日本橋堀留町で健康診断を受けた後、神社参拝をメインにブラブラしてきました。この辺りの神社は、ほとんど屋敷稲荷神社です。
中央区には「日本橋」と名前の付く町が沢山あります。
1878年11月2日施行の郡区町村編制法に基づく東京15区のうち、日本橋区と京橋区が誕生。現在の中央区に相当する。
1947年 3月15日 - 両区を併せて現在の中央区となる。旧日本橋区域の町名に「日本橋」の冠称が付く。中央区 (東京都) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2022年5月8日 (日) 08:40
・日本橋(1~3丁目)
・日本橋大伝馬町おおでんまちょう
・日本橋蛎殻町かきがらちょう(1~2丁目)
・日本橋兜町かぶとちょう
・日本橋茅場町かやばちょう(1~3丁目)
・日本橋小網町こあみちょう
・日本橋小伝馬町こでんまちょう
・日本橋小舟町こぶなちょう
・日本橋富沢町とみざわちょう
・日本橋中洲なかす
・日本橋人形町 にんぎょうちょう(1~3丁目)
・日本橋馬喰町ばくろちょう(1~2丁目)
・日本橋箱崎町はこざきちょう
・日本橋浜町 はまちょう(1~3丁目)
・日本橋久松町ひさまつちょう
・日本橋堀留町ほりどめちょう(1~2丁目)
・日本橋本石町ほんごくちょう(1~4丁目)
・日本橋本町ほんちょう(1~4丁目)
・日本橋室町むろまち(1~4丁目)
・日本橋横山町よこやまちょう
・東日本橋
こんなにあるんだ!
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三光稲荷神社(日本橋堀留町)
絹布問屋田原屋村越庄左衛門、木綿問屋建石三蔵の両家が江戸時代初期に勧請したとも、中村座に出演していた大阪の歌舞伎役者関三十郎が元禄2年(1689)以前に伏見より勧請したともいいます。
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富澤稲荷神社(日本橋富沢町)
創建年代は不詳ながら、往古巴熊稲荷神社と称していた。
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笠間稲荷神社(日本橋浜町)
茨城県・笠間稲荷神社の分社で、常陸笠間藩第8代藩主・牧野貞直が下屋敷内に御分霊を奉斎したことに始まる。
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元徳稲荷神社・綱敷天満神社(日本橋浜町)
元徳稲荷神社綱敷天満神社は、元徳稲荷神社に同町内にあった綱敷天満神社を合社しました。元徳稲荷神社は、当地に屋敷のあった細川公が、墨田区立川3丁目の三ッ目通り三ノ橋の袂にある元徳稲荷神社の分霊を懇請して建立。
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茶ノ木神社(日本橋人形町)
当地は下総佐倉藩大名や幕府大老を務めた堀田家の中屋敷地であり、その守護神として祀られたもの。祭神は稲荷神。
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松嶋神社(日本橋人形町)
口伝によると鎌倉時代の元享(1321)以前に、柴田家の祖先が下総の国からこの小島に移り住み、邸内に諸神を勧請したと推測。島稲荷大明神と称された。
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かしわ天うどん 手打ちうどん、すんごくこしがあって美味しかったですよ。
たまたま通りかかった水天宮裏の讃岐うどん「谷や」(日本橋人形町)。なんか気になって入店。11時10分くらいでしたが中には既に数人お客さんが。私の出る頃には、ほぼ満員でしたわ。帰ってから調べたら、食べログ『うどん(Tokyo)百名店 2020』選出の人気店でした^^
かしわ天とは、鶏肉に衣を付けて揚げた天ぷらのことです。鶏の天ぷらを「かしわ天」と呼ぶのは香川県特有の言い回しだそうで、地元では、香川県の名物である讃岐うどんのトッピングとして愛されているそうです♪
西日本では、しばしば鶏肉のことを「かしわ」と呼びます。
そもそもかしわとは、675年の仏教国教化により肉食が禁止される法律が生まれ、そのころ肉を指す隠語として誕生した言葉です。茶色い地鶏の羽根の色が赤く、柏の葉に似ていることに由来しているのだとか。 ちなみに、イノシシ肉はぼたん、シカ肉はもみじと呼ばれていて、同じく植物の名前から取られています!https://macaro-ni.jp/62545さまより引用。
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八百屋さん(日本橋人形町)^^
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小網神社(日本橋小網町)
平日のお昼過ぎでしたが参拝者が並んでいました。すごい人気ですね。ここは屋敷稲荷ではなさそうですが小網稲荷大明神。
文正元年(西暦1466年)、庵の周辺で悪疫が流行し、人々は困り果てていました。そんななか、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れ、数日間をこの庵で過ごしました。ある夜、庵の開基・恵心僧都が当時の庵主の夢枕に立ち、網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村の悪疫は消滅することを告げます。 夜が明け、網師翁の姿は庵にはありませんでしたが、庵主は恵心僧都の託宣を村人たちに告げ、翁を小網稲荷大明神と称え、神社を創建して日夜祈願をつづけました。すると間もなく村の悪疫は鎮まり、村人たちは歓喜したといわれています。https://www.koamijinja.or.jp/index.htmlより引用。
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常盤稲荷神社(中央区日本橋本町)
長禄元年(1457)に太田道灌が江戸城を築城の際、京都伏見稲荷大神の御分霊をいただき、常盤稲荷と名付け、同城の守護神として勧請。
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珈琲郷(日本橋小舟町) いや~昭和に行けそうなお店でした^^
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古いビルのお隣に列。。。なんだ?「更科」という老舗のお蕎麦屋さんでした(日本橋本町)。
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宝田恵比寿神社(日本橋本町)
慶長十一年(1606年)の昔四百十余年前、江戸城外宝田村の鎮守様。
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裏通りが良い感じ^^
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北上して道路一本渡ると千代田区。で「神田北乗物町」こんな町名のところがあったとは・・・知りませんでしたわ。で調べたら、江戸時代、「駕籠(かご)」を作る乗物職人が住んでいた町らしいですよ。
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お隣は神田東紺屋町。ビルに囲まれて・・・・^^;
「紺屋」という町名は、江戸から明治にかけて、藍染職人が住んでいて、染物業が盛んであったことに由来しているそうですよ。
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神田須田町付近
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「肉の万世」 秋葉原本店サイド。
1949年(昭和24年)設立。戦後に秋葉原で開業した電気部品商・鹿野無線が母体。
万世橋の脇だったから肉の万世というのは昔から知ってたけど、電気屋さんが前身だったのかあ。
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万世橋より東方向。電車、重なって走ってました(笑)
山手線、宇都宮線、高崎線、上野東京ライン、京浜東北線など。
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万世橋より西方向。
旧万世橋駅の開業時(明治45年)に作られたホーム部分がよい感じです^^
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万世橋の隙間から秋葉原方向。
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万世橋 なんかこの辺りの風景は好きなんですよね^^
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旧万世橋駅の開業時に作られたホーム部分を『2013プラットホーム』として整備、デッキとしてよみがえりました。
いや~、なかなか面白い散策になったのでした^^
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