<転送歓迎>(重複ご容赦)
・「都教委包囲首都圏ネットワーク」・「千葉高教組」・「新芽ML」の渡部です。
板橋高校正門前〔言論表現の自由を守る会〕
本日(3月8日)のビラまき報告です。
藤田裁判で有名になった<板橋高校>のビラまきについては二人の方が報告してくれました。
その中で、副校長が、
「都教委から生徒には撒かないようにという指示が来ているので、一応お伝えしておきます」
と言ったことが報告されています。
生徒たちに「日の丸・君が代」の真実が知られる事を、彼らがいかに恐れているかが良く分かります。
これもすべて「原発安全神話」ならぬ、「君が代起立斉唱常識神話」を作っていくためだと思います。反対するものを「村八分」ならぬ「非国民」にして。
<H高校>
Fです。8時25分くらいにつきました。
校門では教員が5名ほど、生徒の身だしなみを見ていました。
(主として頭髪、かなり厳しい基準のようですが言葉などは丁寧、生徒との関係は悪くはないようです。)
生徒の受け取りもよく、310枚ほど撒けました。
9時頃でしょうか、校長が来まして型どおりの注意をしたい模様でした。
私の方から「はい、わかっていますので注意して行います」と言ったところ、「心苦しいのですがお願いします」と丁寧に言っていました。
いろいろな管理職があるものです。
<F高校>
明日かと思っていたのですが、帰りがけでもあるので車で立ち寄ってみたところ、な・な・何と、、今日が卒業式でした。
ビラなど用意はしてなかったのですが、羽村の残りのビラ40枚ほどと、たまたま持っていた、明日に配布する予定だった「多摩西部市民の会」のビラ150枚ほどを11時過ぎ(11:20くらいからか)に帰る保護者、卒業生などに配布しました。
<板橋高校>(その1)
板橋高校と言えば、2004年3月11日の卒業式で、卒業生の9割以上が一斉に着席した、いわゆる「板橋高校卒業式刑事弾圧事件」が起きた学校です。
当時卒業学年の担任団は、警察と都教委から徹底的に事情聴取され、来賓だった藤田元教諭が起訴される事態に発展してしまいました。
卒業式の主役は、生徒ではなく、日の丸・君が代であることが権力的に示された象徴的な事件でした。
あれから8年、今年は11日が日曜日のせいか、3月8日が卒業式となっていました。
「包囲ネット」と「板橋の学校と地域を結ぶ会」の2種類のチラシを、5人で配りました。
校門の前に、横断歩道があります。裏道でも意外と交通量が多く、今日は先の交差点で工事をしていたせいもあって、下り線で渋滞が起きていました。
この横断歩道を、あの日「旅立ちの日に」のピアノ伴奏をした全盲の女子生徒が、3年間毎日渡っていたのでした。
『藤田の日記』には次のような記述があります。当時生徒部だった藤田先生は、朝早く校門周辺を掃除するのが日課だったそうです。
「特に、全盲の女子生徒が入ってきて、登校時は正門近辺にいて注意を払っていた。声をかけると一語だけで誰かと理解してくれる。
(略)
一度、その子と同じ道、正門前の車道の横切りを目を閉じて試みたことがある。
耳を澄まして、車の音をうかがいながら歩を進めるのだが、一歩も怖くて進めなかった。
彼女は、その横断地点までさっさと歩いてきて、一瞬間をおいてさっと横断する。
自転車の音など私にはまったく聞こえないから、足が竦むのみであった。」
そんなことを思い浮かべながら、横断歩道前で、チラシを配りました。
「生徒には、立たない、歌わない、自由があります」と声を掛けると、立ち止まって受け取ってくれる生徒が多かったです。
校門前の看板は「卒業証書授与式」ではなくシンプルな「卒業式」の大きな3文字。
年度だけ張り替えていて、年輪を感じさせるものでした。
出てきた副校長に「かつては9割の卒業生が着席したそうですが、最近の生徒はどうですか」と声を掛けてみましたが「答える立場にありません」とすげなくかわされてしまいました。
ここの生徒たちも、式場に入ると今や、日の丸・君が代の脇役にされてしまっているのかもしれません。
<板橋高校>(その2)
8時から、板橋高校で「日の丸・君が代」強制反対のビラ撒きを行いました。
私たちは包囲ネットのビラを3人で撒き、他に「板橋の集い」のビラを撒く方も2人いらっしゃいました。
校門のすぐ外側でビラ撒きを開始するとすぐ*副校長が近寄ってきて、まず「お名前は?」と聞かれたのには驚きました。
