~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

来宮神社

2015-10-31 14:07:50 | ・神社・お寺

2015.10.24

観光で熱海「来宮神社」へ。三度目くらいかな。二度目は 

2010.11.13~14 熱海・来宮(きのみや)神社 に投稿しています。

 

今から凡そ千三百年前和銅三年六月十五日に熱海の海へ漁夫が網をおろしていたところ、お木像らしい物が之に入ったので不思議に

思っていたところ、ふとそこに童子が現れ「我は五十猛命である。」 此の地に波の音の聞こへない七体の楠の洞があるからそこへ私を

まつれ、しからば村人は勿論当地へ入り来る者も守護するからと云うと同時に童子は地に伏してしまったので、村人一同で探し当てた

所が、今の此の地であり、毎年六月十五日(新暦の七月十五日)になると海岸へ出て当時を偲ぶお祭りを行う。

(七月の例大祭。こがし祭) http://www.kinomiya.or.jp/gosaijin.html

 

最近行かれた人からは聞いていましたが、ホントに社務所が近代的で綺麗になっていました。

 

では、本殿でお参りして本殿裏の大楠へ。

 

今から百二十年前の嘉永年間に熱海村に大網事件という全村挙げての漁業権をめぐる事件が勃発し、その訴訟費等捻出のため、

境内に聳え立っておりました七本の楠のうち五本は伐られてしまいました。古記によると、残されているこの大楠をも伐ろうとして樵夫が

大鋸を幹に当てようとしたところ怱然として白髪の老人が現れ、両手を広げてこれを遮る様な姿になると大鋸は手元から真っ二つに折れ、

同時に白髪の老人の姿は消えてしまったそうです。これは神のお告げであるとして村人等は大楠を伐ることを中止致しました。

この木が即ち現在ある御神木であります。http://www.kinomiya.or.jp/ookusu.html


う~ん・・・残念ですね。7本の楠がそびえ立っていたら、もっと壮観だったでしょうね。

ググってみましたが、7本の楠の絵図もヒットしませんでした。

       

ぐるりと回りながら観ましたが、大楠の表情がどんどん変わりますね。

パワースポット、the Kodama Project 来宮神社境内と大楠周辺のライトアップ、幹を1周廻ると寿命が1年延命する伝説、

心に願いを秘めながら1周すると願い事が叶う伝説・・・・・いろいろと人を引き寄せるようですが、静かにじっくりと大楠と対話

できるような環境場もあればいいなあと思ったのでした。

 

来宮神社の大楠

根回り約15.65m・南幹の目通り幹囲8.25m・北幹の目通り幹囲15.65m・樹齢は約2000年といわれている。


その後、これまた二度目のMOA美術館へ。

 

ホトトギスとキキョウがいい感じ^^

 

