前回の掲載でアクセスいただいたのでつづきを書きます。
その第九、ラジオで生放送がありテレビ放送(大晦日)に先だって聴いてみました。
Twitterみたいですが、この演奏会についてのつぶやきです。よかったら読んでください。
ほとんど趣味の世界で恐縮ですが。
以前、指揮をする尾高さんが、若いころ修行したウイーンを再訪するテレビ番組をやっていた。
で、尾高さんは、ウイーンの中心部を後にし、郊外のハイリゲンシュタットという街へ向かう。ここはベートベンが代表曲をいくつも創作したところで、当時のままの家も保存されている。
ところで、音楽家は日常的に、譜面を読み、イメージを膨らませていく。考え、時には格闘し?、音を響かせるまでの過程を何度も繰り返しながら作曲者とその曲に近づいていく。それをくり返してきた曲の表現者としては、その譜面の創作現場に立ち入ることは、通常、譜面からは得られない情報をイメジネーションとして得られるに違いない。
特にこの場所は、ベートーベンが耳の不調から遺書まで書きながら、複雑な心理を抱えまま書き続けたところである。音楽家はその感性で直接ベートーベンと対話するような感触が持てるのかもしれない。
そして、番組の中の尾高さんは、しばらく感じ入るようにゆっくり室内を歩くと、この日本のトップ指揮者が、窓の外に目をやって涙を流すのである。
その意味するところはもちろん分からないのだが、ベートーベンの何かが尾高の中に入り込んだようだった。
その時の印象が強い。
ベートーベンが最後に書いた歓喜の歌、第九をその尾高が指揮する。
「入り込んだもの」の表現といってもいいかもしれない。
また別の背景もある。
コロナ禍は合奏や合唱に打撃を与えた。
アマチアのオケ、合唱は再会の目処を持てず、プロは生活の糧を奪われかけている。
NHK交響楽団も設立以来、1900回以上ずっと続けてきた定期演奏会を中断した。プロ合唱団も同様だ。
コロナが落ちついてきても、聴衆がもどる保証はない。
そして、再起をかけて起用した気鋭の外国人指揮は入国ができず、このオーケストラがその任を託したのが尾高忠明なのである。
そういう意味では音楽界の今後にも、興行的にも、年末注目される第九演奏会はアッピールのチャンスである。その責任も尾高にある。
そして、FMの放送が始まる。
聞こえていた拍手がやむと、いよいよ始まる、第一楽章の抑制されたバイオリン合奏演奏から。
その後、70分して、高らかな歓喜の歌がおわり、再び拍手が聞こえてくる。
拍手の割に?誰もブラボーと声を掛けない!?。聴衆はマスクをして声を出せない。その代りに盛んな拍手が送られる。
拍手がやまない中、進行役の芸大出身のアナウンサーが、生放送の時間を気にしながら、
少し上気した感じで、「大きく、暖かい演奏でした」と短くコメントしたようだった。
「優しい」と言ったのかもしれない。
番組は拍手の終わるのを諦めたように終了した。
街の教会の神父さんのような指揮者が、指揮台をおり、にこやかに拍手に応えている姿が浮かんだが、もちろんそれは見えない。
その第九、ラジオで生放送がありテレビ放送(大晦日)に先だって聴いてみました。
Twitterみたいですが、この演奏会についてのつぶやきです。よかったら読んでください。
ほとんど趣味の世界で恐縮ですが。
以前、指揮をする尾高さんが、若いころ修行したウイーンを再訪するテレビ番組をやっていた。
で、尾高さんは、ウイーンの中心部を後にし、郊外のハイリゲンシュタットという街へ向かう。ここはベートベンが代表曲をいくつも創作したところで、当時のままの家も保存されている。
ところで、音楽家は日常的に、譜面を読み、イメージを膨らませていく。考え、時には格闘し?、音を響かせるまでの過程を何度も繰り返しながら作曲者とその曲に近づいていく。それをくり返してきた曲の表現者としては、その譜面の創作現場に立ち入ることは、通常、譜面からは得られない情報をイメジネーションとして得られるに違いない。
特にこの場所は、ベートーベンが耳の不調から遺書まで書きながら、複雑な心理を抱えまま書き続けたところである。音楽家はその感性で直接ベートーベンと対話するような感触が持てるのかもしれない。
そして、番組の中の尾高さんは、しばらく感じ入るようにゆっくり室内を歩くと、この日本のトップ指揮者が、窓の外に目をやって涙を流すのである。
その意味するところはもちろん分からないのだが、ベートーベンの何かが尾高の中に入り込んだようだった。
その時の印象が強い。
ベートーベンが最後に書いた歓喜の歌、第九をその尾高が指揮する。
「入り込んだもの」の表現といってもいいかもしれない。
また別の背景もある。
コロナ禍は合奏や合唱に打撃を与えた。
アマチアのオケ、合唱は再会の目処を持てず、プロは生活の糧を奪われかけている。
NHK交響楽団も設立以来、1900回以上ずっと続けてきた定期演奏会を中断した。プロ合唱団も同様だ。
コロナが落ちついてきても、聴衆がもどる保証はない。
そして、再起をかけて起用した気鋭の外国人指揮は入国ができず、このオーケストラがその任を託したのが尾高忠明なのである。
そういう意味では音楽界の今後にも、興行的にも、年末注目される第九演奏会はアッピールのチャンスである。その責任も尾高にある。
そして、FMの放送が始まる。
聞こえていた拍手がやむと、いよいよ始まる、第一楽章の抑制されたバイオリン合奏演奏から。
その後、70分して、高らかな歓喜の歌がおわり、再び拍手が聞こえてくる。
拍手の割に?誰もブラボーと声を掛けない!?。聴衆はマスクをして声を出せない。その代りに盛んな拍手が送られる。
拍手がやまない中、進行役の芸大出身のアナウンサーが、生放送の時間を気にしながら、
少し上気した感じで、「大きく、暖かい演奏でした」と短くコメントしたようだった。
「優しい」と言ったのかもしれない。
番組は拍手の終わるのを諦めたように終了した。
街の教会の神父さんのような指揮者が、指揮台をおり、にこやかに拍手に応えている姿が浮かんだが、もちろんそれは見えない。