☆ 映画『日独裁判官物語』(その1)
~驚きの市民感覚の格差
1999年記録映画 製作・普及100人委員会、青銅プロダクション <監督>片桐直樹<話>山本圭
裁判の傍聴の機会が多い私にとって、驚きの連続でした。裁判官が市民の目線にたっている。労働組合に入って市民運動もしている。裁判所全体に反ナチスの姿勢が確立している。「市民のための裁判所」がこの世にはちゃんと存在しているんだ。
【最高裁の建物の比較】
行った人は分かると思うが、千代田区隼町の日本最高裁の建物は要塞のような偉観である。
映画では、黒塗りのリムジンで登庁してくる最高裁判事の様子が写っていた。
敬礼する門衛。警戒は厳しい。
内部に入ると、迷路のような廊下。法廷は窓が全くない。照明も落としがちで暗くいかめしい雰囲気が漂う。
ドイツ連邦共和国憲法裁判所の裁判官の出勤風景は、一人バイクに乗って乗り付けるもの。実にお気楽だ。
映画の最後の方で、大法廷での裁判の様子が映される。
(法廷にカメラが入っていること自体が驚きだ)
壁は全面ガラス張りで、陽光がさんさんと入り、実に明るく透明感がある。
何百人もの傍聴者が入っているが、裁判官と同じフロアで対面している。
法廷の中に、隔てる柵など全く見られない。
裁判長は同じ目線で語りかけるように問いかけ、原告もリラックスして、素直な表情で裁判官と受け答えしている。
安心感・信頼感が満ちており、日本の法廷にありがちな不信感・疑惑・怨念のようなドロドロしたものは全く感じられない。
連邦憲法裁判所は「市民のための裁判所」と呼ばれるそうだ。
【法廷内の撮影】
日本では映画のカメラが、敷地内に入ることは裁判所から拒否された。
ドイツでは、当事者の了解があればテレビ取材や写真撮影は自由だそうだ。
この映画では、様々なドイツの法廷が映し出される。
【ドイツの裁判所の風景での驚きの数々】
<家事裁判、民事事件の裁判所>
市民になじみの深いこれらは、利用しやすい商店街のビルの中に設けられている。
<ミュンヘン区裁判所民事部法廷>
明るい部屋。大きいテーブルを囲んで6人が坐っている。
離婚訴訟で判決が読み上げられる。
「『国民の名において』判決します。本日離婚が成立しました。」
(ドイツでは、国民が主権者扱いを受けているのだなあ、と感激!)
<財政裁判所>
裁判官入場。「坐ったままで」と起立を制する。
(日本の裁判官は、傍聴人が起立しないと注意して起立するまで開廷しない!)
固定資産税の争いだが、裁判長のデスクの上に土地の図面を出してみんながのぞき込んで意見を出し合う。(「まるでシンポジウム」とナレーション)
<労働裁判所>
市民参加型。職業裁判官1名、「名誉職裁判官(一般市民)」2名の法廷。
経営者側と労働者側から推薦される仕組みだそうだ。
「法的問題というより、一般的な人間の常識で判断できるから」と裁判長が解説。
<行政裁判所(フライブルク)>
女性裁判官の部屋には、家族の写真、ドイツ自然環境保護連盟のステッカー、反原発のポスターなどか壁一面に飾ってある。
(執務室というより、自宅の部屋。堂々と市民運動の主張をしている。)
「裁判官は、公正で勇気ある判断をするためにも、普通の市民生活、市民運動、政治に積極的に関わるべきだと思います。裁判官の最も大事な任務は、社会的、経済的強者から弱者を守ることです。」
<連邦行政裁判所>
「我々の使命は、市民を行政の違法行為から守ること」(ゲンチュ裁判長)
原発建設取消、高速道路建設問題などを扱ったそうだ。
<連邦憲法裁判所>(日本の最高裁)
・女性長官が、日本のカメラの前で語る。
市民のための裁判所。