もちろん答えませんでしたが、こんなことは初めてです。
次に、「都教委から生徒には撒かないようにという指示が来ているので、一応お伝えしておきます」と言い、そのまま3分ほど(監視するつもりではなかったのでしょうが)門前に留まっていました。
それから間もなく生徒たちの校舎出入口の前に水色のポリ容器が置かれ、敷地内に戻った副校長は10分間ほどその近くに立って、ビラを受け取った生徒たちに「ゴミ箱はそこにあるから」と指示していました。
そしてようやく副校長が校舎内に戻ったと思ったら、今度は教師が「燃えるごみ」と書いた紙を持ってきてポリバケツに貼り付けました。
この時点ではまだ校門のところに「卒業式」の看板と日の丸の旗は掲げられておらず、ようやく8時35分頃、その据え付けのために教師が出てきました。
その頃、副校長は自ら3本のポールに日の丸などを掲揚する作業を始めていました。
慣れていないせいかかなり手間取っているようすで、この作業を終えるまで30分以上かかっていたと思います。
9時を回って生徒たちの登校のピークが過ぎると、上述のポリ容器は、その頃から集まり始めていた保護者たちが卒業式の会場に向かう動線の方に移動されていました。
ビラの受け取りは、保護者が過半数、生徒が半分くらい(ただし、その3分の1くらいはすぐゴミ箱に捨てられていました)、教師は半分以下だったでしょうか。
それでも包囲ネットのビラ200枚ほどを撒いて、10時にビラ撒き行動を終えました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
包囲ネットでは、
卒業式<ビラまき>に協力してくださる方はご連絡下さい。
このメールへの返信でも、私個人あてにでも結構です。
渡部 秀清
電子メール アドレス : hidekiyo@bea.hi-ho.ne.jp
*********************************************************
「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://kenken.cscblog.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
・「都教委包囲首都圏ネットワーク」・「千葉高教組」・「新芽ML」の渡部です。
板橋高校正門前〔言論表現の自由を守る会〕
本日(3月8日)のビラまき報告です。
藤田裁判で有名になった<板橋高校>のビラまきについては二人の方が報告してくれました。
その中で、副校長が、
「都教委から生徒には撒かないようにという指示が来ているので、一応お伝えしておきます」
と言ったことが報告されています。
生徒たちに「日の丸・君が代」の真実が知られる事を、彼らがいかに恐れているかが良く分かります。
これもすべて「原発安全神話」ならぬ、「君が代起立斉唱常識神話」を作っていくためだと思います。反対するものを「村八分」ならぬ「非国民」にして。
<H高校>
Fです。8時25分くらいにつきました。
校門では教員が5名ほど、生徒の身だしなみを見ていました。
(主として頭髪、かなり厳しい基準のようですが言葉などは丁寧、生徒との関係は悪くはないようです。)
生徒の受け取りもよく、310枚ほど撒けました。
9時頃でしょうか、校長が来まして型どおりの注意をしたい模様でした。
私の方から「はい、わかっていますので注意して行います」と言ったところ、「心苦しいのですがお願いします」と丁寧に言っていました。
いろいろな管理職があるものです。
<F高校>
明日かと思っていたのですが、帰りがけでもあるので車で立ち寄ってみたところ、な・な・何と、、今日が卒業式でした。
ビラなど用意はしてなかったのですが、羽村の残りのビラ40枚ほどと、たまたま持っていた、明日に配布する予定だった「多摩西部市民の会」のビラ150枚ほどを11時過ぎ(11:20くらいからか)に帰る保護者、卒業生などに配布しました。
<板橋高校>(その1)
板橋高校と言えば、2004年3月11日の卒業式で、卒業生の9割以上が一斉に着席した、いわゆる「板橋高校卒業式刑事弾圧事件」が起きた学校です。
