’スピリチュアリズムからの風景’カテゴリーです。
(スピリチュアリズムを掲げる宗教法人もありますが、当ブログとは一切関係あり
ません)
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何もやりたくない。好きなことはあるけど、別にどうだっていい。
うつ状態の思考回路は、自信を失い、生きる活力を奪い取る。
自己嫌悪、ダメダメダメダメ・・・だ。
将来を思い煩い、否定的なイメージがくるくる回る。
取り越し苦労や不安が、止め処も無く押し寄せてくる。
ネガティブスパイラルは、頭から離れることなく、寝ても覚めても襲いかかる。
生きることが・・・苦しい・・・。
親からもらった命・・大切にしなきゃだめだよ。
生きたくても、生きられない人がいるじゃないか。
そんな事をしたら、君を愛する周りの人たちがどれだけ悲しむか・・。
そんなことは解っている。
それでも、生きることが・・辛い。
自分の心に素直になりたいんだ。
囚われた心は、そこから抜け出す思考を与えない・・・
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心の赴くままに・・・正直に生きることが大事・・・だからこの世を去りたいと
思う事は利己心ではないのではないか。
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心は、何を基盤として、基準として、正しい、正しくないとするのでしょうか?私
たちの心は、いつだって移ろいやすく、もろいものです。
私たちは、生まれてくる前に向こうの世界で、こちらに転生してきて何を学ぶか、
どんなカルマを解消しようとしているのかを計画を自らが立てて生まれてくると言
われています。その計画の中には、自殺の選択は決してありません。
私たちは、肉体が無くなっても霊として生き続けるのであれば、肉体を持っている
時の思いや感情も生き続けるということになります。’生きる’ことに正面から取
り組まないで、今この場から消えても、その思いや感情はずっとその人の思念とな
って消える事はないようです。更に、向こうの世界では、精神・心・感情・思いが
自分を表現する世界(顔つきや体つきではない)ですから、より感情や思いが増幅
されるようです。
苦しくとも生きることを選択し、その難題を真正面から受け止め、生き込むことが
大切です。しかし、ウツ状態のネガティブスパイラルの最中においては、それはそ
れはとても苦しいことです。対処的には、抗うつ剤や安定剤の力を借りることも必
要でしょう。セロトニンを増やす為にリズム運動や腹式呼吸も良いでしょう。
更に下記のシルバーバーチの霊訓のようなスピリチュアリズムの知識も役に立つは
ずです。
少しずつ、少しずつ、薄皮をはがすように・・・
少しずつ、少しずつ、取越し苦労や不安が減っていくはずです。
焦らず、ゆっくり、ゆっくり、時間を流していくことです。
今までこの世で生きてきた中で、培われてきた道徳的判断や価値観が少しずつ、少
しずつ変わってゆきます。
心を捕らえてきた鳥かごが、少しずつ、少しずつ、大きくなっていくでしょう。
鳥かごの大きさが変わり始めれば、少しずつ、少しずつ、ネガティブスパイラルか
ら抜け出し始めます。
と同時に、向こうの世界から注がれているポジティブなエネルギーを受け取る受信
感度が上がってゆきます。
もしまた、めげたり、挫折したら、ゼロに戻り、リセットすればよいのです。落ち
るところまで落ちたのですから。山あり、谷あり、少しずつ、少しずつ、また登っ
て行けばよいのです。
ここで逃げ出してしまえば、また向こうの世界や来世で、同じ試練を繰り返さなけ
ればなりません。
やがて、何が大切か、何が大事かが少しずつ解り始めます。そしてあなたの行く道
を照らし、導いてくれることでしょう。
あなたは決して独りではありません。忘れ去られることはありません。向こうの世
界のあなたと縁のあった方や霊的に繋がりを持った方や守護霊、指導霊が、あなた
が自分自身に課した課題がやりとげがれるようにと見守り、エネルギーを与え続け
ているのです。
一人一人、人生の道は違います。人と較べるものではありません。一人一人が自ら
の向上進化のために、この世に自ら課題を持って生まれてきたのです。その課題を
見つけることこそが、人生の旅なのかもしれません。
わたしも祈っております。