天気も良く気持ちよかったです^^ 

コメント (4)
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熱海朝散歩

2015-10-30 13:45:53 | ・旅・山

2015.10.23~24 公用で熱海に行きました。

毎年、秋に熱海で会合があります。朝早く目が覚めちゃったので(歳だっ・笑)、0530から30分くらいホテル周辺を散歩^^

実際はもうちょっと暗いかな。

口ばしの先端が赤いから「ウミネコ」でいいのかな。

日本では周年生息(留鳥)。似ているユリカモメは、冬鳥のようですよ。

親子?兄弟?で海釣り^^

いいホテルでした^^

ちょっとよそ見をしてたら、陽が昇っていました。水平線の途中からだったようです。

この日の日の出は0600頃だったみたいです。

その後、朝湯して、マッサージチェアに揺られたのでした^^

客室より。良い眺めでした^^ 

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伊豆山神社

2015-10-29 06:58:43 | ・神社・お寺

2015.10.23

公用途中、時間があったので「伊豆山神社」へ寄りました。

伊豆山神社

静岡県熱海市伊豆山上野地、JR熱海駅の北東約1.5kmにある神社。全国各地に点在する伊豆山神社や伊豆神社、

走湯神社などの起源となった事実上の総本社格。

修験道の始祖とされる役小角は伊豆大島へ配流された折に当社で修行した。また、空海(弘法大師)が修行した伝承

もあるように、多くの仏教者や修験者が修行を積んだ霊場であった。

創建の年代は不詳だが、社伝によれば孝昭天皇の時代(紀元前5世紀~紀元前4世紀)とされる。

頼朝と政子の恋の舞台であったため、現在も縁結びや恋愛成就の神社として人気がある。

by wikipedia

当社は古来伊豆大権現、又は走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山又は走湯山と呼ばれていましたが、

明治になって現在の社名に改称されました。

参拝用の駐車場・・勾配地のため、あまり止められません。10台くらいでいっぱいかな。

ギリギリ止められました。

なかなか急な階段です。

登り終えるとすぐに拝殿が見えてきます。

拝殿(本殿)

白山神社遥拝所

山中に鎮座する白山神社の遥拝所です。遥拝所とは、遠く離れた所から神仏を拝むために設けられた場所のこと。

http://r.goope.jp/izusanjinjya

時間があれば、白山社から本宮まで行きたかったですねー。次回は是非^^

初島がチラリと見えていました。

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日光湯元旅行7(生物たち)

2015-10-25 09:08:56 | ・植物

2015.10.10~11 栃木・日光湯元へ行ってきました。

では、わずかに見れた生物たちを^^

ノコギリソウ

金精トンネル付近にて。和名は、葉っぱがギザギザでノコギリみたいだから。

セイヨウノコギリソウは別名「ヤロー」とも言い、ハーブティーとして飲まれているようです。

ホザキシモツケ 戦場ヶ原にて

狂い咲きかな?一輪だけ咲いていましたよ。 

ヤナギタンポポ 

koucha師匠同定。

リンドウ

マイズルソウの実ではないかと。

カワガラス

二度目ですね。一枚目はkoucha撮影。二枚目は鳥屋さんに教えてもらいました。

サルノコシカケ

「オニフスベ」でも無さそうだし・・・菌類じゃないのかな?

握りこぶしくらいの大きな物体でした。

画像検索した結果、「ヤマブシタケ」でいいような気がします。

ヒルムシロの花

名前の由来は蛭筵で、浮葉を蛭が休息するための筵に例えて名付けられたという。ヒルの寝床・・・・^^;

シャクナゲ

湯ノ湖湖畔 花季節には群生が綺麗そうです。

う~む・・・「蛾」の同定は難しい。。。。。

マユミの実 可愛い色合い・形状ですねー。 

以上、日光湯元関連でした。

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日光湯元旅行6(湯ノ湖~光徳牧場)

2015-10-21 15:35:13 | ・旅・山

2015.10.10~11 栃木・日光湯元へ行ってきました。

お宿は、「休暇村日光湯元」でした。 宿泊客は、全体的に年齢高めでしたね。

●国民休暇村

国立・国定公園内の景色や環境の良いところに、滞在型のバカンスを楽しめるように設置されたリクレーション・保養施設である。

2013年現在、「休暇村」として、一般財団法人休暇村協会が37施設を運営している。by wikipedia

●日光湯元温泉

788年(延暦7年)、四本龍寺(紫雲立寺)を建立した勝道によって発見されたのが発端という。冬の寒さが厳しいため、

昭和の初期までは主に夏だけの湯治場だった。by wikipedia

翌日は朝から雨でしたー。 

部屋窓より

朝食前の散歩~雨の中、休暇村周辺をくるり~

男体山も見えません~。

雨なんで、ゆっくり休暇村でゴロゴロしましたよ。 

温泉は、なかなか硫黄の臭いがきつく、帰宅してからも三日くらい身体が臭ってました。それだけに効きそう^^

長女は、ちょっと肌がかぶれたみたいでした。 効能としては、リウマチや皮膚病に良いみたいですけどね。

10時ごろ出発。日光湯元ビジターセンターへ寄りました。

奥日光は、こうやって誕生しました。戦場ヶ原はこうしてできたんですねー。

カツラがいい感じで黄葉してました。

 

