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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

東京「君が代」4次訴訟・第3回口頭弁論から②

2014年11月23日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ※ 次回は、2月20日(金)16:00~ 東京地裁527法廷
  《2014年11月21日 原告意見陳述書》
 ◎ 教育行政が、児童・生徒の選択肢を奪い、健康や安全を脅かすような職務命令を出すべきではない。

 原告の一人で、東京都立○○特別支援学校で教員をしている○○です。
 私は、京都市に生まれ育ち、京都市立の中学校ではいわゆる「同和教育」を受けました。私の通った中学校は、校区内に被差別部落があり、また、在日朝鮮人の多い地城でもあったので、部落差別や在日朝鮮人差別は、身近な人権問題でした。
 私は、「同和教育」の中で、差別はなくさなければならないものである、と教わり、社会科では、全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有する、と教わりました。それゆえ、私は、もし自分が教員になったら、自分が教える生徒にも、差別はなくさなければいけないということを教えたい、誰もが平和のうちに生存する権利を有するということを教えたい、と願ってきました。
 私は、2000年の4月に、東京都の教員として採用され、都立府中養護学校に勤務することになり、高等部2年生の担任になりました。
 当時の養護学校の入学式・卒業式は、児童・生徒にとって、有意義な教育の機会となるよう、児童・生徒や教職員が創意工夫を凝らし、様々な形態で行われていました。
 当時の肢体不自由養護学校では、多くの場合、体育館の真ん中で、卒業生が校長先生から卒業証書を受け取り、在校生や保護者・教職員が、それを取り囲んで祝福する形式の卒業式が行われていました。
 在校生の多くが車椅子を使って生活しており、比較的障がいの重い児童・生徒は、座位を長時間保持することも難しいため、床にマットを敷いて、教員が座位姿勢を介助しながら式に参加することも常にありました。
 体育館の真ん中で卒業証書を受け取る卒業式の形式は、車椅子の生徒やマットで座位をとる生徒にとって、自分たちに近い場所や目の高さに近い位置で、卒業生が卒業証書を受け取る様子や雰囲気を身近に感じられるようにと、工夫された結果でした。
 2002年3月の卒業式は、私も卒業学年の担任として、式に参加しました。卒業証書をどの場所でどのように受け取るか、についても、卒業学年の担任が、生徒やその保護者と相談しました。私も担任の一人として、話し合いに加わりました。
 生徒の一人で、電動車椅子を常に使用しているAさんからは、「体育館の壇上で電動車椅子を操作するのは、少し怖い。」という意見が出され、保護者の意見も参考にし、2002年3月の卒業式も、壇上を使用せず、体育館の真ん中で卒業証書を受け取る形式にしました。
 このように、2003年以前の都立養護学校の卒業式では、児童・生徒やその保護者と教職員が意見を交換し合い、卒業式の形態を創意工夫しながら作り上げてきました。
 しかし、いわゆる「10・23通逮」以降は、東京都教育委員会によって、卒業式の形態が事細かに定められ、どんな場合でも壇上を使用するよう決められたため、創意工夫がほぼ不可能になりました。
 私たち養護学校教員は、生徒の障がいがどんなに重くとも、生徒自身が自発的・主体的に学べるように、可能な限り選択肢を用意し、生徒が選べるように配慮してきました。しかし、「10・23通達」以降の入学式や卒業式において、様々な選択肢を用意することも非常に難しくなりました。
 肢体不自由養護学校には、歩行が困難な生徒も多く在籍していました。歩行の練習の成果で、数歩の距離ではあっても歩行ができるようになった生徒が、体育館の真ん中のフロァの上で、在校生や保護者に見守られつつ、卒業証書を受け取るために校長先生の所まで歩いて行く姿は、肢体不自由養護学校ではよく見られた光景でした。
 しかし、壇上を使用する形式しか許さない卒業式では、安全上の問題から、そのような光景は著しく減りました。
 それだけではなく、卒業式の最中には、教職員が決められた席に居続けなければならないと定められ、まして「君が代」斉唱時には、身動きすることもままならないために、常に教員や看護師による医療的ケアや姿勢介助が必要な児童・生徒が、それらを十分には受けられないという事態も起こっています。
 2007年3月には、都内の養護学校で以下のような事例がありました。卒業式の「君が代」がはじまった時に、筋ジストロフィーの生徒の人工呼吸器の警報音が鳴り、保健室のスタッフが駆け寄って対応しようとしました。
 ところがそこへ副校長が駆け寄って、保健室スタッフに起立を命じたのです。いったい生命の危険への対処と「君が代」起立とどちらが大事だというのでしょうか。幸い生徒は無事でしたが、何事か起きていたら、誰がどのような責任をとれたというのでしょうか。
 このような状況でも起立命令を優先しようとすることによって、生徒の生命が危険な状態にさらされたのです。
 私は、生徒の安全を守るべき教員として、このような事態を二度と繰り返してはならないと痛感します。
 私は、「10・23通達」後最初に行われた2004年3月の卒業式で、当時の同僚や上司である管理職に説得され、不本意ながら職務命令に従い、起立することにしました。
 しかし、起立斉唱の職務命令を含め、この「10・23通達」は、児童・生徒に対しても教職員に対しても悪い影響を及ぼすのではないか、との疑問を抱いていた私は、「国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟(いわゆる予防訴訟)」の原告の一人になるとともに、当時、府中養穫学校で発行していた職場新聞の紙上で「日の丸」や「君が代」について考察する活動を続けました。
 また、2006年9月の予防訴訟東京地裁判決において、難波孝一裁判長は、「10・23通達」とそれに基づく校長の職務命令を、憲法19条に違反するものである、と明快に判じました。
 「君が代」斉唱時に、「日の丸」に向かって起立し、それらに敬意を表すという所作は、私にとっては、かつての日本によるアジアに対する侵略戦争や植民地支配のシンボルでもある歌や旗に敬意を示すということであり、私の歴史観に照らして、それらの歌や旗に敬意を示すということは、平和に生きる権利を否定し民族差別を肯定する行為なのです。
 したがって、私にとって、「君が代」斉唱時に起立斉唱することは、単なる「慣例上の儀礼的所作」ではありません。
 東京都教育委員会は「教師が生徒に対して起立斉唱する姿を見せること、範を示すことが大切である。」と言われます。しかし、本来なら反対すべき、と考えている「日の丸」や「君が代」に対して、私が起立斉唱することで敬意を表す姿を生徒に見せることは、私自身の良心が痛むのです。
 その上、「10・23通達」や起立斉唱命令が子ども達の安全や生命をも脅かそうとしているとき、その命令には従うことができないのです。
 以上の理由から、私は、教育行政がいたずらに児童・生徒の選択肢を奪うような通達を出すぺきではない、ましてや、健康や安全を脅かすような職務命令を出すべきではない、と考えます。
 また、個人の良心の自由を奪うような職務命令を出すべきではない、起立斉唱の職務命令に反したからといって懲戒処分をすべきではない、と考えます。
 裁判官の皆様におかれましては、以上のことをふまえ、公正な審判を下していただきたい、と心から願っております。
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