~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

三浦の河津桜

2012-03-30 09:39:46 | ・旅・山

3/25 ウミウシ探索で三浦へ行きましたが、帰りに、河津桜を見てきました。満開は超えていましたが、

まだまだ綺麗でしたよ~。過去のブログを見たら、2010.2.21満開とあるので、やはり一ヶ月近く遅い・・^^;

●カワヅサクラ(河津桜)

・オオシマザクラとカンヒザクラの自然交雑種であると推定されている。

・1955年に静岡県賀茂郡河津町田中で原木が偶然発見され、1974年に「カワヅザクラ(河津桜)」と命名され、

 1975年に河津町の木に指定された。現在も原木はこの地に存在し、2007年現在で樹齢50~60年である。

 また、1968年頃からこのサクラが増殖されるようになった。by wiki

線路沿いなので、思わず鉄っちゃんになっちゃいました(笑

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10.私心と本心8(相対の両極)

2012-03-29 08:19:14 | ・「ありがとうございます」をもっと平易に

[「ありがとうございます」をもっと平易に]カテゴリーからの投稿です。

 

 

宇宙絶対神は、「無限の大光源」「無限の大光明」そのものです。だから宇宙絶対神の表現としての全大宇宙

には、無限に小さい光から無限に大きい光まで、無限の段階の光の表現だけが存在するのです。ところが大き

い光の立場から、小さい光を眺めると、暗く感じられるのです。相対的な比較上の問題として、大きい光の立場

からは、小さい光は暗闇に感じられるのです。

ここで人にとって大切なことは、天浮橋(アマノウキハシ)(相対の両極)に立つということです。無限の大光源と

いう立場に立つ時は、暗闇に対して、光を投げ与えるだけでよいのです。暗闇から光を求めることは、全く必要が

無いのです。報いを求めずに、ただ与えるだけでよいのです。これは愛の心の一面の、"思いやり"に相当する

わけです。

反対に暗闇の立場に立つ時は、無限に小さい光をも、なんと素晴らしい光であることよ!と褒め讃え・感謝し・

喜んで、自分の心の中にしっかりと包容すればよいのです。全大宇宙のすべてのものを、素晴らしく感じて、心に

しっかりと包容することは、愛の心のもう一面の、「寛容」相当するわけです。

自分に少しでもプラス面が有るならば、それは他へ与え尽くす為に循環してきたものです。比較して自慢したり、

他を軽蔑したりする為のものでは決して無いのです。また自分が他から何かを与えられようとする時は、それが

どんなに小さい光であっても、必ず自分にとって必要不可欠な光なのです。小さい光だから要らないと、決して

拒絶してはならないのです。光一元に仰ぎ見て、すべてから光を吸収することが、本心の自分を大きく輝かすこと

になるからです。

その光をどれだけ受けるかは、一人一人の完全な自由に任せられているのです。先ずは自分の持っているすべて

の光を与え尽くし、その後、光一元に眺めた宇宙のすべてから光を吸収するのです。その循環を速く大きくしてゆく

ことが、本心の自分を大きく輝かせる生き方なのです。

いついかなる時にも、すべてをプラスに受ける為には、自分の立場をマイナス無限大に置けばよいのです。 マイ

ナス無限大は宇宙創造の原点です。神さまはマイナス無限大を創造の出発点にして、そこへ無限の大光源を加

えて、光一元の妙趣あるプラス無限大の表現を、一瞬一瞬新たに、創造し続けているのです。

(「ありがとうございます」より・一部語句互換)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

少し解り難いので、上記のような図を描いてみました。要するにもっとも神さまに近い側に立つ事と、もっとも

神さまから遠い側に立つ事を常にイメージしなさいということです。自分の立つ位置を固定してしまうと、窮屈

になってしまい、イマジネーションも沸いてきません。相対の両極に立つことを学べば「人の気持ちになる、

相手の気持ちに立つ」ための最大限のダイナミックなイマジネーションを持つことができるでしょう。

私たちには、神さまの小さな分身が宿っていると言われます。(私たちだけでなく、万物全てのものに神さまが

宿っていると言われます。)神さまが光であるのならば、私たちも光を放っているわけです。小さな光もあれば、

大きな光もあるでしょう。

お互いの光を比較するようになれば、あの人は大きな光、この人は小さな光と、私心を育ててしまいます。全て

に対して感謝するような本心を育てるためには、光からもっとも遠い位置に立つ事が必要であると訓えています。

要約すると、

「本心の自分に戻って、本心の自分を生きることができたら、いつも無限の幸せで一杯になれるのです。即ち謙虚

心でマイナスの極に立ち、光一元に仰ぎ見れば、すべてを神さまの現れとして受け取ることができるのです。」 

となり、これがこの本のもっとも伝えたい「感謝の心」の実践方法です。

全ての光を感謝して仰ぐ=「生きているだけで幸せ」という境地に近いものかもしれません。そして、どのような

人の中にも光を放つものがあり、その光を拝みましょうということなのでしょう。しかし、現世の苦難の中で、「生き