小降りになってきました。

湯ノ湖を離れて、光徳牧場へ。定番的にアイスクリーム食べて^^ お土産に買った「牛乳せんべい」牛乳の匂いがすごく、

美味しかったですよ~^^

牧場脇にて 良い撮影ポイントでした^^

牛さん、気持ちよく寝てまっせ~^^

その後、日光方面へとも考えましたが、やっぱり混んでたので、来た時と同じ関越回りで帰ることにしました。

湯ノ湖と男体山

望遠アップ!

丸沼高原サマーゲレンデ

ガンガン滑ってましたよ。長さ400m・幅40m・最大斜度15度。普通のスキーで滑れるようです。

こんなサマースキーがあるんですねー。

お昼は、椎坂トンネル(こんなバイパスができたんですね!)の沼田側の「フレディ」

晴れてきていました。眺めも良く、量も多く味も良く美味しかったですよ^^

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日光湯元旅行5(湯滝~湯ノ湖)

2015-10-20 09:06:24 | ・旅・山

2015.10.10~11 栃木・日光湯元へ行ってきました。

湯滝へ到着~。

湯滝

すごい轟音です。大きいですねー。

 

湯滝(ゆだき)

栃木県日光市奥日光地域の湯ノ湖から流れ落ちる滝である。落差50m、幅25m。華厳滝、竜頭の滝と並んで奥日光三名瀑のひとつ。

湯ノ湖の南端にある高さ70メートル、長さ110メートルの滝で、湯川をせき止めて湯ノ湖をつくった三岳溶岩流の岩壁を湖水が流れ

おちる。

キノコ汁を頂きました。

休憩後、湯滝の階段状の右側を登っていきます。

湯滝の上部です。もう少し下方が見えればいいのですが、それでも結構迫力あります。

湯滝上部から。左上が滝見の場所です。滝の飛沫が踊っていました。

更に登って、湯ノ湖へ戻ってきました。

湖面は静かでしたが曇っていましたね。

石仏や祠がありました。屋根は出来たばかりのようで真新しいです。

説明書きはありませんでした。

オオバン、キンクロハジロ、ヒドリガモ・・冬鳥たちが来ていました。

その後、湖畔のお宿へ。10k位歩いたようですね。つづく~

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日光湯元旅行4(泉門池)

2015-10-17 09:06:54 | ・旅・山

2015.10.10~11 栃木・日光湯元へ行ってきました。

更に北上。

泉門池(いずみやどいけ)

西側の斜面から大量の水が勢い良く湧き出しており,一時的に池に蓄えられた後,急カーブした湯川に流れ込んでいる。

たくさんの人たちが休憩していましたよ。不思議な空間で、人けが無ければ瞑想に良さそう^^

戦場ヶ原も終わり、湯川を北上します。

ところどころモミジ、カエデの赤色が点在して飽きません。

いよいよ湯滝へ。 

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日光湯元旅行3(竜頭滝上~戦場ヶ原)

2015-10-16 00:06:19 | ・旅・山

2015.10.10~11 栃木・日光湯元へ行ってきました。

その後、竜頭滝上から戦場ヶ原方面へ散策路を北上。

竜頭滝上もなかなか素晴らしいです。

この川を渡るパイプや電線が無ければ、観光ポイントになりそうな景観ですねー。

湯川を左に観ながら北上します。

「戦場ヶ原」に入ってきました。草紅葉の枯れ風景がいい感じです。

手前のもっと茶色っぽい枯葉は、穂先シモツケで、7月頃には一面ピンク色のお花畑になるそうですよ。 

遠くに湯滝が見えてました。この滝上まで歩いていきます。

 

左に湯川の流れを感じ、右には戦場ヶ原、 とても気持ちの良い自然散策コースでしたよ。

 

戦場ヶ原(せんじょうがはら)

