テーマ設定の山 甲武信小屋のテント場 背負ってきた我が家を設営
いつも読んでいただいてありがとうございます。
「近未来からの風」という重いシリーズ、そろそろまとめていきたいと思います。
現場の教師として、重要で無関心であってはならないけど、優先順位の下がること、これをどう自分に位置付けるかということを考えつつ進めています。自分の勉強ですが、何かの助けになれば幸いです。
近未来は不確定だという。そのことは国際的には「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という熟語になっているそうだ。
そもそも、学校教育は、未来への想定から、そこに備える準備を次世代に託すという当たり前の原則があるべきだが、それがなりたたない。
また、教育には教育の固有の意義や原則があるはずだが、それを語りきれない状況があるらしく、そこにも未来の教育への解を見つけにくいようだ。
そんな中、それまで、それぞれの国家が独自に企画、経営してきた教育についても、今世紀になってグローバルの流れが出てきている。
その一つが、これから取り上げていく「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」である。
「近未来からの風」は、地球規模の季節風として、共通認識されつつある。しかも、具体的に動きがある。
元来、教育は地方分権の原則がある。子どもた達は、それぞれのコミュニティに属するから教育はその小さな単位の意志を尊重されるべきだと。
特に日本では戦前の国家主義的な教育への批判もあり、教育の自治は一つの理念として尊重されてきていた。
ところが、こうしたコミュニティの課題もそれが、掌握できる範囲を簡単に超えてしまう。つまり教育の目的も内容も地方分権では収まりきれないジレンマが、グローバル化につながっているとも言えるだろう。
一国の地方の課題は、即、世界につながってきている。
例えば、こんなモードで表現できるかもしれない。
誰でもそのデジタル技術を共有しうるオープンソース、次々の表れる変幻自在なプラットフォーム、一国の貨幣にとらわれないブロックチェーンの3つの概念は、どれもバーチャルのよう気分でバイアスなく国境を越えて、いつの間にか、便利なもの、心地よいものとなって私たちにも身近なものになっおり、自覚のないままにバーチャルのはずだったそれに取り組まれたりしている。
「バーチャル」はいつの間にか、実態として産業構造や生活感を変化させている。
他の現代の問題も含めて、変化というのはこういうことだと遅ればせながら自覚すると、いつの間にうけ入れた技術や仕組みは本質的に「人を担保する」性質のものではないことに気づくのである。
そこで、人が人としてのあるべき姿をどこかで補完する必要が生じる。しかもそれぞれがグローバルな視点でということになる。
さて、その「OECD Education 2030 プロジェクト」だが、意外なほどそれぞれの国の事情や個性(思想や宗教)を越えて、議論がかみ合っている印象を受ける。それだけ各国の課題がグローバルな視点が必要になっているということと考えてよいのかもしれない。
各国には、それまでの歴史の厚みがあり、風土と根づいた宗教や特別な志向もあることが教育を考える前提だったはずだ。
それが、少なく、各国の教育関係者が近未来に向けて協調している感じは、率直にほっとする。
そして、その中身も私たちの立場からも違和感の少ない真摯なものなのである。
ちょっと大げさにいうと〝世界の教育界も、捨てたものではない”という印象だ。
次回から、このプロジェクトに文科省から参加されていた白井 俊さんの著作から学んでいこうと思う。
で、これに先立って、まず「The future of education and skills Education 2030」という小冊子(PDF)の「序文」を紹介する。
グローバル化の進展や技術の進歩の加速によって,我々は,社会,経済,環境など様々な分野において前例のない変化に直面している。こうした変化は,一方では,人類の進歩のために多くの新たな機会を提供するものでもある。未来は不確実であり,予測すること
は困難である。しかしながら,我々は常に将来の変化に対して開かれており,かつ準備ができていなければならない。2018 年に学校に入る子供は,2030 年には成人として社会に出ていくことになる。現時点では存在していない仕事に就いたり,開発されていない技術を使ったり,現時点では想定されていない課題を解決することなどについて,学校は子供たちに準備しておくようにすることができる。そうすることは,子供達が機会をつかみ,解決策を見つけるために果たすべき,私たちの共同責任となるだろう。
そうした不確実な中を目的に向かって進んでいくためには,生徒は好奇心や想像性,強靭さ,自己調整といった力をつけるとともに,他者のアイディアや見方,価値観を尊重したり,その価値を認めることが求められる。また,失敗や否定されることに対処したり,
逆境に立ち向かって前に進んでいかなければならない。単に自分が良い仕事や高い収入を得るということだけでなく,友人や家族,コミュニティや地球全体のウェルビーイングのことを考えられなければならないのである。
教育を通じて,学習者は,自らの人生を形作り,また,他者の人生に貢献していくためのエージェンシーや目的意識,必要なコンピテンシーを身に付けることができる。そのためにどうするのが一番よいかについて,経済協力開発機構(OECD)では,「教育とスキル
の未来 2030」プロジェクトを実施してきた。このプロジェクトの目的は,各国が以下の2つの大きな問いに対する回答を見つけることを手助けすることにある。
〇現代の生徒が成長して,世界を切り拓いていくためには,どのような知識や,スキル,態度及び価値が必要か。
〇学校や授業の仕組みが,これらの知識や,スキル,態度及び価値を効果的に育成していくことができるようにするためには,どのようにしたらよいか。
(後略)
何かほっとするものがある。
次のHPから引用しました。
https://www.oecd.org/education/2030-project/about/documents/OECD-Education-2030-Position-Paper_Japanese.pdf