ていくことが苦痛」という人もいるでしょうし、「恨み憎しむ相手に光を見出すこと」は難しいかもしれません。

今生では無理かもしれない・・・・・しかし、来世に向けて少しでも山の頂上を目指して歩めるかもしれない・・・。

輪廻転生を視野に入れた長期的なビジョンで、ダイナミックに自分自身を見つめることも大切ではないでしょうか。

ここで終わりという事はなく、自分の歩む道は、果てしなく続いていくのですから^^

焦らず、あわてず、一歩ずつ、地に足をつけて、楽観的に、自分のペースで・・・誰と比べる事もなく・・・

とりあえず、今回で{「ありがとうございます」をもっと平易に}の集中投稿は終わります。まだ半分くらいしか読み

終えていないので、投稿意欲のかき立てられる箇所がありましたら、また適時投稿しますねー^^

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金・月・木 一直線

2012-03-27 06:27:39 | ・風に吹かれて

金星(上)~月(真ん中)~木星(下) が 一直線に^^

昼間のニュースで知ったのですが、スッカリ忘れていて^^;

帰宅途中で、おお!綺麗じゃん!!!

で、会社に戻って屋上から撮りましたよ^^

パソコンのモニター、綺麗にして見てくださいね~(笑

 見慣れた帰り道での非日常的な夜空♪ 頭の中を飛び回っていた煩ちゃん(煩悩)が、パッと消えた瞬間でした(笑) 

上部の金星の左下になにやら灯りが・・・UFOかっ!!

いえいえ、飛行機でございました(笑)

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ソメイヨシノ

2012-03-26 16:41:32 | ・風に吹かれて

 

ソメイヨシノ発祥の地、染井町をブラリ・ポーしたわけですが、ちょっとその「ソメイヨシノ」について

調べてみました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ソメイヨシノは種子では増えない。

なんと各地にある樹はすべて人の手で接木(つぎき)などで増やしたものだそうですよ!

ソメイヨシノは、一般的に、他の台木に接木をしたものや、挿し木、植え替えによって増える。

このため、人間と切っても切れない関係にあるそうです。なので、
 
・ソメイヨシノはクローン。

すべてのソメイヨシノは元をたどればかなり限られた数の原木につながり、すべてのソメイヨシノ

がそれらのソメイヨシノのクローンともいえる。

国立遺伝学研究所の研究によれば、全国のソメイヨシノはDNAが一致することが確認されている。

これはすべてのソメイヨシノが一斉に咲き一斉に花を散らす理由になっているが、

特定の病気に掛かりやすく環境変化に弱い理由ともなっている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんですって!

だから、同一DNAによって、一斉に咲いて散るんですねー。虫が付きやすいとか樹齢も60-70年などの

理由もコレで解りますね。自然環境に適して増殖したのでは無いですから、「ひ弱」なわけですね。

でも、ラジオで弘前のサクラの事をやっていましたが、弘前には樹齢100年以上のソメイヨシノが300本

あるそうです。(日本最古(樹齢120年)のソメイヨシノも弘前城にある)「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」

は間違いのようで、弘前周辺の林檎農家の林檎剪定技術でサクラが元気になるそうですよ。いつか、

弘前に行ってみたいなあ。。。

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ぶら~り・巣鴨~駒込2

2012-03-24 09:27:37 | ・ショートトリップ

で、こちらがの枝垂れ梅~^^

旧古河庭園の東隣りに位置する無量寺

いや~なかなか美しいです^^ 

あっそういえば、 「あの枝垂れ梅」もやっと見ごろを迎えていますよ。でも例年より一ヶ月くらい遅いですね。

下から見上げて・・・

こちらは普通の梅のツボミ  この開き始めのツボミの色合いが一番好きですね^^

 水滴がいい感じでした^^

 

旧古河庭園

数少ない大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在で、伝統的な手法と近代的な技術の融和により、和洋の

見事な調和を実現している秀逸で代表的な事例であり、また、現存する近代の庭園の中でも、極めて良好に保

存されている数少ない重要な事例であるとして、平成18年1月26日に文化財保護法により国の名勝指定を受

けました。大正ロマンっすね~・・と思ったら・・・

右下に何やらコスプレの輩たちが・・・(笑)

洋館といえば、やっぱり、きゃおきゃおさん♪

雪の旧古河邸  バラの旧古河邸    ←きゃおきゃおさんのブログよりリンクです^^

「六義園」へは寄りませんでしたが、サクラのライトアップの時に行ってみようと思いましたよ。

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9.私心と本心7(自分を正しく知る)

2012-03-22 12:18:14 | ・「ありがとうございます」をもっと平易に

[「ありがとうございます」をもっと平易に]カテゴリーからの投稿です。

 

