「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。
私たちのほとんどは、人生が喪失であり、喪失が人生であることを理解せずに、喪
失に抵抗し、それと格闘しようとします。喪失は人生でもっとも苦しいレッスンの
一つではありますが、人は喪失なくしては成長できず、喪失なくして人生を変える
ことはできません。
私たちが経験する喪失には、親の死から手帳の紛失まで、大小さまざまなものがあ
ります。愛する人の死のように永久に失われるものあれば、旅に出ている息子に会
えなくて寂しいといった一時的なものもあります。「喪失の五段階(否定、怒り、
取引、抑うつ、受容)」説は、痛手の大小や期間の長短を問わず、どんな喪失にも
応用することができます。
誰もが全ての喪失体験で、必ずこの五段階の反応を示すというわけではなく、五つ
の段階を必ずこの順番で通過するというものでもありません。また、同じ段階に何
度か立ち戻ることもあります。
しかし、私たちは人生において何度も、様々な種類の喪失を体験し、その喪失に対
応しています。そして、喪失体験を積み重ねることで、だんだん人生にうまく対処
できるようになっていくのです。
喪失に関して確実にいえるのは、時間がすべてを癒すということだけでしょう。た
だ、残念ながら、癒しは必ずしも直線的に進行するものではありません。しかし、
人は必ず癒えます。失ったものは戻らないかもしれませんが、それで人は癒えるの
です。そして、人生のある時点で、その喪失を嘆いている当の相手である人やもの
が、本当は自分のものではなかった事に、少なくとも、自分が思っていたような意
味での自分のものではなかった事に気づくのです。それに気づいたとき、失ったと
思っていた人やものが、それまでとは違った意味で、いつまでも自分のものである
事を理解するようになるのです。
子どもを失ったある両親は次のように語りました。「あの子が最初から生まれてこ
なくて、あの子を一度も愛した事が無い人生よりも、あの子を愛し、そして失った
人生の方が良かった」と。愛する対象をもった経験が無いことと、一度はそれをも
ち、失う経験をしたこととは、比べ物にならないほど大きな違いがあるのです。
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さて、究極のレッスンに入ってきました。「失う」事の辛さは、誰もが経験があるのではな
いかと思います。私も、大きな喪失の五段階(否定、怒り、 取引、抑うつ、受容)を体験し
たことがあります。
ウソだ、ウソだ・・・その後、悔しくて、悔しくて、亡くした相手にも自分自身にも腹が立って・・、
ウツ状態に陥って・・・
かなりの時間の流れを経て癒されていきました。
この地獄のような時間や悶え苦しむような期間さえも、人生におけるレッスンとは・・・・・
これらの究極の喪失体験を繰り返していくと、その先には、「捨てる」という言葉や、「持
たない」という言葉の意味が、より深く染み込んでくるのでしょう。
目に見えるものは幻であり、神さまからの借り物・・・・・そして、自分が向こうの世界に行く
時には、何一つ持ってはいけないのですから。