当時卒業学年の担任団は、警察と都教委から徹底的に事情聴取され、来賓だった藤田元教諭が起訴される事態に発展してしまいました。
卒業式の主役は、生徒ではなく、日の丸・君が代であることが権力的に示された象徴的な事件でした。
あれから8年、今年は11日が日曜日のせいか、3月8日が卒業式となっていました。
「包囲ネット」と「板橋の学校と地域を結ぶ会」の2種類のチラシを、5人で配りました。
校門の前に、横断歩道があります。裏道でも意外と交通量が多く、今日は先の交差点で工事をしていたせいもあって、下り線で渋滞が起きていました。
この横断歩道を、あの日「旅立ちの日に」のピアノ伴奏をした全盲の女子生徒が、3年間毎日渡っていたのでした。
『藤田の日記』には次のような記述があります。当時生徒部だった藤田先生は、朝早く校門周辺を掃除するのが日課だったそうです。
「特に、全盲の女子生徒が入ってきて、登校時は正門近辺にいて注意を払っていた。声をかけると一語だけで誰かと理解してくれる。
(略)
一度、その子と同じ道、正門前の車道の横切りを目を閉じて試みたことがある。
耳を澄まして、車の音をうかがいながら歩を進めるのだが、一歩も怖くて進めなかった。
彼女は、その横断地点までさっさと歩いてきて、一瞬間をおいてさっと横断する。
自転車の音など私にはまったく聞こえないから、足が竦むのみであった。」
そんなことを思い浮かべながら、横断歩道前で、チラシを配りました。
「生徒には、立たない、歌わない、自由があります」と声を掛けると、立ち止まって受け取ってくれる生徒が多かったです。
校門前の看板は「卒業証書授与式」ではなくシンプルな「卒業式」の大きな3文字。
年度だけ張り替えていて、年輪を感じさせるものでした。
出てきた副校長に「かつては9割の卒業生が着席したそうですが、最近の生徒はどうですか」と声を掛けてみましたが「答える立場にありません」とすげなくかわされてしまいました。
ここの生徒たちも、式場に入ると今や、日の丸・君が代の脇役にされてしまっているのかもしれません。
<板橋高校>(その2)
8時から、板橋高校で「日の丸・君が代」強制反対のビラ撒きを行いました。
私たちは包囲ネットのビラを3人で撒き、他に「板橋の集い」のビラを撒く方も2人いらっしゃいました。
校門のすぐ外側でビラ撒きを開始するとすぐ*副校長が近寄ってきて、まず「お名前は?」と聞かれたのには驚きました。
もちろん答えませんでしたが、こんなことは初めてです。
次に、「都教委から生徒には撒かないようにという指示が来ているので、一応お伝えしておきます」と言い、そのまま3分ほど(監視するつもりではなかったのでしょうが)門前に留まっていました。
それから間もなく生徒たちの校舎出入口の前に水色のポリ容器が置かれ、敷地内に戻った副校長は10分間ほどその近くに立って、ビラを受け取った生徒たちに「ゴミ箱はそこにあるから」と指示していました。
そしてようやく副校長が校舎内に戻ったと思ったら、今度は教師が「燃えるごみ」と書いた紙を持ってきてポリバケツに貼り付けました。
この時点ではまだ校門のところに「卒業式」の看板と日の丸の旗は掲げられておらず、ようやく8時35分頃、その据え付けのために教師が出てきました。
その頃、副校長は自ら3本のポールに日の丸などを掲揚する作業を始めていました。
慣れていないせいかかなり手間取っているようすで、この作業を終えるまで30分以上かかっていたと思います。
9時を回って生徒たちの登校のピークが過ぎると、上述のポリ容器は、その頃から集まり始めていた保護者たちが卒業式の会場に向かう動線の方に移動されていました。
ビラの受け取りは、保護者が過半数、生徒が半分くらい(ただし、その3分の1くらいはすぐゴミ箱に捨てられていました)、教師は半分以下だったでしょうか。
それでも包囲ネットのビラ200枚ほどを撒いて、10時にビラ撒き行動を終えました。
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卒業式<ビラまき>に協力してくださる方はご連絡下さい。
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渡部 秀清
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