「自分を正しく知る」ということ

ソクラテス(古代ギリシャの哲人)は、「汝自身を知れ」という有名な言葉を残しています。「自分を正しく知る」という

ことは、いつの時代にあっても、最も大切な課題なのです。釈迦も「一切の苦しみの根本原因は本当の自分を知ら

ないこと、即ち無知にある」と教えています。多くの人間は、四苦八苦の繋縛から、自由になりたいと願いながらも、

本心の自分を知ろうと、真剣に努力しないから、いつまでもその苦しみから逃れられずにいるのです。

人間は「自己の自由意志」によって、徹底的に本心の自分を生き切らなければならないのです。人間は「自己の自

由意志」によって、本心の自分を生き切る時に、一切の苦しみから解放されて自由自在となり、無限の法楽を味わい

続けることができるのです。反対に本心の自分を生きるのを忘れた時は、業想念(過去に積み重ねた想念感情)の

奴隷となって、四苦八苦からは決して逃れることができないように、仕組まれているのです。なぜならば四苦八苦は、

本心の自分に気付かせる為の「気付け薬」となるからです。

それでは本心の自分をしっかりと生きる為に、その状態を具体的に、幾つか列挙してみましょう。

【本心の心を生きている状態】

① 移り変わる姿には決して執着しないで、常に客観的に眺めて楽しんでいる。
② 何事も明るく善意に解釈して、その奥にある神さまの愛を感じ取っている。
③ 神さまと一体の自分、永遠に生き通しの自分、一貫して変わらない自分を信じているので、いつも心が安らかです。
④ 常に与える生き方をとっているので、必要なものは豊かに与えられている。
⑤ 与えられるままに感謝を深めているので、運命はどんどん善くなっている。
⑥ すべて神さまの御心のままにと全託し、人の自由を決して縛らない。
⑦ すべてに絶対価値を見出して、常に褒め讃え・感謝し・喜んでいる。

【業想念の奴隷になっている状態】

① 小さい物事に執着し切って、巻き込まれては自由を失い、苦悩に喘いでいる。
② 何事も暗く悪意に解釈して、神さまの愛を疑い、逆恨みをしている。
③ 必ず死滅する肉体、地獄に落ちるかも知れない業想念の集積(魂)を自分と思い込んでいて、いつも恐怖で一杯です。
④ 常に奪う生き方をとっているので、大切なものまで大きく奪いとられている。
⑤ 求めるだけの不平不満不足の心なので、運命はどんどん悪くなっている。
⑥ 我の心ですべて自分の思い通りにしようとするから、人を奴隷扱いしている。
⑦ 相対的に比較して、上に立っては蔑み、下にあっては羨んでいる。

(「ありがとうございます」より・一部語句互換)

