isseyと愉快な仲間達

日々謝罪と反省なり。

千年の階 ~万霊節~

2005年08月22日 11時52分22秒 | 主義・思想
前回に引き続き
今回も私事を書きます。
例によって主観と偏見に満ちた
バカの戯れ言です。


我々は毎年1回、同窓会を開きます。
それは高校3年生の時に始まりました。
今回はその話しです。

3年生の最後の大会を終えた日でした。
誰かが花火をしようと企てを起こしたのです。

その日の夕方、高校の近くの堤防の
河川敷に集まり花火をしました。
色気付いてビールっぽいのを飲んでみたり
複数に別れてロケット花火を打ち合ったり
騒いでいました。

何処にでもある青春の1ページです。

高校を卒業し、皆が袂を別れ
それぞれが違う道を歩み出しました。
卒業した晩、男子部員は集まり
遊んで、語り合って、卒業しました。

私は以前お伝えしたように
京都府の私立大学に進学しました。

神戸市の私立大学に進学した者、
神戸市の専門学校に進学した者、
家庭の事情で予備校に通う者、
医療系専門学校に進学した者、
板前に弟子入りした者、
それぞれ選んだ道を歩み始めました。

7月某日、誰からか連絡が届きました。
恒例の花火大会です。

まだ携帯電話が一部の人しか
持ってなかった時代に
緊密に連絡を取り合い、
分担して動きました。

花火を買う係や飲み物を買う係など
それぞれが自転車で
河川敷に集合するのです。

始めのうちは花火をして
遊ぶのが中心だったが
次第に座って話すのが
会の中心になってきました。

話す内容は様々で
下らないマンガの話しや
誰の立身出世の話しや
誰の恋の話しやら結婚話や
身の上話などテーマはそれぞれに
適当な人数で勝手バラバラに
話す事が多くなりました。

今では一年に一度しか会えない親友達。

会うと恰も先週の土曜日に
会ったばかりのような
口調で話し始める。

そして当たり前のように「また来年な」と言って
それぞれが時間を迎えて帰って行く。

最近では明け方まで残って
話す事も多々ある。
メンバーの多くが帰り
残った者達で片づけをして
心境や状況をまた話し続ける。

ぼんやりとした夜明けを
数人で眺めてぼんやりする。
70年代のフォークソングのようで
ムズムズする感じは否めない。

来年で10年目を迎える花火大会。
何でこんなに続くのか分からない。
各自の負担が少ないからか?
一本ずーっと通ってるからか?

大袈裟な言い方をすれば
影も形もない単なる人の集まりだけど
実家のような感じがする。
自分の実家より居心地が良い。

我々は決して大きな大会で
賞を取る強豪ではなかった。
最期の試合の後で涙を流した訳でもない。
ベストセラーの青春ではなかったが
ロングセラーの友情が我々にはある。

これからも大きな変化もなく
皆がダラダラと靴下を脱いで
足を伸ばすような感じで
続けて行きたいと思う。


今年の万霊節は8月20~21日を以て千秋楽を迎えた。
さて来年はどのように人々が変わっているのでしょう?




千年の階 ~礎~

2005年08月22日 11時50分45秒 | 主義・思想
今回も私事を書きます。
真面目な話を書きます。
いつものバカ話しでは今度掲載するので
予め御了承下さい。
長文になってます。
本当にすみません…。


今から十数年前、私は
中学校を卒業しました。
そして高校生になりました。
地元の市立高校です。

私は小学生の時に少しだけ習った
空手をしようと思って
空手部に入りました。

1人で入部するのが恥ずかしかったので
小学校からの同窓のM野が空手部に入ったのを知り
大して話した事も無かったのに強引に話し掛け
自分も空手部に入ると言いました。
そして入部しました。

その数日後、クラスの教室で誰となく
何の部活に入ったかと言う話しをしてました。
私はオドオドしながら空手部に入ったと言いました。
そしたらH谷と言う奴が自分も入ると言ってくれました。
後の親友の1人になる男です。

翌日、一緒に登校したのですが
お互い人見知りをしてて
上手く話してなかった気がします。

我々の学年は先代の諸先輩方より多く
男子9名、女子3名の計12名いました。
構成員の大半が初心者で
ヘタクソながらも練習をしました。

私は殴られるのが恐かったので
組手よりも型を選び
経験のあるH谷を師として仰ぎ
必死こいて練習しました。

学校の顧問が空手を知らない人で、
また学校の教師として、人間として
非常に重大な欠陥を抱えていたので
我々は顧問を物凄く拒みました。
自分達より劣る者に指導を受けるのがイヤでした。

また一方で
先代よりお世話になっている
近所の道場の先生の指示の下、
烏合の衆は精進して行きました。

3年間の間で様々な試合に出ました。
道場の試合で私は主に2位か3位の
シルバーコレクターでした。
ゴールドメダリストは
H谷や他支部の先輩方。

得体の知れないM野の
超人的なフットワークを活かした
組手は爆笑と感動を与えつつも
彼は入賞していました。


誰もがそうであるように
高校の3年間はあっと言う間に
最後の時を迎えました。

終わる時は、始まりの時であると
欧米か外国の誰かが言うように
3年生の時の最後の試合の後、
最高の友情の第一歩を刻む
空手部花火大会が、
万霊節が始まるのです。

つづく…。