・栃木県日光市の日光国立公園内にある高層湿原である。

・標高は約1,390mから1,400mであり、広さは400haに及ぶ。

・戦場ヶ原という地名は、山の神がこの湿原を舞台に争いを繰り広げたという伝説に由来している。

・2005年11月、戦場ヶ原のうち174.68ヘクタールの地域が、湯ノ湖、湯川、および小田代ヶ原と共に、奥日光の湿原としてラムサール

 条約登録湿地となっている。

・地内西縁部にはほぼ南北方向に湯川が流れる。

・地名の由来>この湿原は、当時下野国(現在の栃木県)の二荒神(二荒山(男体山))と上野国(ほぼ現在の群馬県)の赤城神(赤城山)

 がそれぞれ大蛇(男体山)と大ムカデ(赤城山)に化けて戦った戦場であるというもの。なお争いの原因は中禅寺湖を巡る領地争いで、

 勝ったのは二荒神の孫で弓の名手であった小野猿丸を味方につけた二荒神(男体山)であったとされる。広い原野であることから

 「千畳が原」に由来するとする別説もある。

・第二次世界大戦後、旧満州からの満蒙開拓団だった人々の引き上げ先として戦場ヶ原の入植が進められた。特に、三本松茶屋の

 東側の男体山西麓が引き上げ地となり、戦場ヶ原開拓としてその80ヘクタールが農場として開拓された。戦場ヶ原開拓農地での

 山上げ栽培から、栃木県でのイチゴ栽培が始まり、後に、同県はイチゴの生産量日本一となる。

・昭和60年代より、日光国立公園内における鹿の生息数が増加し始める。2001年(平成13年)より、鹿の数が増えたことによる湿原

 植生の破壊を防ぐため、戦場ヶ原と小田代原を囲む形で防鹿柵が設置された。また、同年、環境省日本の重要湿地500に第1基準

 および第2基準適合の高層湿原および湖沼として湯ノ湖および小田代ヶ原とともに指定を受けた。

by wikipedia

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日光湯元旅行2(竜頭の滝)

2015-10-15 08:23:36 | ・旅・山

2015.10.10~11 栃木・日光湯元へ行ってきました。

8:30出発の宿の「休暇村日光湯元」からバスに乗って戦場ヶ原南端の「赤沼」へ。今回のハイキングは、その「赤沢」から「竜頭滝」

まで国道沿いを歩き、湯川を北上、戦場ヶ原を散策して湯滝~そして湯ノ湖に戻ってくる10km位のコース。

一帯は、ほぼ「笹」と「ミズナラ」の森でした。

さすがに紅葉ピークで、竜頭滝付近は大混雑してました。

竜頭滝上 

 

奥にチラリと見えているのは中禅寺湖

竜頭滝上の川上側 こちらも綺麗です。

竜頭滝に沿って南下します。

竜頭観音堂 

竜頭の滝(竜頭の茶屋より望む)

この茶屋奥からでないと、この景色は拝めません。ホントに絵に描いたように美しいです。

この辺りは、奥日光一帯でも紅葉が訪れる時期が最も早い場所のようです。

今一度、竜頭滝を川上に上ります。

赤色も多く、ホントに素晴らしい紅葉ポイントでした。混むわけですねえ。。。

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日光湯元旅行1(金精峠~湯ノ湖)