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

①に関して

私たちは、昔はよかったな、あの頃に戻りたいな、などのノスタルジックな思いにふけったりするわけですが、思い

出してよかったなあと客観的に楽しむ(本心)のか、その頃に執着して、今を悲観的に生きる(私心)のとでは随分

と様相が違ってきますね。

②に関して

人に何かをしてもらって、単純に「ありがとう」と感謝する(本心)とか、何か魂胆があるんじゃないか?と疑いの気持ち

を持って「ありがとう」と言う(私心)のとでも、同じ言葉でも意味合いが違ってきます。

③に関して

これは、まさにスピリチュアリズムの訓えでもあり、いわゆる「魂は不滅であり、私たちの魂は、死後も個性を持って

存続する」という事を、どこまで信じ切れるのか?が鍵になります。悲観的な方が、臨死体験などをすると身を持って

識りますから、その後において性格がガラリと楽天的に変わることも良くあるようです。

④に関して

人に与える物が、物質的なものであっても、それは表面的なもので、中身は「こころ」ということ(本心)です。ここでの

表現は、見返りを抱いて渡す(私心)ものは含まれないでしょう。因果律、カルマ的な解釈でしょうね。

⑤に関して

これを実践するのは難しそうですねー。「与えられるままに感謝を深める」・・良い事だけならともかく、悪い事も含まれ

そうです。例えば、クルマの事故を起こしたときに、ああ、事故を起こしてクルマが凹んじゃった、最悪~~と思うのか、

誰かに怪我をさせたわけでもなく、クルマが凹んだくらいで済んで本当に良かった~~と思うのか・・・。常に最悪の

場合を想定していれば、それ以下の事は(比較対象すれば)、感謝できるようになりそうですね。しかし、その最悪の

状態が与えられたとき・・・果たして、感謝できるでしょうか?そんな出来事や事件が多々ありますから・・・・・・。難題

である事は確かでしょうね・・。

⑥に関して

「人を認める」ということでしょうか。自分の思い通りにならないから怒ったり、憎んだり、悔しい思いをしたりしてしまう。

もし、人の歩く道は、それぞれで、自分と違う道を歩くのは当然であり、100人いれば100の歩む道があるんだと思え

れば寛大になれるでしょう。そして、「君は違う道を歩いているんだから僕には関係ないね。」、と相手を無視するのでは

なく、「君と僕は違う道を歩いているかもしれないけど、応援しているからね!」と、エールをおくることもできます。

⑦に関して

隣の芝生がよく見えたり、誰かと比べて優越感に浸ったり、比較するところから生じる心・・・これは「私心」なのでしょう。

劣等感が、競争社会においては、大いに力になることもあって、ナニクソ!と自分を奮い立たせる事もありますね。競争

相手がいたからこそ、ここまでやってこれた、などはスポーツ選手からよく聞く言葉です。これらは、あくまで、自己鍛錬、

自己改革、自己啓発などへ誘うものと捉え、より高みを目指す一つの段階、通過点なのかもしれませんね。(もしそこで、

試合や勝負に執着すれば、業想念に囚われてしまう事でしょう。)通過点を超え、その先にあるものは、人は人、自分は

自分であり、精神面での鍛錬(更なる能力を引き出す)や、自己世界(本心)の表現へと繋がっていくように思います。

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ぶら~り・巣鴨~駒込1

2012-03-21 06:24:35 | ・ショートトリップ

3/18 久々の(1.5ヶ月ぶり)ブラリ・ポー♪ 枝垂れ梅の綺麗なお寺がある情報を仕入れて、

巣鴨~駒込方面へ。あんまり歩いていないような気がしたんだけど、どうも足が痛い。

調べてみたら8kmも歩いていたのでした^^;

江戸六地蔵尊の一つとして知られるこのお寺は、真言宗豊山派醫王山東光院眞性寺と申します。大きな傘を

かぶり、杖を持つお地蔵様。江戸の六街道の出入口に置かれ旅の安全を見守ってくれました。 (巣鴨は中山

道の出入り口)眞性寺の地蔵尊が完成したのは正徳4年9月(1714年)。おお!300年近くも、ここにおられる

んですなあ。。。

眞性寺の梅。色鮮やかで綺麗でしたよ^^

で、メディアでも御なじみ、元気なおじーちゃん、おばーちゃんの町、「巣鴨地蔵通商店街」。 朝10時過ぎでも、結構

賑わってましたよ。こんなに下町風情だとは思ってませんでした。ババシャツや、赤いパンツ、売ってましたよ~(笑^^

「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれる曹洞宗萬頂山高岩寺。ご本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな

延命地蔵菩薩です。 (詳しくはこちらを) こちらの地蔵菩薩様は秘仏ですので残念ながら拝見させていただ

くことはできません。

聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしかうまれました。これが「洗い

観音」の起源です。私も洗ってきましたよ~。特に「あ・た・ま」を(笑)

写真上の看板「高島易断」と巣鴨は関係あるのかと思ってググってみたけど、特に関係ないみたい。。。

染井墓地(都営霊園)

水戸徳川家墓所。 大きな墓地でしたが8ヶ所ある都営霊園の中では最も規模が小さいそうです。園内には

約100本のソメイヨシノ(染井の地が発祥といわれる)が植えられ、遊歩道の一部は桜並木になっており桜の

名所として親しまれています。サクラが咲いたら綺麗でしょうね~^^

染井坂

染井の地名は、赤土の土壌に豊かな水が湧き、その水で布を染めると良く染まったことからついたと言われる。

で、ソメイヨシノについて・・・

ソメイヨシノ(染井吉野)とはエドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれたサクラの園芸品種。江戸末期

から明治初期に、江戸の染井村(現在の東京都豊島区駒込)に集落を作っていた造園師や植木職人達によって

育成されました。「吉野桜(ヤマザクラの意)」として売り出していましたが、吉野山に多いヤマザクラと混同される

恐れがあるため、染井村の名を取り「染井吉野」と命名したそうですよ~。ここに植木職人が集まったのは、土地

がゆるく傾斜し、水・日照・赤土に恵まれ、植木や花の栽培に適していたこと、付近に六義園などの大名屋敷や

吉祥寺などの寺院があり、広大な庭園の管理に染井の植木屋が担っていたからだそうです。

いや~、ソメイヨシノ発祥の地・・・ブラリ・ポーするまで知りませんでしたよ^^

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黒山三滝~上谷の大クス

2012-03-19 18:03:08 | ・旅・山

以前に行った滝や巨木にまた逢いに行ってきたよ^^ 同じ場所でも、前回とは違ったカメラアングルで。。。

まったく気が付かなかった撮影ポイントがある・・・不思議ですね。こんな風に日常も毎日微妙に違うんだろう

な。。

上が男滝で下が女滝

黒山は古くから修験者の修行の場と知られ、滝周辺にはいくつもの宗教施設が作られた。 また、越生町

出身で江戸吉原遊廓の副名主だった尾張屋三平が、 男滝・女滝を男女和合の神と見立てて江戸に紹介し

吉原の信仰を集めた。

天狗滝 ちょうどお日さまが滝上部に差しかかり、美しかったです。

上谷(かみやつ)の大クス 

三度目か四度目ですが、突然目の前に顕れるその大きさには圧倒されます。樹齢1000年!

