「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。
過去は不確実であるというのが、時間の真相です。自分が思っているような形でそ
れが本当に起ったのかどうかは、誰にも分かりません。そして未来もまた確実では
ありません。第一、時間が直線的に進むかどうかさえ確実ではないのです。
医師が患者に末期である事を告げると、患者の時間意識は強烈なものになります。
突然、もう時間がないと感じ、慌てふためきます。しかし、いくら統計的な平均値
である余命が分かっていても、当人にとっては自分がいつ死ぬか分かりません。分
からないという現実と格闘しなければなりません。そのとき、学ぶべきレッスンが
はっきりしてきます。死の淵に立ちすくみ、あと時間がどのくらい残されているか
を知りたがります。しかし、それが分かるはずのないことに気づきます。その人が、
どんなレッスンを学ぶ運命にあり、本当はどんな人間であり、与えられた寿命がど
のくらいだったのかは、誰にも分かりません。受け入れ難いことかもしれませんが、
現実的な目で見れば、人はその死期より早く死ぬことはなく、死ぬ時がその人の死
期なのです。
我々の努力目標はこの一瞬を味わい尽くすことにあり、それは十分にやりがいのあ
る目標です。この一瞬の中に幸福と愛に繋がる全ての可能性があり、未来はこうあ
るべきだという期待の中にその可能性を埋没させてはなりません。未来への期待を
捨てることによって、今ここで生起している聖なる空間の中で生きる事ができるの
です。
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過去の出来事というのは、固定されたものだと思っていたのですが、自分にとっての
自分の過去の評価というものは、変化するのかもしれませんね。思い出したくもない
過去の記憶・・・その時はそう感じた出来事だったのかもしれないが、随分と時間が
経過すると、ただの記憶になったり、逆に懐かしい記憶となったりすることってあります
よね。
また、その過去の出来事は、人によって随分と印象が違うものであったりするのかも
しれません。(同窓会などで話題になる当時のクラスで起きた事件の印象、記憶、感じ
方が人によってずいぶん異なってたりするでしょう)
結局、死期が迫ると時間的余裕がなくなります。そこで誰もが時間がないとあたふた
する事になるのでしょうけれど、時間の長さを判断にするのではなく、「未来を見ずに
本当の今を生きる」事を、しっかりと、学ぶ事ができれば落ち着いていられることにな
るのでしょう。
さらにもうひとつ、「肉体が滅んだ後も魂は永遠に存在し、個性も存続する」という事が、
自己の深いレベルで確信することができれば、死という困難に立ち向かう強力な武器
を手に入れている事になります。
次回から「恐れ」のレッスンです。
子供にとって人生を左右する大事件!
って事はよくあります。
「なんでオムツ濡れてるのに、こんなに泣いても誰も来ない?!!」
ってのが、源葛藤だったりするって話聞いたことがあります。
目線が違うから、
今の大人の目線で見直すって
特に親子関係の修復には特に役に立ちますね。
やってみたことあります。
父方の祖父母は子供嫌い、と思い込んでいたけど
親から預かっている間、
甘やかしたらよくない、
と考えていたんだな、
と今では思えます。
ですね。
そのときは不幸に思っていたことが、
少し離れて距離を置いて、さらに時間も置いて
もう一度見直してみると、そこには、ちゃんと
「愛」があったり。
思慮深い考えは、直線的には伝わらず、
幾つかの自己成長の後に解る事も多いです。
近視眼的、自己中心的に見る世界、どんどんと
枠を広げていくと、また全く違った世界が
見えてくるのでしょうね^^