随分と髪が伸びたなあと椅子に髪が挟まる度に思う。
スーパーロングだった髪を3年前に60cmくらい切って、その後また何回か切って、今またスーパーロングに戻ろうとしている。
私は髪が伸びるのが異様に早い。
3年前のその前の10年間ほどもスーパーロングだったのだから、たぶん色んなことを踏まえてロングが性に合っているのだと思う。
切ってみて私は見た目に髪が短いのがしっくりこないのだとわかったし、髪が短いのが長いよりもはるかに面倒であることもわかった。
だから早く戻りたかった。
さほど気にかけることもなく、あっという間に戻ってきた。
2,3か月ぶりに会う人たちの第一声は皆「髪伸びたね」だ。
長い髪を乾かすのが面倒でないかとよく聞かれるが、確かにショートヘアの人よりももしかすると10倍くらいのドライヤー時間なのかもしれないがそれでも、トータルすると長い方が断然楽だ。
私の髪の毛は量はあるが、細く猫っ毛なので短くすると思うようにセットできない。
普段出かけるのに、コテを使うのもヘアワックスを付けるのも面倒なのだ。
またショートヘアはその微妙な長さが重要だと思うから、伸びてしまうと頻繁に美容院に行かなければならない。
一方ロングなら、朝のセット時間はほぼ皆無であるし、ある一定のラインを超えてしまえば伸びたとしても全体のスタイルにあまり影響を及ぼさない。
ヘアワックスは元から嫌いだし、ヘアオイルを数滴もみ込むくらいでまあ出かけられる。
美容院も、好きではないという理由も大きな要因にありつつ、年1回でも間に合う。
最低限のケアで、なんとなく様になる。
長年のロングヘアだった頃とそれから脱却した過去も、戻った今も、私はロングヘアが好きだし合っていると思う。
化粧もそうだが、ここ最近の私は自分自身に対して簡略化している気がする。
怠っている、というよりはおそらく、最低限最適化、みたいなことかと思う。
アイシャドウもそうだし、あれほどないと落ち着かなかったピアスも最近はたまにしかしない。
マニキュアだけは最近の方がまめだけれど。
そういえば、私の友人に、上下分かれた服は面倒だからと年がら年中ワンピースを着ている人がいる。
本当に私は出会ってから、ショート丈もマキシ丈もあるけれど、彼女のワンピース以外の格好を見たことがない。
でも服は好きだから数多くのワンピースを持っている。
私と彼女は、面倒なタイプの人間であることを自覚しながら、面倒が嫌い、という点において似ている。
シンプルになる。
ナチュラルになる。
それは考えて実行する類のものではないけれど、ありのままでいいじゃないか、とそういう方向性。
した方が良い面倒はするし、時々自ら面倒を買って出る。
到底合理的と思えないこともたくさんする。
シンプルに、ナチュラルに、年を取ることはいい。
でも、老いること前提に、老けることや衰えるのがいいとは思わない。
肌に合った高機能美容液と、心の底から嬉しいという感動、どちらがよりアンチエイジングに効果的だろう。
要るもの、要らないもの。
そうであるもの、そうでないもの。
そのときの私の本物、そのときの私の偽物。
変化こそ不変、の中で、凝り固まることなく、選べていけたらいい。
鏡菊餅。
スーパーロングだった髪を3年前に60cmくらい切って、その後また何回か切って、今またスーパーロングに戻ろうとしている。
私は髪が伸びるのが異様に早い。
3年前のその前の10年間ほどもスーパーロングだったのだから、たぶん色んなことを踏まえてロングが性に合っているのだと思う。
切ってみて私は見た目に髪が短いのがしっくりこないのだとわかったし、髪が短いのが長いよりもはるかに面倒であることもわかった。
だから早く戻りたかった。
さほど気にかけることもなく、あっという間に戻ってきた。
2,3か月ぶりに会う人たちの第一声は皆「髪伸びたね」だ。
長い髪を乾かすのが面倒でないかとよく聞かれるが、確かにショートヘアの人よりももしかすると10倍くらいのドライヤー時間なのかもしれないがそれでも、トータルすると長い方が断然楽だ。
私の髪の毛は量はあるが、細く猫っ毛なので短くすると思うようにセットできない。
普段出かけるのに、コテを使うのもヘアワックスを付けるのも面倒なのだ。
またショートヘアはその微妙な長さが重要だと思うから、伸びてしまうと頻繁に美容院に行かなければならない。
一方ロングなら、朝のセット時間はほぼ皆無であるし、ある一定のラインを超えてしまえば伸びたとしても全体のスタイルにあまり影響を及ぼさない。
ヘアワックスは元から嫌いだし、ヘアオイルを数滴もみ込むくらいでまあ出かけられる。
美容院も、好きではないという理由も大きな要因にありつつ、年1回でも間に合う。
最低限のケアで、なんとなく様になる。
長年のロングヘアだった頃とそれから脱却した過去も、戻った今も、私はロングヘアが好きだし合っていると思う。
化粧もそうだが、ここ最近の私は自分自身に対して簡略化している気がする。
怠っている、というよりはおそらく、最低限最適化、みたいなことかと思う。
アイシャドウもそうだし、あれほどないと落ち着かなかったピアスも最近はたまにしかしない。
マニキュアだけは最近の方がまめだけれど。
そういえば、私の友人に、上下分かれた服は面倒だからと年がら年中ワンピースを着ている人がいる。
本当に私は出会ってから、ショート丈もマキシ丈もあるけれど、彼女のワンピース以外の格好を見たことがない。
でも服は好きだから数多くのワンピースを持っている。
私と彼女は、面倒なタイプの人間であることを自覚しながら、面倒が嫌い、という点において似ている。
シンプルになる。
ナチュラルになる。
それは考えて実行する類のものではないけれど、ありのままでいいじゃないか、とそういう方向性。
した方が良い面倒はするし、時々自ら面倒を買って出る。
到底合理的と思えないこともたくさんする。
シンプルに、ナチュラルに、年を取ることはいい。
でも、老いること前提に、老けることや衰えるのがいいとは思わない。
肌に合った高機能美容液と、心の底から嬉しいという感動、どちらがよりアンチエイジングに効果的だろう。
要るもの、要らないもの。
そうであるもの、そうでないもの。
そのときの私の本物、そのときの私の偽物。
変化こそ不変、の中で、凝り固まることなく、選べていけたらいい。
鏡菊餅。