2015-10-14 14:51:30 | ・旅・山

2015.10.10~11 栃木・日光湯元へ行ってきました。

2~3日前からメディアで「竜頭の滝」の紅葉が見ごろだと頻繁に報道されていたので、これはヤバイと思って、04:45に出発。

コンビニ寄って、5時過ぎに関越道に入りました。普段だと6時に高速に乗れば、何処もだいたい渋滞前で通過できるのですが、

5時過ぎでも、かなりの交通量で渋滞ギリギリでしたー。

東北道経由の方が若干近いのですが、東照宮や華厳の滝付近、かなり渋滞するので関越道・沼田経由で回りこみました。

金精峠手前 朝陽を浴びてダケカンバの紅葉がいい感じ。

思わずクルマを停めて国道120号線の真ん中から撮りました^^ 

この国道、別名、「日本ロマンティック街道」だって^^

金精峠は、栃木県日光市と群馬県利根郡片品村との境にある標高2024mの峠。

峠下には国道120号の金精トンネル(全長755m)が、標高1840mの高度を貫いている。

標高が高いため、例年12月末から4月末の間は、金精道路全体が閉鎖される。たびたび付近で雪崩が起こるため、春に開通しても

通行止めになることがよくある。by wikipedia

いい天気^^

紅葉も良い感じ^^

男体山、麓は戦場ヶ原、チラリと湯ノ湖が見えていました。

その後、湯ノ湖へ。湖畔辺りには、たくさんのカメラマンが居ましたよ。撮りたかったのですが、クルマを停める場所がなく、

「湖畔前」バス停付近へ。

 

 

未だ、湖面が静かで、良い写真が撮れました^^

思わず、「わお!」と叫びたくなるほど美しい紅葉でしたよ^^

この湖面のグリン色の帯は、もしかして・・・と思って調べたら、やはり、湖畔にある日光湯元温泉からの湯が流れ込んでいる

ようで、おそらくその温泉の色合いではないかと・・・。日光湯元の温泉は、まるでバスクリンを入れたような綺麗な緑色だった

のですよ。ただし、硫黄の臭いがなかなか強烈で、2~3日身体から臭いが消えませんでした(笑

この後、すぐに湖面は波立ってしまいました。撮れて良かった~^^

 

湯ノ湖(ゆのこ)

栃木県日光市の西部にある湖。北東にある三岳火山の噴火によってつくられた堰止湖である。

日光白根山からの水に加え、湖畔にある日光湯元温泉からの湯が流れ込んでいる。

温泉成分や山からの砂などで水深が浅くなり、湿地化する危機にあったが、1997年に浚渫工事が行われ、危機を乗り越えた。

温泉の湯が流れ込んでいるものの、水深が浅いため冬季には全面結氷することもある。

by wikipedia

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地鎮祭

2015-10-12 09:28:00 | ・日常

2015.10.4 地鎮祭に参列してきました。

立派な地鎮祭でした。地鎮祭に参列するのは、なんと初体験でした。スーツで参列しましたが、天気も良くて汗だくになりました^^

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地鎮祭

一般には神を祀って工事の無事を祈る儀式と認識されており、安全祈願祭と呼ばれることもある。

日本以外では韓国や台湾でも地鎮祭に似たお祓いをすることがある。

 

神式の一般的な地鎮祭の流れは次の通りである。(wikipediaより)