「特に基本的人権の保障を大切にしてきました。始めの頃は、『言論の自由』と『人間の尊厳』が大きな課題でした。三権分立も重視してきました。」
47年間で500件以上の違憲判決を出してきた。
【裁判官の処遇】
・日本の元裁判官が語る。「にらまれると、事実上不利益な取り扱い。」
(1.任地、2.給料、3.部総括になれない)
・ドイツの裁判官が語る。「裁判官の一方的な転勤、異動はありません。裁判官の意志を無視して異動することは禁止。転勤は希望しない限りないから、地域に密着している。」
【裁判官の市民感覚】
・日本では、
官舎にこもって、地域住民との触れあいは少ない。
市民感情が分からない。地域のために仕事をしているという意識が薄すぎる。
国民から離れている。壁が出来ている。
行政や立法を支持する方にウエイトがかかる。三権分立のチェックする本来の機能が発揮できない。
・ドイツでは、
裁判官が正当な判決を出す条件の一つとして、当事者と同様に社会の中に一人の市民として生きていることが非常に重要。
裁判官である前に一市民であり、裁判官として市民的自由を持っていなければならない。
女性も職業を持つドイツでは、裁判官のほとんどが共働き。
【裁判官達の社会活動・政治活動】
・日本では、「常識的に」ありえない。
(映画では、青法協の宮本裁判官再任拒否、市民集会に参加した寺西裁判官の分限処分の例を取り上げていた。)
・一般の人との接触の仕方に気を遣っている。
・色んな団体に加入することはしない。
・従って、自分自身の判断を養うことが出来ていない、との批判がある。
・ドイツでは、「市民的自由」は当たり前。
団結権もあり、組織を作ることも、組織に入ることも、市民と全く同等。
<ミュンヘン刑事裁判所 少年事件担当の女性裁判官>
日常活動として、少年問題を考える会に参加している。
「校内暴力についての市民集会」。会場は、何と裁判所の法廷を開放しての集まりだ。
<ミュンヘン民事部の裁判官>
区会議員をやっている。法律家として地方自治への提言を求められることも多い。
SPD(社会民主党)の党員。ドイツ法律家反核協会にも所属している。
「裁判官が政治的活動をすることと、司法権を行使することは、全く別の問題です。裁判官の市民的自由を活かしている行動です。
裁判官は、市民と同じように言論の自由という権利を持って、自由に発言したり自分の意思を表示します。何の圧力も受けません。
なぜ組合に入っているかというと、働く人たちと同じ立場にあるからです。一般の市民より高い立場にあるのではないことを示したいからです。裁判官は他の職業と同様に国民にサービスを提供しているのです。」
(こんな裁判官に「労働裁判」を裁いてもらいたい。逆に日本の労働裁判はいかに絶望的であることか。)
<デュッセルドルフ行政裁判所裁判長>
高校の法学の授業にボランティアとして教壇に立つ。
この日のテーマは、「表現の自由とデモについて」
生徒が反核バッチをつけて先生に取り上げられた事例。憲法に定められた表現の自由との関係を討論を通して学んでいく。
(裁判官が「表現の自由」を高校生に直接教えてくれるなんて…憲法感覚が小さい時から磨かれるなあ)
<ハンブルグ公共法律案内所>
法律扶助相談に、裁判官がボランティアとして参加している。
(弁護士だけではなく、裁判官も法律相談に乗ってくれるんだ!)
<裁判官の政治活動の例>
・1983年、ハンブルグ軍縮集会。裁判官と検察官の反核デモ!。新聞に反核の裁判官署名広告。
・1987年、NATO軍の核配備に反対し、米軍基地前に裁判官・検察官たちが座り込み!