あなたの守護霊様にあなたが導かれますように
あなたの内なる神様があなたを導きますように
心から祈っております。
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シルバーバーチの霊訓の中で、自殺に関する記述を下記に抜粋します。
自殺行為によって地上生活に終止符を打つようなことは絶対にすべきではありませ
ん。もしそのようなことをしたら、それ相当の代償を支払わねばならなくなります。
それが自然の摂理なのです。地上の誰一人として、何かの手違いのためにその人が
克服できないほどの障害に遭遇するようなことは絶対にありません。
むしろ私は、その障害物はその人の性格と霊の発達と成長にとって必要だからこそ
与えられているのですと申し上げたいのです。苦しいからといって地上生活にさよ
ならをしても、その苦しみが消えるわけではありません。
それは有り得ないことです。またそれは摂理に反することです。地上であろうと霊
界であろうと、神の公正から逃れることはできません。
なぜならば、公正は絶対不変であり、その裁定はそれぞれの魂の成長度に合わせて
行われるからです。物質の世界から霊の世界へ移ったからといって、それだけで魂
に課せられた責任から逃れられるものではありません。それだけは明確に断言でき
ます。
(自殺に追いやられる人は、やはり耐え切れない苦しみを受けているからではないか)
大多数は私に言わせれば臆病者の逃避行為であると言ってよいと思います。果たす
べき義務に真正面から取り組むことができず、いま自分が考えていること、つまり
死んでこの世から消えることがその苦しみから逃れるいちばんラクな方法だと考え
るわけです。
ところが、死んだつもりなのに相変わらず自分がいる。そして逃れたはずの責任と
義務の観念が相変わらず自分につきまとう。
その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断します。その状
態から抜け出せないまま何十年も何百年も苦しむ者がいます。
(ノイローゼのような形で自殺した場合は、罪がないと考えてよいか)
確かに結果だけをみればノイローゼ気味になって自殺するケースはありますが、そ
ういう事態に至るまでの経過を正直に反省してみると、やはりそのスタートの時点
において’責任からの逃避’の心理が働いていたのです。
もしもその人が何かにつまずいた時点で’自分は間違っていた。やり直そう。その
ためにどんな責めを受けても最後まで責任を全うしよう’と覚悟を決めていたら、
不幸をつぼみのうちに摘み取ることが出来ていたはずです。
ところが人間というのは、窮地に陥るとつい姑息な手段に出ようとするものです。
それが事態を大きくしてしまうのです。そこで神経的に参ってしまって正常な判断
力が失われていきます。ついにはノイローゼ気味となり、自分で自分が分からなく
なります。問題はスタートの時点の心構えにあったのです。
私たちは変えようにも変えられない自然法則の存在を認めると同時に、同じ自殺行
為でも進化の程度によってその意味が異なると観ているのです。たしかに臆病であ
るがゆえに自殺という手段で責任を逃れようとする人が多くいます。しかし、そん
なことで責任は逃れられるものではありません。死んでもなお、その逃れようとし
た責任に直面させられます。
しかし同時に、一種の英雄的行為ともいうべき自殺ー行為そのものは間違っていて
も、そうすることが愛する者にとって唯一の、そして最良の方法であると信じて自
分を犠牲にする人もいます。そういう人を卑怯な臆病者と同じレベルで扱ってはい
けません。大切なのは’動機’です。
(みずからの行為によって(自殺)そちらの世界へ行くことは許されるのか)
許されません。あくまでも摂理にしたがって寿命をまっとうしなければなりません
。神の摂理はつねにその働きが完璧だからです。その摂理の働きに干渉する権利は
誰もありません。
もし干渉して与えられた寿命をみずからの手で切り上げるようなことをすれば、そ
れに対する代償を支払わされます。霊的に熟さないうちに無理やりに次の世界へ行
くようなことをすると、(地上での悲しく苦しい期間よりも)永い期間にわたって
辛い体験を支払わせることになります。
おまけに、せっかく一緒になりたいと思った愛するひと(先に他界した愛する人)
にも会えないことになります。その摂理に背いた行為が一種のミゾをこしられるか
らです。