入り口にこのお蔵があります。屋根上部が上谷(かみやつ)の大クス。この南側は開けていて、とても長閑な

空気が流れています。風水的にもよい場所なんじゃないかなあ。。。ウグイスが鳴いていましたよ^^

前回投稿←動画です^^ 

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追突注意!!!(笑)

2012-03-16 14:20:31 | ・日常

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8.私心と本心6(五欲の奴隷となるな)

2012-03-15 08:34:42 | ・「ありがとうございます」をもっと平易に

[「ありがとうございます」をもっと平易に]カテゴリーからの投稿です。

五欲の心の奴隷となるな!五欲とは財欲・名誉欲・色欲・食欲・睡眠欲のことです。五欲を正しいものと肯定して

いては、いつまでも五欲の奴隷でいなければならないのです。「欲」とは「大いなる存在の光心、即ち本源心・本心

の自覚の欠如している心の状態」です。

「欲」とは私心(業想念)の心であり、あれが欲しい・これが欲しいという利己的な願いであり、不平・不満・不足・

妬み・愚痴・嘆き・失望・落胆・怒り等々の四苦八苦する心です。五欲の奴隷状態から解放され、自由になる為には、

大いなる存在と一体の自覚・本心の自覚を深めてゆかなければならないのです。

人間は本来、大いなる存在と一体です。この真理を素直に肯定できるのが、本心の心です。これを傲慢に否定する

のが、私心(業想念)の心です。人間が幸せ一杯に生きることが、大いなる存在の光心・願いなのですから、人間が

幸せに生きる為に必要なものは、"既に"豊かに与えられているのです。だから本心の自覚を深めて、宇宙のすべて

は大いなる存在の愛の現れであると、心にしっかりと確認することです。"生かされている" この事実に気付けば、

無限に深い感謝と賛嘆と喜びの心が、自然に湧き出てくるにちがいないのです。

五欲を解脱する為には、感謝の心を輝かせて生きてゆけばよいのです。

 (「ありがとうございます」より・一部語句互換)

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この国の高度成長期の欲求事物は、マイホーム・マイカー、そして海外旅行でした。(80年代・総務省統計局)

バブルの崩壊まで、これらを追い求め、それらを手に入れる事が一般的な「幸せ」の尺度でした。物欲の世界で

したね。そしてバブルの崩壊・・この「幸せ」をある程度手に入れた人も、手に入れられなかった人も、大きく「幸せ」

に対する考え方が変わることになります。周りの人たちと比較する尺度からの幸せから、個々の人たちが作り上げる

自分自身の幸せを考えるようになりつつあります。今どきの欲求事物は、時間・お金・健康だそうです。この30年余り

で随分と様変わりしてきたものです。

それはともかく・・・

お金欲しい~、美味しいものを食べたい~、いっぱい寝たい~、あれが欲しい、これが欲しい~・・・と、五欲(睡眠欲・

食欲・性欲・金欲・名誉欲)を満たす為に、一生懸命に働き、生きることはいけないのでしょうか?

労働意欲を支えているもの(オリコン2007年調べ20~40代)を見ると、収入(70%)、家族(35%)、仕事に対する

責任(30%)、やりがい(30%)、夢(12%)・・・となっており、意外と昇進・出世・肩書きなど(3~5%)は低い結果の

ようです。

私的には、「生きる」あるいは「働く」ためのモチベーションを維持するには、五欲によるものが大きいのではないかと

思いますがどうでしょう?

 

一方、生き易い環境かどうかを見るために、世界の自殺者数を比較してみます。日本の自殺率は24.4/10万人で8位、

アメリカは11/10万人で42位。一方、福祉大国であるスウェーデンは12.7/10万人で28位、デンマークは11.9/10万

人で33位となってます。。(2011年WHO調べ)福祉が行き届いていると思われる国でも、自殺者の数は結構多いので

すね。アルコール中毒者も多いそうです。福祉が行き届いているがゆえに、子どもたちが親の面倒を見なくなって孤立化

させたり、働かなくても暮らしていける等で自立心を妨げたりするのが要因だと言われています。いわゆる「生きがい」の

低下が生きる意欲を低下させるのでしょう。

 