(裁判官の政治活動の行き過ぎと話題になったが、市民の圧倒的支持で裁判官達が不利益を蒙ることはなかった。)
ドイツの「市民に開かれた裁判所」には、ナチス時代の痛切な反省がある。
(続)
~驚きの市民感覚の格差
1999年記録映画 製作・普及100人委員会、青銅プロダクション <監督>片桐直樹<話>山本圭
裁判の傍聴の機会が多い私にとって、驚きの連続でした。裁判官が市民の目線にたっている。労働組合に入って市民運動もしている。裁判所全体に反ナチスの姿勢が確立している。「市民のための裁判所」がこの世にはちゃんと存在しているんだ。
【最高裁の建物の比較】
行った人は分かると思うが、千代田区隼町の日本最高裁の建物は要塞のような偉観である。
映画では、黒塗りのリムジンで登庁してくる最高裁判事の様子が写っていた。
敬礼する門衛。警戒は厳しい。
内部に入ると、迷路のような廊下。法廷は窓が全くない。照明も落としがちで暗くいかめしい雰囲気が漂う。
ドイツ連邦共和国憲法裁判所の裁判官の出勤風景は、一人バイクに乗って乗り付けるもの。実にお気楽だ。
映画の最後の方で、大法廷での裁判の様子が映される。
(法廷にカメラが入っていること自体が驚きだ)
壁は全面ガラス張りで、陽光がさんさんと入り、実に明るく透明感がある。
何百人もの傍聴者が入っているが、裁判官と同じフロアで対面している。
法廷の中に、隔てる柵など全く見られない。
裁判長は同じ目線で語りかけるように問いかけ、原告もリラックスして、素直な表情で裁判官と受け答えしている。
安心感・信頼感が満ちており、日本の法廷にありがちな不信感・疑惑・怨念のようなドロドロしたものは全く感じられない。
連邦憲法裁判所は「市民のための裁判所」と呼ばれるそうだ。
【法廷内の撮影】
日本では映画のカメラが、敷地内に入ることは裁判所から拒否された。
ドイツでは、当事者の了解があればテレビ取材や写真撮影は自由だそうだ。
この映画では、様々なドイツの法廷が映し出される。
【ドイツの裁判所の風景での驚きの数々】
<家事裁判、民事事件の裁判所>
市民になじみの深いこれらは、利用しやすい商店街のビルの中に設けられている。
<ミュンヘン区裁判所民事部法廷>
明るい部屋。大きいテーブルを囲んで6人が坐っている。
離婚訴訟で判決が読み上げられる。
「『国民の名において』判決します。本日離婚が成立しました。」
(ドイツでは、国民が主権者扱いを受けているのだなあ、と感激!)
<財政裁判所>
裁判官入場。「坐ったままで」と起立を制する。
(日本の裁判官は、傍聴人が起立しないと注意して起立するまで開廷しない!)
固定資産税の争いだが、裁判長のデスクの上に土地の図面を出してみんながのぞき込んで意見を出し合う。(「まるでシンポジウム」とナレーション)
<労働裁判所>
市民参加型。職業裁判官1名、「名誉職裁判官(一般市民)」2名の法廷。
経営者側と労働者側から推薦される仕組みだそうだ。
「法的問題というより、一般的な人間の常識で判断できるから」と裁判長が解説。
<行政裁判所(フライブルク)>
女性裁判官の部屋には、家族の写真、ドイツ自然環境保護連盟のステッカー、反原発のポスターなどか壁一面に飾ってある。
(執務室というより、自宅の部屋。堂々と市民運動の主張をしている。)
「裁判官は、公正で勇気ある判断をするためにも、普通の市民生活、市民運動、政治に積極的に関わるべきだと思います。裁判官の最も大事な任務は、社会的、経済的強者から弱者を守ることです。」
<連邦行政裁判所>
「我々の使命は、市民を行政の違法行為から守ること」(ゲンチュ裁判長)
原発建設取消、高速道路建設問題などを扱ったそうだ。
<連邦憲法裁判所>(日本の最高裁)
・女性長官が、日本のカメラの前で語る。
市民のための裁判所。
