諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

102 笑った!

2020年10月10日 | エッセイ
富士山! 秋 有名な撮影スポット 足柄峠(山中湖)から

小学部のケンちゃん。
常時酸素が必要で、酸素量が適切かをときどきチェックしている。
痰が絡みやすいので、苦しそうな時には吸引機をつかうこともある。

ケアが必要だから、担任の先生以外にも、保健室の先生や看護師さんもよく彼のもとにくる。
毎日のことだから彼に近しい人が多い。皆彼のファンだ。

しかし、ファンが多いのはそのためだけではではない。体調の良いとき見せる笑顔がいい。


以前、最重度のお子さんの指導についての研究会に出席した。
ある実践発表の中で、パソコンのディスプレイの中の様子をどの程度、現実と重ね合わせて認識できるかというテーマのものがあった。
デイスプレイは、それ自体は平面だし、高画質といっても相当に再生しきれいていないものであるという。
そういう趣旨のものだった。
しかし、実践場面のビデオが上映されおわると、出席者は自然に意外な結論?を思った。

「〇〇さーん、この中(PCのデイスプレイ)で大好きなものはどーれ」
とベッドサイドで聞きながら、順番に 動物、花、アニメのキャラクター…の写真が流れていく。
促しても反応がない…。
見えているのか?、否、ディスプレイそのものを認識できているのか、と思った。
随意で動かせる右手の指先にはスイッチがあり、返事の変わりに「ハーイ」という音声がながれるようになっているが殆んど指は動かない。
どんな結論にもっていくのだろうと少し心配になってきた。

ところが、最後にお母さんの笑顔がPCに映し出された時である。
ほぼ突然、スイッチどころかその子の表情は紅潮したようになり、全身で喜びを発するほどの発現があった。もちろん指もうごいた。「ハーイ」。
会場はどよめき、「あー」と言って皆頷いたりしている。

皆が納得したのは「画面への認識」以上に「お母さんの笑顔の力」である。


発達心理学で、赤ちゃんが注視するのは顔のモデルであり、とくに笑顔についてはかなり早い段階から好意を向ける対象であることは有名な話である。
今さら…、という照れがあるが、笑顔というのは深いところの欲求とつながっているのかもしれない。
時々そういう当たり前のことを新たな感情とともに実感しなおす。


コロナのこともあって無用にケンちゃんには近づきにくいが、状態が気になってケアの関係者の肩越しに、
「ケンちゃん、どーお?」
と聞く。
すると担任の先生が上手に気を利かせてくれて紹介してくれた。
「ケンちゃん、ケンちゃんのめにいろいろやってくれている先生だよ」。
そして、ちょっと間をおいて(タイミグよく、なのかもしれないが…)
ケンちゃんが笑った!。白い歯がのぞく。

やっぱり、精いっぱいやらないとと思っていることに気がつく。




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