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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

東京「君が代」裁判第3次訴訟 原告意見陳述(3)

2010年07月29日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 【東京「君が代」裁判第3次訴訟 2010年7月7日】
 ◎ 「考えずに従う」ことが出来ない理由 原告意見陳述
T(都立O高校教員)

1.原告のTです。1977年に区立中学に勤務,1986年4月からは都立高校に勤務し,英語を教えてきました。私は2007年3月の卒業式の国歌斉唱時に起立しなかったことで戒告処分を受けました。この間,起立と不起立との間で激しく動いた私の心境をお話ししたいと思います。
2.「10.23通達」直後の2004年春の卒業式と入学式(H高校時代)で,私は心ならずも職務命令に従いました。処分が怖かったからです。「生徒にまで強制しているわけではないから」という言い訳を心の中で繰り返していました。しかし,そんな言い訳がいかに甘っちょろいものであったかを,その後,次々と知らされました。
 都教委は,不起立の教職員への懲戒処分のほか,生徒の不起立が多かった学校の教職員に対し,「不適切な指導を行った」として「厳重注意」などの処分を発表,翌年には生徒への斉唱指導を強化する通達を出しました。強制の真の狙いはやはり生徒たちでした。
 また,不起立教員に対する仕打ちは懲戒処分だけでは済まず,屈辱的としかいいようのない「再発防止研修」も毎年繰り返されました。処分を受けた人が一人でもいる学校は「課題校」とされて,所属する教職員全員に「教育課程の適正実施に関する研修」が課されました。おまえのせいで皆に迷惑がかかるんだ,という連帯責任の追及であり,少数者に対するイジメに他なりません。
3.私は,その後2年間の卒入学式では場外警備をしたり,体調を崩して休暇を取ったりしましたが,2007年3月の卒業式は,卒業学年の担任として逃げることはできませんでした。苦労は多かったけれど,3年間全力でぶつかり合ってきた最も思い入れの深かった生徒たちの卒業式です。彼らの門出を心から祝福する思いと内心を偽って職務命令に従うことは,自分の中でどうしても両立せず,国歌斉唱時,起立することができませんでした。
4.国旗・国歌が象徴する「国」あるいは「国家」をどう考えるかという問題は,個々人の内面の深い部分に立ち入る極めて繊細な事柄です。「国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する」という行為が,ある人にとっては至極当然なことであっても,ある人にとっては心が引き裂かれるほどの葛藤を伴う場合もあるのです。私がこのことに思い及ぶようになった背景に,中国帰国生徒との関わりがありました。
 私は,前々任校(K高校),前任校(S高校)と続けて,中国帰国生徒受け入れ校に勤務しました。中国残留孤児,残留婦人と呼ばれる人たちの2世,3世に当たる生徒たちです。国籍的には日本,中国,両方の生徒がいましたが,中国で生まれ中国で生活してきた彼らにとって,言葉も含めて日本は「外国」です。どうしたら彼らをスムーズに受け入れることができるのか,彼らが日本社会で生きていくための力をどうやって引き出すことができるのか,山ほどの難題に対する取り組みが学校全体で始まったのが1991年でした。私は1993年から3年間は帰国生徒担当として,1997年から3年間は学級担任として,2000年から2年間は進路部として就職・進学活動の場面で,次のS高校では主に学級担任の立場で,彼らと長く接することになりました。慣れない環境の中で様々な助けをまだまだ必要としていた彼らとの人間関係は,必然的に密度の濃いものとなりました。
 彼らのバックグラウンドをもっとよく知ろうとするとき,国家とは,戦争責任とは,ということについて考えないわけにはいきませんでした。国策に乗せられて満州に渡り,敗戦によって置き去りにされ,念願かなって祖国に戻ってからもその大半が貧しい生活を余儀なくされた残留孤児・残留婦人たち。そして,言ってみれば親の都合のようなもので,突然,日本という「外国」で生活することになった「帰国生徒」たちの多くも,「国」というものに対して一口では言えない複雑な思いを抱くことがあったとしても不思議ではありません。
5.私自身は,過去に皇国思想や軍国主義思想のシンボルとして用いられ,日本国憲法の主権在民の理念と相容れない歌詞を持つ「君が代」には強い抵抗があります。勿論いろいろな考えがあり,また,国旗や国歌というシンボルにどのような気持ちを持つかは一人ひとりの内心の問題であり,思想良心の自由として憲法でも保障されています。「国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する」ことを,公立学校において,しかも生徒たちの成長や門出を祝福するための卒業式のような場で,公的機関が処分を振りかざしてまで一律に強制するということ自体が異常だと思います。人の心の深い部分にかかわる非常に繊細な事柄を,乱暴に扱い過ぎています。思想信条といった個々人の内面の領域にまで踏み込んで屈服させるようなことを公権力はやってはならない,特に教育の場においてはあってはならないと思います。
6.次に,2007年に処分を受けた後のことを話します。2年後の強制異動の前後とも生徒部ということもあり,卒入学式ではずっと場外警備を命じられて,国歌斉唱問題とは直面しないですみました。しかし57歳となり,定年退職まで残り3年の教員生活をどう送るかを考えた時,学級担任以外は考えられず,強く希望して今年4月から1年生の担任になりました。そして入学式,内心忸怩たる思いでしたが,今回は職務命令通り起立したのです。
 実は,そのきっかけになったのは,昨年,処分から5年経過した人が初めて嘱託に合格したという話を聞いたときでした。2007年に不起立の決断に達するまでも一番のネックとなったのは定年退職後の仕事のことでした。あのとき一旦は諦めためたはずなのに,定年が間近に迫り,より現実的な切実なものとなったときに知ったこの情報で,動揺し心が揺れ動きました。「一度間違いを犯した君でも,改心してもう二度とやらなければ救済してあげますよ。」という都教委のしかけた罠にまんまとはまっていくようで無力感を禁じえませんが,少なくとも今は,働けるだけ働きたい,と思うことで自分に折り合いをつけました。
7.最後に,2004年に一緒に担任団を組むことが決まっていた同僚の一人が,入学式の国歌斉唱を巡って管理職から執拗な圧力を受け,新学期直前に精神的ストレスから入院,急遽担任を交代せざるを得なくなってしまった出来事について触れます。
 そのとき痛切に感じたのは,10.23通達とは「考えないのが一番楽だ」というメッセージにほかならないということでした。ごちゃごちゃ考えるから面倒になる,言われた通りにしておけば安心,安全だよと。まるで悪魔の囁きのようです。そして今,その悪魔の囁きが私の耳元で聞こえる気がして,怖くなることがあるのです。
8.国旗国歌を手段として東京都が拙速に進めているのは,「考えずに従う」教員そして生徒の育成のように思えてなりません。それは教育の否定でなくて何でしょう
以上,私が2007年の卒業式の国歌斉唱時に起立しなかった理由とその前後の心境を述べました。裁判所には,憲法に基づいた賢明で公正な判断を期待いたします。
以上

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