コロナ騒ぎになる前は、高円寺の阿波踊りをよく撮りに行った。その年は、お嬢さんたちが踊り終えたところを待って襟首を撮らして頂いた。後刻、お嬢さんたちに写真を差し上げようとしたが果たせなかった。所属の連とお名前を伺っておくべきだったと悔やんだ。
上の写真は「座・高円寺」の舞台写真である。サラリーマンになったばかりの頃、三越劇場で日舞の「各派女流名人会」をプロとして撮っていた時を思い出した。現在のようにデジカメではなく、フィルムの時代であったので撮るのに大変な苦労があった。三脚、ストロボは禁じられていた。所作の型が決まると踊り手は息を抜いてしまう。緊迫した表情を撮るには型の決まる何分の一秒か前に写し終える必要があった。それで三味線の音に合わせてシャッターを切っていた。その辺の呼吸を知っていたので結構な注文を頂き、たった一日でサラリーマンの月給以上のものが稼げた。
上の写真は「座・高円寺」の舞台写真である。サラリーマンになったばかりの頃、三越劇場で日舞の「各派女流名人会」をプロとして撮っていた時を思い出した。現在のようにデジカメではなく、フィルムの時代であったので撮るのに大変な苦労があった。三脚、ストロボは禁じられていた。所作の型が決まると踊り手は息を抜いてしまう。緊迫した表情を撮るには型の決まる何分の一秒か前に写し終える必要があった。それで三味線の音に合わせてシャッターを切っていた。その辺の呼吸を知っていたので結構な注文を頂き、たった一日でサラリーマンの月給以上のものが稼げた。