手水(てみず、ちょうず)
神事の会場に入る前に手水桶から掬った水で両手を洗い、心身を浄める。

修祓(しゅばつ)
開式の後、祭に先立ち、参列者・お供え物を祓い清める儀式。

降神(こうしん)
祭壇に立てた神籬に、その土地の神・地域の氏神を迎える儀式。神職が「オオ~」と声を発して(「警蹕(けいひつ)」と言う)降臨を告げる。

献饌(けんせん)
神に祭壇のお供え物を食べていただく儀式。酒と水の蓋を取る。

祝詞奏上(のりとそうじょう)
その土地に建物を建てることを神に告げ、以後の工事の安全を祈る旨の祝詞を奏上する。

四方祓(しほうはらい)
土地の四隅をお祓いをし、清める。切麻(きりぬさ)・散米(さんまい)とも言う。

地鎮(じちん)
斎鎌(いみかま)を使った刈初(かりそめ)、斎鋤(いみすき)を使った穿初(うがちぞめ)、斎鍬(いみくわ)を使った鍬入(くわいれ)等が

行われる。設計・施工・建主に振り分ける事が多い。鍬入の儀とも言う。

玉串奉奠(たまぐしほうてん)
神前に玉串を奉り拝礼する。玉串とは、榊に紙垂を付けたもの。

撤饌(てっせん)
酒と水の蓋を閉じお供え物を下げる。

昇神(しょうしん)
神籬に降りていた神をもとの御座所に送る儀式。この後に閉式が行われる。

神酒拝戴(おみきはいたい)
直会の前に行われるケースもある。土器(かわらけ)の杯にお神酒を注ぎ、神職の合図で乾杯を行う。

地鎮祭の式次第が終了したら直会(なおらい)を行う。 当地でお神酒で乾杯し、お供え物の御下がりを食する。 神事とは別に

直会の場を設け、業者が用意したビール等の飲み物、仕出しの弁当等を出したり、料理店の宴会場を貸し切って祝宴が催される

場合もある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

というわけで、11~15:30まで飲み、更に17:00~22:00頃まで別用事で飲み、どちらも、めでたいお酒でした。

いや~、久々にお酒を「浴びました」(笑

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愛しの大桂/軍刀利神社・上野原2(生物たち)

2015-10-09 10:47:16 | ・植物

愛しの大桂/軍刀利神社・上野原の奥の院周辺で出逢った生物たちです。

ノギク

ノギクの同定は難しいみたいですね。シロヨメナ?カントウヨメナ?ユウガギク?

奥の院近くの川に掛かっている丸太の上

可愛い子たちがいっぱい^^

奥の院付近 ビックリした~。赤かった~^^

ジムグリ

ナミヘビ科ナメラ属のヘビ。無毒。全長70-100cm。体色は赤みがかった茶褐色。

平地から低山地の森林、草原、水辺等に棲む。地中や石の下によく潜ることが和名の由来。食性は動物食で、主に小型哺乳類を

食べる。特に地中のネズミの巣の中の赤子を好んで捕食すると言われる。

アサギマダラ

目の前に近づいても、必死にアザミの蜜を吸っていました。羽根はボロボロですね。

wikipediaには、2011年10月10日に和歌山県から放たれて、83日後に約2,500 km離れた香港で捕獲されたアサギマダラ

の写真が載っています。

キツネノマゴ

道端に生える小柄な雑草である。やや湿ったところを好む。夏に赤紫の小さな花をつける。

アキカラマツ?

なんの花だろうと思ったら、なんと、「ツユクサの実」でした。

「ツユクサ」って、あまりにも身近で、ちゃんと観察したことが無かった。よく見ると、花も可愛くて面白い形状ですね。。

キバナアキギリ

自然園で見たところでした^^

なんだろ?この形状は??? ノブキの種子でしたー。あちこちに沢山、立っていましたよ。面白い光景でした^^

ノブキ

キク科の草本。葉がフキにやや似ていて、地味な花を咲かせ、粘りけのある種子を付ける。

ノブキ こんな可愛い花でした。

更にアップ^^

フウロソウの仲間 タチフウロかなあ????

セキヤノアキチョウジ

ミズヒキ

コウシンヤマハッカ(カメバヒキオコシ)? イヌヤマハッカ?

同定難しいですねー^^;

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愛しの大桂/軍刀利神社・上野原1

2015-10-08 08:52:23 | ・神社・お寺

2015.10.3

我が愛する軍刀利神社の大桂に逢いに行ってきました。

軍刀利神社へ行く前に、近くの「岩盾尾神社」へ寄りました。

面白い造りだなあ。この建築物、拝殿に向かって建っている神楽殿です。

石楯尾神社(相模原市緑区佐野川)