では、五欲以外に、どうすれば生きるモチベーションが高められ、維持できるのでしょうか?「本心で生きること」を目標

に、そこからエネルギーを摂取し、モチベーションを維持するということなのでしょうか。この思考回路を作り上げる為には、

五欲を糧にしては生きられないくらいの強烈な体験が必要なのかもしれません。心が空っぽになる位のどん底の状態を

経験しなければ、そう簡単に五欲を解脱するのは難しいでしょう。しかし、そこから活路を見出すことができれば、大きな

飛躍へと繋がることでしょうね。

若い頃は、五欲に突き動かされ、周りと競ったり、同年代の人たちと比較したり(結婚を焦ったりなど)、隣の芝生がよく見

えたりするものです。しかし、勝気でトゲのある若者が、歳を重ねるに連れ性格が丸くなって協調性が出てきたり、身近な

愛する人との死別を経験して考え方が変わったり、自らが死と向き合うような病に侵されて神さまに思いをめぐらせたりと

転換期が訪れたりもします。更には、暴れん坊の暴走族だった人が、数年後に牧師さんになっていたり、全身麻痺に近い

ような事故に合われた方が、素晴らしい絵を描く芸術家になったりして、本心を大きく表現される方もおられます。

 

五欲の先にあるものへは、ある程度、年老いて枯れてこないと(枯れても執着する人もいるけど・笑)認識できないかも

しれない(だんだん自分の死を意識し出す)けれど、五欲にかかずらわっていられない程の苦悩や挫折の体験なども、

自ら見ている世界観を変えることでしょう。

 

いずれにしても、五欲を生きる為の根っこにするのではなく、五欲に執拗に捕らわれないように、五欲を薄め、本心から

湧き出る隣人愛の実践や自分自身の行動・言動の正しい動機を見つめ、その衝動を根っこにし、そこから生命エネルギー

を摂取できるようになれば「生きがい」を持てるようになるのではないでしょうか。この摂取方法を維持していく為には、

常に独り静かに自分自身の内側を見つめる時間を作ったり、大いなる存在や各々の本心の顕れである真理の言葉や

心を打つ事象、自然(四季の移り変わりや花や生物)、芸術(音楽、絵画等)などに自分の思考の周波数を同期させ、

そこへ自分自身の身を置いておくことが良いのではないかと思います。とはいえ、そう簡単にその理想的な境地に達する

ことはないでしょう。でも、一日の終わりにうまくいかなかったなあ、駄目だったなあ、と思っても、また翌日から実践すれば

いいのです。にんげんだもの(相田みつを)・笑 継続は力なり! 「感謝の心」については、またいずれ^^

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久高島~ニライカナイ

2012-03-13 08:22:05 | ・写真

南風さんより久高島の風景が届きました^^

2002.7伊計島へ旅行に行った。伊計島とは関係ないのだが、行きの飛行機内のJASの雑誌に久高島の記事があった。

伊計島までの道中の間でこの久高島を望む斎場御嶽(せーふぁうたき)に寄ろうと思ったのだが、交通渋滞の為断念。し

かし、何か惹かれるものがあり調べだした。個人的には沖縄にはもう何度も訪れているのだが信仰的なものは何も知ら

ない。ただユタと呼ばれる巫女、霊媒師または占い師のような人たちがいて島の人々の生活に溶け込んでいることは

知っていた。この斎場御嶽は、島創り神話にある神アマミキヨの降臨地といわれ琉球王朝時代の第一の聖地。母神信仰、

男子禁制の地。神の島・久高島を遥拝するところとして、また最高神女(ノロ)の即位儀式に欠かせない場所として崇敬

されてきた。ぜひ、その奇岩の重なる場所を見てみたかったのだが残念。ただ、その記事に載っていた比嘉康雄著「日本

人の魂の原郷・沖縄久高島」を帰りの空港内の本屋で偶然に発見。第六感覚が騒ぐ。久高島は琉球発生の地と

いわれており琉球王朝時代は由緒ある島とされ毎年国王が参詣にでかけていた。今やRV車の走り回る程の

近代化が進んでいるが近年まで昔ながらの風俗習慣を残してきた。12年ごとのウマ年の旧1月に1週間かかって

行われる神事はイザイホー祭といわれ、祝女を中心に厳粛に行われていた。(1978年を最後に後継者が無く

途絶えている)この本は、そんな沖縄の精神世界に脈々と流れている信仰にふれることが出来る貴重な本だ。

また、本題通り、日本人の魂の原郷がこの沖縄にありそうなのである。本土からは遠い南の国、沖縄。しかし僕ら

の心の奥深いところで継承されている精神世界があるような気がしてならない。2002.7記 by paw

ネットで伊計島キーワードで辿り着いたサイト邪馬台国総合説
http://www.setouchi.ac.jp/~dnagoh/index.html

このとき、わたしはまだ、「精神世界」の本当の意味に辿り着いてはいませんでした。先月、カットに行ったときに

聞いたのですが、担当の方が昨年か一昨年に久高島に行かれた事があって、その船の中で乗り合わせていた

方が最後の最高神女の方のお孫さんだったそうです。そのお孫さん(関東・千葉?に住まわれている)が現在、

久高島の神祭行事を継承されているとか・・・・見せて頂いた久高島の写真には、あちこちにオーヴが写っていま

した。いろいろな意味で繋がりを感じさせる南風さんのお便りでした^^

2002.7 宮城島より

2002.7 伊計大橋より

2002.7 伊計島のホテルより 朝焼け

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マザー・テレサ 母なることの由来

2012-03-11 02:21:49 | ・風に吹かれて

 

