板橋高校卒業式「君が代」刑事弾圧事件 最高裁に口頭審理を要請中
★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
■□■ 弁護団が『上告趣意補充書』を、欧州人権専門家のlegal opinionを得て、提出すると聞いています。 ■□■
◎ 板橋高校卒業式事件・顛末記<4>
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「イカル」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
4 問題の卒業式前の状況
ここに、「10・23通達」というものがある。 2003年10月23日に出された。
指導主事らがそれまりに知恵を絞らされて、あらゆることを想定しつつ、強制的・画一的卒業式の完全履行をめざしたものである。
曰く、国旗掲揚は壇上正面、左。 右は都旗。
正対して起立し、国歌を斉唱す。
これを職務命令書とし、教員個々に手交する。
それに付随して、実に細かい点まで都教委は校長を指導した。 指導というより恫喝して従わせた。
式次第を事前に提出せよ。 教職員の座席を指定しそれを提出せよ。
各校に監視員として指導主事を派遣し、座席名表により、不起立者を特定し、教頭が間違いなく確認するかを見張る。
紹介するには、これだけでもう十分すぎるであろう。
教育委員会なる機関の教育庁の中の役人、管理職・指導主事が、学校に行って、管理職を見張り、現場の教職員の非違をとがめて処分しようというのである。
戦後の教育委員会も、ここまで堕したのか。
だいたいが、管理職になったり、指導主事になったりするのは、授業や生徒との関係に喜びを見いだせないで、ようするにうまく行かなくて、逃げ場所としてそっちへ行く奴が多い。
私もびっくりしたことがある。 授業がまともに出来なくなって、休職まがいのことをやってたN氏が、気が付いたらK高の校長をやっていた。 いやあ、驚いた。 試験さえ受かれば、倍率が低いからアホでも校長になる。
これも困った問題だ。
ある時、校長の出身教科を数えていったら、約半数が体育科であった。 ありゃまあーとしか言いようがない。
通達の出た後、周年行事の学校がたくさんあった。 通達の最初の実施である。
高島高校は30周年を迎える。
指導主事多数が派遣された。 広い体育館、教職員が散らばって立っている。
いよいよ、「国歌斉唱」、それが始まった途端、指導主事が徘徊し出した。
ちゃんと歌っているかを確認するためだという。
うろつきまわっちゃ、これは、戦前なら「不敬罪」、不敬行為ではないのか。
官僚の愚劣もここに極まれりの感が一入深い。
のち、現場に行っていた、賀沢課長に、「何でそんなうろついたのよ」と言ったら、「だって広いんだもの」と答えた。
都教委はこの秋の行事で、不起立の10人の教員を戒告処分、通達違反者を処分するというみせしめを翳して、2004年春に臨むこととなる。
用意周到、違反者は処分、壇上授与が無理な養護学校には80万円かけて、特設のスロープを設置する。
国旗・都旗至上につき、卒業生の作品展示は撤去、
ここまで来ると、笑っているだけで済まないで、背筋が寒くなる。
これが、戦後民主主義といわれた世の中の、かくも薄き「民主主義・主権在民」の実態であったことか。
彼らなりに、あらゆることを想定し、多少の不起立者が出るのは想定の内、繰り返せばやがて懲戒免職と脅せばもとよりひ弱な教員ども、抵抗は時間とともに消えてなくなると都教委は考えた。
そこに、「卒業生の異議申し立て」が行われたのだ。
よってそれが、とんでもない反乱とみなされ、都教委は頭に血がのぼって事件化して、警察・検察・都教委一体となって暴走をさらに加速させる。
(続)
※ 「顛末記」の過去ログは、
顛末記(3) http://wind.ap.teacup.com/people/3892.html
顛末記(2) http://wind.ap.teacup.com/people/3872.html
顛末記(1) http://wind.ap.teacup.com/people/3853.html
20回くらいの連載になる予定です。
★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
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■□■ 弁護団が『上告趣意補充書』を、欧州人権専門家のlegal opinionを得て、提出すると聞いています。 ■□■
◎ 板橋高校卒業式事件・顛末記<4>
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「イカル」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
4 問題の卒業式前の状況
ここに、「10・23通達」というものがある。 2003年10月23日に出された。
指導主事らがそれまりに知恵を絞らされて、あらゆることを想定しつつ、強制的・画一的卒業式の完全履行をめざしたものである。
曰く、国旗掲揚は壇上正面、左。 右は都旗。
正対して起立し、国歌を斉唱す。
これを職務命令書とし、教員個々に手交する。
それに付随して、実に細かい点まで都教委は校長を指導した。 指導というより恫喝して従わせた。
式次第を事前に提出せよ。 教職員の座席を指定しそれを提出せよ。
各校に監視員として指導主事を派遣し、座席名表により、不起立者を特定し、教頭が間違いなく確認するかを見張る。
紹介するには、これだけでもう十分すぎるであろう。
教育委員会なる機関の教育庁の中の役人、管理職・指導主事が、学校に行って、管理職を見張り、現場の教職員の非違をとがめて処分しようというのである。
戦後の教育委員会も、ここまで堕したのか。
だいたいが、管理職になったり、指導主事になったりするのは、授業や生徒との関係に喜びを見いだせないで、ようするにうまく行かなくて、逃げ場所としてそっちへ行く奴が多い。
私もびっくりしたことがある。 授業がまともに出来なくなって、休職まがいのことをやってたN氏が、気が付いたらK高の校長をやっていた。 いやあ、驚いた。 試験さえ受かれば、倍率が低いからアホでも校長になる。
これも困った問題だ。
ある時、校長の出身教科を数えていったら、約半数が体育科であった。 ありゃまあーとしか言いようがない。
通達の出た後、周年行事の学校がたくさんあった。 通達の最初の実施である。
高島高校は30周年を迎える。
指導主事多数が派遣された。 広い体育館、教職員が散らばって立っている。
いよいよ、「国歌斉唱」、それが始まった途端、指導主事が徘徊し出した。
ちゃんと歌っているかを確認するためだという。
うろつきまわっちゃ、これは、戦前なら「不敬罪」、不敬行為ではないのか。
官僚の愚劣もここに極まれりの感が一入深い。
のち、現場に行っていた、賀沢課長に、「何でそんなうろついたのよ」と言ったら、「だって広いんだもの」と答えた。
都教委はこの秋の行事で、不起立の10人の教員を戒告処分、通達違反者を処分するというみせしめを翳して、2004年春に臨むこととなる。
用意周到、違反者は処分、壇上授与が無理な養護学校には80万円かけて、特設のスロープを設置する。
国旗・都旗至上につき、卒業生の作品展示は撤去、
ここまで来ると、笑っているだけで済まないで、背筋が寒くなる。
これが、戦後民主主義といわれた世の中の、かくも薄き「民主主義・主権在民」の実態であったことか。
彼らなりに、あらゆることを想定し、多少の不起立者が出るのは想定の内、繰り返せばやがて懲戒免職と脅せばもとよりひ弱な教員ども、抵抗は時間とともに消えてなくなると都教委は考えた。
そこに、「卒業生の異議申し立て」が行われたのだ。
よってそれが、とんでもない反乱とみなされ、都教委は頭に血がのぼって事件化して、警察・検察・都教委一体となって暴走をさらに加速させる。
(続)
※ 「顛末記」の過去ログは、
顛末記(3) http://wind.ap.teacup.com/people/3892.html
顛末記(2) http://wind.ap.teacup.com/people/3872.html
顛末記(1) http://wind.ap.teacup.com/people/3853.html
20回くらいの連載になる予定です。
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