景行天皇庚戌40年(110年)、日本武尊東征のときに持ち来った天磐楯を東国鎮護のためここに鎮め、神武天皇を祀ったのが

始まりである。本来は巨石を祀っていたという。

江戸時代には武甲相三州から多くの民衆がお参りし、幼児の疳虫除けの祈祷を受けたという。

永禄12年(1569年)に武田信玄が小田原を攻めたとき焼かれたが、その後、再建されて今日に至っている。

幣殿、拝殿は1937年(昭和12年)に改築されたが本殿は室町時代の建築様式をよく伝えている。

本殿棟札には「天保7年(1836年)11月氏子中、調写、浄善石船、謹記」とある。神楽殿は弘化年間(1854年)に建てられたものである。

境内の「夫婦杉」。「くっつきすぎ」と書かれています(笑

棡原地区小伏の八幡神社では、「小伏の獅子舞」が奉納されていました。獅子舞を調べてみるのも面白いかもしれないなあ。。

https://www.youtube.com/watch?v=_3n3V1CRhEI

その後、軍刀利神社へ

軍刀利神社・本殿

この位置から見たことがなく、本殿屋根はこんなに尖っていたのでした。

そして、屋根の天辺には、こんなお面が^^

新しい発見でした。その後、奥の院へ。

大桂・・・枝先の辺りが少し黄色くなっています。

いつ来ても、その大きさに圧倒されます。

全体が黄色く色付いて、一気に落葉するイメージを持っていましたが、どうやらこの大カツラは、黄葉と落葉が一緒のようで、

どんどん、ハラハラと葉っぱを落としていました。盛りの頃に比べると、すでに葉が少ないです。

この白い玉は・・・・・

いい時間を過ごしました^^ 

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自然教育園

2015-10-07 12:39:38 | ・植物

2015.9.23

行ってみたかった港区の自然教育園へ行ってきました。

港区ですが目黒駅から歩いて10分位です。午前中のショートとリップ。汗ばむくらいの陽気でしたが気持ち良かったです^^

ナンバンギセルの花が見れるかな~と思ったのですが、残念ながら、ちょっと遅かったみたいです。

自然教育園は、大都市「東京」の中心部にあって今なお豊かな自然が残る、都会の中のオアシスともいえる貴重な森林緑地です。

園内の植物には種名表示板や解説板が整備されており、自然を深く知ることができるように工夫されています。

園内にはコナラ・ケヤキ・ミズキなどの落葉樹、スダジイ・カシ類・マツ類などの常緑樹が広がり、ススキやヨシの草はら、池や小川などが

あります。このような自然を活かした植物園が整備されており、四季にわたって様々な草花や、昆虫などの生きものを身近に観察できます。

イヌショウマ

ヤマホトトギス

何度見ても、和風な色合いと変わった形状が魅力ですね^^

カリガネソウ

別名「帆掛草(ホカケソウ」 シソ科です。

いや~、初めて見ましたが、可愛い花ですねー。

ハグロソウ

こちらは8月に行った埼玉の「かなさな神社」でも見ましたね。

ゲンノショウコ

フウロソウ属ですね。フウロソウ属だけで420種も確認されているそうな・・・。

キバナアキギリ

こちらもシソ科です。シソ科は秋に咲く花が多いのかなと思ったけど、そうでもないみたい。。。4~10月となると冬場以外ってことか?(笑

テンニンソウ

トラノオスズカケ

絶滅危惧種です。

ここ自然教育園のトラノオスズカケは1932(昭和7)に牧野富太郎博士が発見した。しかし戦後には絶滅したと思われていた。

それがなんと2007年に芽生えが確認され、翌年に開花したそうです。

自然教育園は高松藩主松平家の下屋敷跡で、トラノオスズカケは同市出身の偉人・平賀源内(1728~79年)が香川から持ち込んだ

のではないかとされております。

キンミズヒキ

大好きな「フリツネソウ」がたくさん咲いていました^^

シロバナサクラタデ

キセルアザミ

アザミは日本でも100種類以上あるそうですよ。

 

★自然教育園

●自然教育園を含む白金台地は、洪積世(20~50万年前)海食によって作られました。

 

●いつ頃から人が住み着いたかは不明ですが、園内から縄文中期(紀元前約2500年)の土器や貝塚が発見されていることから、

 この時代には人々が住んでいたと考えられます。

 

●平安時代には目黒川、渋谷川の低湿地では水田が開墾され、台地の広々とした原野には染料として欠かせなかったムラサキの

 栽培も広範囲に行われていたと考えられています。

 