3.11・・・被災され亡くなられた方々と、ご遺族の方に哀悼の意を表します。

皆さんのブログを見ても、いろいろな思いが交錯していますね。私自身も同じ気持ちです。

ふともう一度観たくて、「マザー・テレサ:母なることの由来-デジタル復刻版」を見直しました。

その中から、琴線に触れた言葉を抜き出します。

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笑顔でいればいい 会話の中身などなくても

たとえパンに飢えてなくても 愛に飢えている人はすぐ近くにいる

まず1人だけでも

なにをどれだけするかより どれだけ愛を込めるかです

与える物の量より 与える愛の深さが重要です
 

十字架の上で イエスは最後にこう言われました

「私は渇く」

イエスが求めたのは単なる水だけではありません

それは愛への渇きであり 愛し合う心を求める叫びでした

普通の人から見れば私たちの行いは非常識です

でも 触れている相手が 誰であるかを知れば

真実が見えてきます

イエスは言われました

私は飢えている 私は裸である

私には泊まる家がない 私は孤独である

イエスは、私たちの前にいます

貧しい人の姿で

 

神の意志を働かせるための小さな道具となるのです

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2011 photo gallery by paw

2012-03-09 14:29:53 | ・写真

2011のブログ投稿の好きな写真をまとめてみました。(一部古いもの、自分の写真ではない

作品も含まれています。自分自身の記憶の記録の為ですので。。。)

年々、一年一年が加速してはいますが、こうして一年振り返ると、いろんな事がありましたね・・・

写真上でクリックすると別ページへ飛びます^^

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7.私心と本心5(五欲への執着)

2012-03-07 11:45:12 | ・「ありがとうございます」をもっと平易に

[「ありがとうございます」をもっと平易に]カテゴリーからの投稿です。

 

我欲煩悩をどれだけ満足させても、決して真実の幸せは得られないのです。我欲煩悩の欲求は、どこまでも

どこま業想念の心〔五欲(財欲・名誉欲・色欲・食欲・睡眠欲)〕を自分の心なのだと信じている人にとっては、

業想念が厚ければ厚い程、神さまの愛は感じ取り難いものです。それは厚い業想念に覆われて、業想念の

奴隷になって、本心の自分が隠されてしまっているからです。神さまに生かされているということを、忘れた

状態が欲なのです。神さまへの感謝を忘れたところから、業想念(五欲)が発生し蓄積されてゆくのです。神

さまへの感謝を忘れ、怠る状態が続けば続く程、業想念は厚くなってくるのです。

業想念が厚くなればなるほど、五欲を満足させる為に、自分の思い通りに生きようとする利己的な心が強く

なってくるのです。何でも自分の思い通りにならなければ、腹が立つのです。周囲の人々の思惑を生かして

あげようという愛の気持ちが、業想念によって覆い隠されてしまっているからです。

業想念の心(五欲)を幾ら満足させても、それは本心の心の満足では無いのです。だから自分も他人も決して

本当の幸せにはなれないのです。業想念で築き上げたものは、必ず自壊(外力によらず、内部から崩壊する)

するのです。思い通りにならない時が必ず来るのです。築き上げたものが大きければ大きいほど、大轟音を

発して崩壊するのです。の崩壊する姿が、七難八苦となるのです。その時に業想念の心を自分の心として

掴んでいたら、必ず大きな苦痛を味わい続けることになるのです。

しかし幸いなことに、その苦痛が魂を浄め、生き方の誤りに気付かせてくれるのです。同じ失敗を何度も繰り

返すのは愚かです。他人の失敗を見て、他山の石としないのも愚かです。お手本は至る所に存在しているの

です。五欲の奴隷状態に止まっていては、決して真実の幸せを掴むことはできないのです。このことをしっかり

と肝に銘じておかなければならないのです。

例えこの一生が七難八苦の連続であっても、地獄の苦しみを味わうことと比べたら、万分の一以下の軽さです。

その苦痛によって魂を浄め、感謝のできる本心の心に引き戻していただけるとしたら、何が何でも感謝し続けな

ければならないものなのです。(「ありがとうございます」より・一部語句互換 )

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「業想念で築き上げたものは、必ず自壊(外力によらず、内部から崩壊する)する」「その崩壊する姿が、七難

八苦となるのです。」とはどういうことなのでしょうか?