いつも読んでいただいてありがとうございます。
「近未来からの風」という重いシリーズ、そろそろまとめていきたいと思います。
現場の教師として、重要で無関心であってはならないけど、優先順位の下がること、これをどう自分に位置付けるかということを考えつつ進めています。自分の勉強ですが、何かの助けになれば幸いです。
近未来は不確定だという。そのことは国際的には「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という熟語になっているそうだ。
そもそも、学校教育は、未来への想定から、そこに備える準備を次世代に託すという当たり前の原則があるべきだが、それがなりたたない。
また、教育には教育の固有の意義や原則があるはずだが、それを語りきれない状況があるらしく、そこにも未来の教育への解を見つけにくいようだ。
そんな中、それまで、それぞれの国家が独自に企画、経営してきた教育についても、今世紀になってグローバルの流れが出てきている。
その一つが、これから取り上げていく「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」である。
「近未来からの風」は、地球規模の季節風として、共通認識されつつある。しかも、具体的に動きがある。
元来、教育は地方分権の原則がある。子どもた達は、それぞれのコミュニティに属するから教育はその小さな単位の意志を尊重されるべきだと。
特に日本では戦前の国家主義的な教育への批判もあり、教育の自治は一つの理念として尊重されてきていた。
ところが、こうしたコミュニティの課題もそれが、掌握できる範囲を簡単に超えてしまう。つまり教育の目的も内容も地方分権では収まりきれないジレンマが、グローバル化につながっているとも言えるだろう。
一国の地方の課題は、即、世界につながってきている。
例えば、こんなモードで表現できるかもしれない。
誰でもそのデジタル技術を共有しうるオープンソース、次々の表れる変幻自在なプラットフォーム、一国の貨幣にとらわれないブロックチェーンの3つの概念は、どれもバーチャルのよう気分でバイアスなく国境を越えて、いつの間にか、便利なもの、心地よいものとなって私たちにも身近なものになっおり、自覚のないままにバーチャルのはずだったそれに取り組まれたりしている。
「バーチャル」はいつの間にか、実態として産業構造や生活感を変化させている。
他の現代の問題も含めて、変化というのはこういうことだと遅ればせながら自覚すると、いつの間にうけ入れた技術や仕組みは本質的に「人を担保する」性質のものではないことに気づくのである。
そこで、人が人としてのあるべき姿をどこかで補完する必要が生じる。しかもそれぞれがグローバルな視点でということになる。
さて、その「OECD Education 2030 プロジェクト」だが、意外なほどそれぞれの国の事情や個性(思想や宗教)を越えて、議論がかみ合っている印象を受ける。それだけ各国の課題がグローバルな視点が必要になっているということと考えてよいのかもしれない。
各国には、それまでの歴史の厚みがあり、風土と根づいた宗教や特別な志向もあることが教育を考える前提だったはずだ。
それが、少なく、各国の教育関係者が近未来に向けて協調している感じは、率直にほっとする。
そして、その中身も私たちの立場からも違和感の少ない真摯なものなのである。
ちょっと大げさにいうと〝世界の教育界も、捨てたものではない”という印象だ。
次回から、このプロジェクトに文科省から参加されていた白井 俊さんの著作から学んでいこうと思う。
で、これに先立って、まず「The future of education and skills Education 2030」という小冊子(PDF)の「序文」を紹介する。
グローバル化の進展や技術の進歩の加速によって,我々は,社会,経済,環境など様々な分野において前例のない変化に直面している。こうした変化は,一方では,人類の進歩のために多くの新たな機会を提供するものでもある。未来は不確実であり,予測すること
は困難である。しかしながら,我々は常に将来の変化に対して開かれており,かつ準備ができていなければならない。2018 年に学校に入る子供は,2030 年には成人として社会に出ていくことになる。現時点では存在していない仕事に就いたり,開発されていない技術を使ったり,現時点では想定されていない課題を解決することなどについて,学校は子供たちに準備しておくようにすることができる。そうすることは,子供達が機会をつかみ,解決策を見つけるために果たすべき,私たちの共同責任となるだろう。
そうした不確実な中を目的に向かって進んでいくためには,生徒は好奇心や想像性,強靭さ,自己調整といった力をつけるとともに,他者のアイディアや見方,価値観を尊重したり,その価値を認めることが求められる。また,失敗や否定されることに対処したり,
逆境に立ち向かって前に進んでいかなければならない。単に自分が良い仕事や高い収入を得るということだけでなく,友人や家族,コミュニティや地球全体のウェルビーイングのことを考えられなければならないのである。
教育を通じて,学習者は,自らの人生を形作り,また,他者の人生に貢献していくためのエージェンシーや目的意識,必要なコンピテンシーを身に付けることができる。そのためにどうするのが一番よいかについて,経済協力開発機構(OECD)では,「教育とスキル
の未来 2030」プロジェクトを実施してきた。このプロジェクトの目的は,各国が以下の2つの大きな問いに対する回答を見つけることを手助けすることにある。
〇現代の生徒が成長して,世界を切り拓いていくためには,どのような知識や,スキル,態度及び価値が必要か。
〇学校や授業の仕組みが,これらの知識や,スキル,態度及び価値を効果的に育成していくことができるようにするためには,どのようにしたらよいか。
(後略)
何かほっとするものがある。
次のHPから引用しました。
https://www.oecd.org/education/2030-project/about/documents/OECD-Education-2030-Position-Paper_Japanese.pdf