●室町時代に入ると、この地方にいた豪族がこの地に館を構え、今に残る土塁は当時の遺跡の一部と考えられています。この館の主が

 誰かは不明ですが、白金の地名は永禄2年(1559)の記録に初めてあらわれ、太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたこと

 が記録されています。また、いわゆる「白金長者」であったという言い伝えも残っています。

 

●江戸時代になると、増上寺の管理下に入りましたが、寛文4年(1664)には、徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の

 下屋敷となり、園内にある物語の松やおろちの松などの老木は、当時の庭園の名残であろうと思われます。

 

●明治時代には火薬庫となり、海軍省・陸軍省の管理となり、大正6年(1917)宮内省帝室林野局の所管となり、白金御料地と呼ばれ

 ました。

 

●その後、昭和24年文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され、国立自然教育園として広く一般に公開され、昭和37年

 国立科学博物館附属自然教育園として現在に至っています。

 http://www.ins.kahaku.go.jp/index.php より

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ウミウシ探索隊出動!

2015-10-06 09:12:28 | ・ウミウシ関連(ダイビング含)

2015.9.27 神奈川県三浦郡葉山町芝崎

潮のボトムは、小田和湾 10時12分 40cm 。

芝崎にウミウシ探索に出かけました。
8時半~10時間半までシュノーケリングで探索。
5mmウェットでは2時間入っていると、さすがに
寒くなり、もうちょっと探したかったのですが戦意消失^^;
歳ですなあ。。。
午後からは晴れたようですが、ずっと曇っていたせいも
ありますね。

潮はよく引いていました。あまりにも引き過ぎていて、
前半、探索場所を間違えました^^;

透明度はイマイチでしたが、前回に比べれば全く問題なし。

季節来遊魚、チョウチョウウオなどもパラパラ見れて
楽しかったです。

前回と同じくツヅレ、クロシタナシが多かったかな。

女の子が磯観察していたのでシロウミウシを水槽に入れて
あげたら、巨大なミヤコウミウシ(50mm位と80mm位)を
見せてくれました^^

夏の終わり頃から秋にかけて、ミヤコウミウシはよく磯で
観察されますね。

久しぶりに、チゴミノとサキシマミノに出会えて、良い一日でした。

成果は、

オカダウミウシX3
タツナミガイX3
ツヅレウミウシX5
ミノウミウシX1
クロシタナシウミウシX3
シロウミウシX1
ツブツブウミウシX1
サキシマミノウミウシX1
チゴミノウミウシX2

の9種でした。

プラス 磯観察していた少女に見せてもらったミヤコウミウシx2^^

チゴミノウミウシ 15~20mm位
二度目か三度目の出会いでした。
チゴミノウミウシは、ウミウシの卵を食べる輩で、この黄色のヒラヒラの卵を
食べた為、体の色が黄色っぽいのでしょう。キレイでした^^
もう1個体、手前に写っていますが、この子は茶色っぽかったですね。
下部の渦巻がチゴミノの卵塊だと思います。

チゴミノウミウシ 15~20mm位 茶色っぽいタイプ

 チゴミノウミウシ 15~20mm位 みかん色タイプ

サキシマミノウミウシ 15mm位

マンリョウウミウシ 15mm位
前々回に続き二度目です。その時の個体とちょっと感じが
違ってツブツブウミウシのような気もするのですが、マンリョウウミウシ
で良さそうな・・・。

ツブツブウミウシに訂正します。

シロウミウシ 30mm位

季節来遊魚~チョウチョウウオやミドリ色の変わった子も居ました。

????

ウニだらけ~^^;

ガンガゼの赤ちゃんかと思って調べたら、
ガンガゼモドキか、トックリガンガゼモドキでしょうか?
岩裏に居て、けっこう動いていました。20mm位。青いリング?が綺麗です。

コケギンポちゃん

良く潮が引いていました^^

コメント (2)
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