五欲のうちの財欲を例にとって具体的にみてみましょう。

財欲とは、まあ、お金が欲しい!という事ですよね。元からあったのか、稼いで貯めるのか解りませんが、まず

お金があって、そのお金をを更に、割と手間を掛けずに、投資をしたり、ギャンブルに投じたりする。欲が膨らめ

ば、うまい話に乗せられて、騙されたりする。投資が失敗して全てを失ったり、ギャンブルに負けたりする。もし始め

から、暮らせる分のお金があればいいと思っていれば、こんな事にはならない。欲深だからこそ、こうした失敗に

よって、イライラしたり苦痛を味わったりするわけですね。

 

まあ私的には、この世の中を生きているのであれば、まったく欲をなくすことなど、現実問題としてできないとは

思っています。多少の事は、神さまも目をつぶってくれるんじゃないかなと楽観的に考えています(笑)。しかし、

どうせ死んであの世へいけばお金を持っていても仕方がないわけで・・。三途の川を渡る駄賃くらいあればよい

でしょう(笑)。自分自身はどうでも、財産を子どもに残したいというのはあるかもしれませんけれど。いずれにして

も、異常な執着を持てば持つほど、欲深になればなるほど、はまればはまるほど、どんどんと、私財をつぎ込んで

いきますから、いずれは大変な目に合ってしまうでしょう。

このように他の欲についても、名誉を得る為にウソ偽りで自分を固めたり、異性に騙されて酷い目にあったり、

食べ過ぎて病気になったり、寝過ぎて遅刻したり(違うか?笑)と、「過ぎる」とトンでもないになります。やはり

何事もバランスで、偏る事なく、中庸をキープしていきたいものです。

 

「 業想念の心(五欲)を幾ら満足させても、それは本心の心の満足では無い」・・・よくこの世の全てを手に入れ

ても、何か空しい、寂しい、満たされない・・・というような物語がありますよね。私は全てを手に入れたことがない

ので、何とも言えませんが(笑)、やはり精神面の充足が得られなければ、本当の幸せを手中にすることはできない

のでしょう。

 

「例えこの一生が七難八苦の連続であっても、地獄の苦しみを味わうことと比べたら、万分の一以下の軽さです。」・・・・

肉体の無い霊魂の世界では、精神面で同じような思考や境遇のものたちが集まって暮らしているそうです。です

から、五欲の強いものたちは、類は友を呼ぶ、のようにお互いに引かれ合い、同じような強欲なものたちの中で

満たされない欲望の中を苦しみながら生きることになるのでしょう。この世界を地獄と呼んでいるわけですね。

この世は、強欲なものたちから、本心で生きようとするものたちまでバラエティに富んでいます。手を差し延べてくれる

たちが顕れたりして、少しでも自身の本心を見出すことができれば(強欲なもの同士の世界では本心に気がつき難い)、

容易に地獄から脱出することもできるでしょう。そこで「万分の一以下の軽さ」という表現なのでしょうね。逆に万倍

以上の苦しみは・・・想像したくありません(笑

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ウミウシ探索隊出動

2012-03-06 08:11:58 | ・ウミウシ関連(ダイビング含)

2012.2.26 ウミウシ探索隊出動~

20種見れましたよ。うち、新しい出会いが2種。楽しい一日でした^^

シャクジョウミノウミウシ(初) 20-25mm
黒っぽいのでヨツスジミノかと思ったが、どうもデザインが違う・・・
更に肉眼では解らなかったが、ミノも含めて全体に白い点々が点在。
駐車場に戻って「本州のウミウシ」から、この子と判明しました^^ こちらはkouchaゲット^^


フタスジミノウミウシ 25mm位
割と大きな個体で、こちらこそヨツスジミノかと思いきや・・・フタスジミノですね。

フタスジミノウミウシ 15mm位
こちらは、よく見る感じのフタスジミノ。 
それにしてもブラックタイプウミウシが勢ぞろいしましたねー^^

フジタウミウシ 5mm位 可愛いじゃないっすかあ。。。。♪
kouchaが、ミズタマだ~と吼えました。磯で初のツノザヤか!と思いきや、
どうも形状が違う。その後、以前見たヒカリウミウシと混同して、あんまり写真を
撮らなかったら・・・なんとお初のフジタウミウシでした^^; 
幼体のようですねー、色合いがとても若々しく綺麗でした。しかし小さい・・・・^^; ←約実際の大きさ(笑

コマユミノウミウシ 2-3mm
で、更に小さい子をkouchaがゲット。ほら、コレ、ミノウミウシだよ・・見えない・・・^^;
pawは撮影で張り切りました。デジタルズーム&露出補正で、ここまで大きく(笑  ←約実際の大きさ(笑

スクレロドーリス・アピクラータ(和名がありませ~~ん。地味だからかな・笑) 10-15mm
こちらもkouchaがゲット。同じ潮溜まりに4個体。新参種かと思ったのですが、
この子で良さそうですね。久しぶり3度目くらいでした。

定番アオウミウシ 15mm位 だんだん増えてきてますねー。
よ~くみると貝にくっ付いているのですが、貝の眼?が鋭く睨んでいます(笑

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