「特に基本的人権の保障を大切にしてきました。始めの頃は、『言論の自由』と『人間の尊厳』が大きな課題でした。三権分立も重視してきました。」
47年間で500件以上の違憲判決を出してきた。
【裁判官の処遇】
・日本の元裁判官が語る。「にらまれると、事実上不利益な取り扱い。」
(1.任地、2.給料、3.部総括になれない)
・ドイツの裁判官が語る。「裁判官の一方的な転勤、異動はありません。裁判官の意志を無視して異動することは禁止。転勤は希望しない限りないから、地域に密着している。」
【裁判官の市民感覚】
・日本では、
官舎にこもって、地域住民との触れあいは少ない。
市民感情が分からない。地域のために仕事をしているという意識が薄すぎる。
国民から離れている。壁が出来ている。
行政や立法を支持する方にウエイトがかかる。三権分立のチェックする本来の機能が発揮できない。
・ドイツでは、
裁判官が正当な判決を出す条件の一つとして、当事者と同様に社会の中に一人の市民として生きていることが非常に重要。
裁判官である前に一市民であり、裁判官として市民的自由を持っていなければならない。
女性も職業を持つドイツでは、裁判官のほとんどが共働き。
【裁判官達の社会活動・政治活動】
・日本では、「常識的に」ありえない。
(映画では、青法協の宮本裁判官再任拒否、市民集会に参加した寺西裁判官の分限処分の例を取り上げていた。)
・一般の人との接触の仕方に気を遣っている。
・色んな団体に加入することはしない。
・従って、自分自身の判断を養うことが出来ていない、との批判がある。
・ドイツでは、「市民的自由」は当たり前。
団結権もあり、組織を作ることも、組織に入ることも、市民と全く同等。
<ミュンヘン刑事裁判所 少年事件担当の女性裁判官>
日常活動として、少年問題を考える会に参加している。
「校内暴力についての市民集会」。会場は、何と裁判所の法廷を開放しての集まりだ。
<ミュンヘン民事部の裁判官>
区会議員をやっている。法律家として地方自治への提言を求められることも多い。
SPD(社会民主党)の党員。ドイツ法律家反核協会にも所属している。
「裁判官が政治的活動をすることと、司法権を行使することは、全く別の問題です。裁判官の市民的自由を活かしている行動です。
裁判官は、市民と同じように言論の自由という権利を持って、自由に発言したり自分の意思を表示します。何の圧力も受けません。
なぜ組合に入っているかというと、働く人たちと同じ立場にあるからです。一般の市民より高い立場にあるのではないことを示したいからです。裁判官は他の職業と同様に国民にサービスを提供しているのです。」
(こんな裁判官に「労働裁判」を裁いてもらいたい。逆に日本の労働裁判はいかに絶望的であることか。)
<デュッセルドルフ行政裁判所裁判長>
高校の法学の授業にボランティアとして教壇に立つ。
この日のテーマは、「表現の自由とデモについて」
生徒が反核バッチをつけて先生に取り上げられた事例。憲法に定められた表現の自由との関係を討論を通して学んでいく。
(裁判官が「表現の自由」を高校生に直接教えてくれるなんて…憲法感覚が小さい時から磨かれるなあ)
<ハンブルグ公共法律案内所>
法律扶助相談に、裁判官がボランティアとして参加している。
(弁護士だけではなく、裁判官も法律相談に乗ってくれるんだ!)
<裁判官の政治活動の例>
・1983年、ハンブルグ軍縮集会。裁判官と検察官の反核デモ!。新聞に反核の裁判官署名広告。
・1987年、NATO軍の核配備に反対し、米軍基地前に裁判官・検察官たちが座り込み!
(裁判官の政治活動の行き過ぎと話題になったが、市民の圧倒的支持で裁判官達が不利益を蒙ることはなかった。)
ドイツの「市民に開かれた裁判所」には、ナチス時代の痛切な反省がある。
(続)
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