む。
後には開発して当たり前のものとしてマインドセットされ、仕組み化されたものにコストだけは支払わねばならない。
このことについては、GDPの総額とエネルギー消費量とは比例するとか、産業構造、二酸化炭素…、そんな問題が社会的に言われるが、見えにくい問題として、大きなコスト(代償)の割には効率よく個々の幸福感にはつながっていないのではないか、ということである。
世界の幸福度ランキングはかなり低いし、あるアンケートには「未来は今より悪くなる」と感じている人が80%以上あった。自死者もまだ少ないとはいえない。
それは、生活自体の実質が変化した影響か、人間にある“業”や“欲”の問題なのか定かではない。
ただ、物質や変化による高揚は、自他の幸福に対する想像力や創造性を弱める傾向があるように思う。
こうした豊かさは、どこか刹那的であるということかもしれない。
このシリーズは、生きることへの地道な努力とそこから生じるであろう幸福について改めて考える。
もちろん、そのことはすべての子の教育にあてはまる「長期目標」(前世代の願い)にかかわることでもある。
もっとも、ユートピアの語源はウ・トポスというラテン語で、「どこにもないところ」という意味だそうで、一方、メーテルリンクの青い鳥は近くにいるという。いずれにしても目を凝らす程度では見えそうにない。
ま、ブログで考えるいいテーマかもしれません。
さて、テキスト、
神谷美恵子「生きがいについて」みすず書房
を柳田邦男さんが次のように解説している。
「いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じされているものは何であろうか。ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見出すのだろうか」
神谷美恵子はつねに苦しむひと、悲しむひとのそばにあとうとした。本書は、ひとが生きていくことへの深いいとおしみと、たゆみない思索にささえられた、まさに生き思想である。
神谷さんは精神科医である。
らい(ハンセン氏病)の国立療養所に滞在した時の経験と調査とが本のベースになっている。
その時の調査アンケートには「将来になんの希望や目標を持てない」という記述が多い一方で、
「ここの生活…かえって生きる味に尊厳があり、人間の本質に近づき得る。将来…人を愛し、己が生命を大切に、ますますなりたい。これは人間の望みだ、目的だ、と思う。」
という入所者もあったという。
「同じ条件のなかにいてあるひとは生きがいが感じられなくて悩み、あるひとは生きるよろこびにあふれている。この違いはどこからくるのであろうか。」
と、本書の冒頭にある。
1966年の著作から、得たいことは多い。