私はたぶん人から見ると無精には見えないだろうが、生来の無精は私の根底に溶けない底層としてあって、その無精なところを覆しなさいと何か強いられたりすると、ものすごい圧迫感を感じてしまう。
食べることや寝ることを犠牲にすることができないから、もちろんそれがいいこととは全然思わないけれど、そのくらいのつもりで何かを成し遂げることというのはどんなだろう。
それにはもちろん、負ける、という事実も発生するから敢えてそのリングに上がりたかったかどうかがまず疑問なのである。
それに、勝つ、という経験が例えばできたとしたらそこに多くの犠牲を払っただけの快感があるのかどうかもわからない。
腹立たしい指摘を人にされてから、私は"自分の持ち得る限りの力を発揮する"ということについて、結構支配されてしまっている。
今私が、非常に重たい、と感じていることは、無精という理由だけではないこともわかっている。
単なる苦手、自信がない、その事全体が見通せない把握できない。
こういう類のストレスを蹴散らすのは、何でもいいから何かを決める、ということだけで、決めたらそれが苦手でも自身がなくても把握していなくても、恥をかいても、それをやるしかない。
そのリングに上がりたかったかどうかさえも、それを決めた後は「上がりたかった」というしかない。
私はもう、粗を見せずに何かをスマートにやることはできないと思う。
それに関して私は知識もなければ、アイディアもなければ、先見の明もない。
だとしたら、それをカバーできるくらいの努力と行動力を持たねばならない。
大きく深呼吸する。
中学生の頃、マラソン大会が嫌で仕方なくて、緊張しすぎて眠れなくて、翌朝本当に気持ち悪くなったことがあった。
英語のスピーチコンテストの前日も不安と緊張を自分自身で爆発しそうなくらいに最大化して大いに狼狽えた。
今考えるに、何がこの巨大なストレスは、人前で上手くいかなくて恥をかくことがおそらく一番の要因であったように思う。
緊張やストレスが本当に嫌いで、さらに当時はそういう不安や緊張を軽減したりぶっ飛ばす方法を一切心得ていなかった私は、よく身体を壊さなかったものだと今は思う。
やってやるぜ、という開き直りも少しも持っていなかったのだから。
仕事においては、1日の数分が終わってしまえばそれで完了するようなことでもない。
心地よいぬるさの中で最大を目指します、というスタイルを取ってきた私にとってその変革が重荷であろうことは自明だ。
そんなことを言いながら、最終の最終責任など持ってないわけだから、私は私のために決めなければならない。
私のために、やらなければならない。
それまで、ぶつぶつ言いたい。
食べることや寝ることを犠牲にすることができないから、もちろんそれがいいこととは全然思わないけれど、そのくらいのつもりで何かを成し遂げることというのはどんなだろう。
それにはもちろん、負ける、という事実も発生するから敢えてそのリングに上がりたかったかどうかがまず疑問なのである。
それに、勝つ、という経験が例えばできたとしたらそこに多くの犠牲を払っただけの快感があるのかどうかもわからない。
腹立たしい指摘を人にされてから、私は"自分の持ち得る限りの力を発揮する"ということについて、結構支配されてしまっている。
今私が、非常に重たい、と感じていることは、無精という理由だけではないこともわかっている。
単なる苦手、自信がない、その事全体が見通せない把握できない。
こういう類のストレスを蹴散らすのは、何でもいいから何かを決める、ということだけで、決めたらそれが苦手でも自身がなくても把握していなくても、恥をかいても、それをやるしかない。
そのリングに上がりたかったかどうかさえも、それを決めた後は「上がりたかった」というしかない。
私はもう、粗を見せずに何かをスマートにやることはできないと思う。
それに関して私は知識もなければ、アイディアもなければ、先見の明もない。
だとしたら、それをカバーできるくらいの努力と行動力を持たねばならない。
大きく深呼吸する。
中学生の頃、マラソン大会が嫌で仕方なくて、緊張しすぎて眠れなくて、翌朝本当に気持ち悪くなったことがあった。
英語のスピーチコンテストの前日も不安と緊張を自分自身で爆発しそうなくらいに最大化して大いに狼狽えた。
今考えるに、何がこの巨大なストレスは、人前で上手くいかなくて恥をかくことがおそらく一番の要因であったように思う。
緊張やストレスが本当に嫌いで、さらに当時はそういう不安や緊張を軽減したりぶっ飛ばす方法を一切心得ていなかった私は、よく身体を壊さなかったものだと今は思う。
やってやるぜ、という開き直りも少しも持っていなかったのだから。
仕事においては、1日の数分が終わってしまえばそれで完了するようなことでもない。
心地よいぬるさの中で最大を目指します、というスタイルを取ってきた私にとってその変革が重荷であろうことは自明だ。
そんなことを言いながら、最終の最終責任など持ってないわけだから、私は私のために決めなければならない。
私のために、やらなければならない。
それまで、ぶつぶつ言いたい。
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