☆ 映画『日独裁判官物語』(その2)
~裁判所は歴史から何を学んだか
チャンネル: 206・207ch : 日本映画専門チャンネル
3月19日(木)26:00 [映]「日独裁判官物語」
3月25日(水)8:00 [映]「日独裁判官物語」
http://tv.starcat.co.jp/channel/tvprogram/0995200903022200.html
【全国の裁判所にナチス時代への痛切な反省のモニュメント】
<ミュンヘンバイエルン州司法省>
「司法の宮殿」と呼ばれる歴史的建造物の正面入口に、「白バラ(ナチス抵抗グループ)」を悼む碑文が刻まれている。
市民生活に密着。市民の出入りは自由。市民生活に関わるパンフレットも置かれている。
「市民のサービス機関でなければならない。」
(日本の法務省にあたる役所が、戦前の自らの過ちを刻んでいる。)
<全ドイツ裁判所の至る所にナチス犠牲者追悼の碑>
・ナチス司法犠牲者追悼碑(裁判官アカデミー=日本の司法研修所)
「ドイツ民族の名において1933年から1945年にかけてナチス司法によって不当な被害を受けた人々を追悼する」
・ナチス司法犠牲者追悼碑(ヘルムシュタット)
「過ちを繰り返すな」
・正義の碑(ザルツギッター)
【戦後民主化の歴史】
ナチスの法律が廃止された。しかしその他の法律はそのまま残っていた。
ナチスの協力者の裁判官が追放された。多くは変わらなかった。
「60年代、裁判所長官の指示によって裁判官の言論の自由が制限されたり、批判的発言に懲戒処分が科せられたからです。特に司法の権威主義的な構造、非民主的な立法、ドイツの民主主義の欠陥に対する発言は厳しく懲戒を受けました。
当時の保守的裁判官たちが、ヒトラーの時代に既に人道に反する死刑判決を下したり、ヒトラー国家の司法を担っていたことに気付いた。ナチス当時の裁判官達が60年代に司法省の高官になっていたのです。」
・古い法律も、基本法に照らして、民主的な方向に司法全体のメンタリティを変えていった。
(日本では、誰一人裁判官が「追放」されることはなかったなぁ。
天皇制憲法下で反人道的判決を書いた裁判官達が、戦後も裁判官であり続けた。
そしてドイツと同じように60年代には法曹界の高い地位に就いていった。その結果…)
日本でも、60年代は、
改革のうねりがあり、「民主・平和・人権」の憲法の理念に基づく判決が次々に出された。国民の権利を守る司法の道を歩むかに見えた。
これに対し危機感を持った保守陣営・マスコミは、青年法律家協会を一斉に攻撃した。最高裁判所事務当局は政治の動きに敏感に反応し、青法協は解散に追い込まれた。
統制が確立し、以来政府が困惑するような判決は出なくなった。
【ドイツの司法改革】
1960年代後半から行われた司法改革。
「市民のための司法」(市民に国家からの行為に対して保護を与える)
なぜ、裁判官が高いところに座らなければならないのか?
なぜ、傍聴人と隔てる柵が必要なのか?
→法廷の柵は廃止。
→裁判官も平場。円形(中央に裁判官書記官、周りに傍聴人)の法廷もある。
(簡単な改革だが、権威主義的な日本の裁判所では考えられない。なぜ段差を作る?なぜ柵で囲う?)
「市民に開かれた裁判所」
市民のための司法にする。市民にアクセスしやすい親しみやすい裁判所を作る。
「開かれた裁判所の日」裁判所を開放。詩の朗読会、美術展。交流パーティー。同じ市民としての付き合い。
【裁判官教育】
・日本の司法研修は、
一貫して「裁判所が決めるんだ、お前が決めるんじゃない。」とたたき込むのだそうだ。
研修のあり方について、国連人権規約委員会から、人権教育の必要性を強く勧告されている。(1998年)
<ドイツ裁判官アカデミー(日本の司法研修所)>(トリーア)
全国から研修に来る。専任の教官はいない。なぜか。
女性所長が語る。
「法律専門コースは、45%を超えないように制限されている。教科書や専門書で得ることが出来る。
司法関係ばかりではなく、文化、芸術、科学など各界からの専門家が講師を務めている。
裁判官同士の人間同士の交流のために、ゆったりした時間を設けたい。
裁判官は自分の政治的社会的環境を無視してはいけません。
国家は、政治に関心を持ち、行動する裁判官を求めている。」
映画は
「自由で独立した裁判官なしでは、国民の権利は守れない。」
と結ばれる。
(終)
歴史から学んだことが、ドイツと日本とでは大きく違う。誰一人戦前の裁判官を追放できなかった日本は、やはり「虚妄の戦後民主主義」でしかなかったのだ。戦後の五大改革に「司法改革」が入っていなかったことに今気付いた。
「三権分立」がキチンと機能するためには、「国民の名において」判決を下す「市民のための裁判所」が必要だ。そのためには、日本の裁判官にも「市民的自由」を市民と全く同等に与えなければならないことを知った。
~裁判所は歴史から何を学んだか
チャンネル: 206・207ch : 日本映画専門チャンネル
3月19日(木)26:00 [映]「日独裁判官物語」
3月25日(水)8:00 [映]「日独裁判官物語」
http://tv.starcat.co.jp/channel/tvprogram/0995200903022200.html
【全国の裁判所にナチス時代への痛切な反省のモニュメント】
<ミュンヘンバイエルン州司法省>
「司法の宮殿」と呼ばれる歴史的建造物の正面入口に、「白バラ(ナチス抵抗グループ)」を悼む碑文が刻まれている。
市民生活に密着。市民の出入りは自由。市民生活に関わるパンフレットも置かれている。
「市民のサービス機関でなければならない。」
(日本の法務省にあたる役所が、戦前の自らの過ちを刻んでいる。)
<全ドイツ裁判所の至る所にナチス犠牲者追悼の碑>
・ナチス司法犠牲者追悼碑(裁判官アカデミー=日本の司法研修所)
「ドイツ民族の名において1933年から1945年にかけてナチス司法によって不当な被害を受けた人々を追悼する」
・ナチス司法犠牲者追悼碑(ヘルムシュタット)
「過ちを繰り返すな」
・正義の碑(ザルツギッター)
【戦後民主化の歴史】
ナチスの法律が廃止された。しかしその他の法律はそのまま残っていた。
ナチスの協力者の裁判官が追放された。多くは変わらなかった。
「60年代、裁判所長官の指示によって裁判官の言論の自由が制限されたり、批判的発言に懲戒処分が科せられたからです。特に司法の権威主義的な構造、非民主的な立法、ドイツの民主主義の欠陥に対する発言は厳しく懲戒を受けました。
当時の保守的裁判官たちが、ヒトラーの時代に既に人道に反する死刑判決を下したり、ヒトラー国家の司法を担っていたことに気付いた。ナチス当時の裁判官達が60年代に司法省の高官になっていたのです。」
・古い法律も、基本法に照らして、民主的な方向に司法全体のメンタリティを変えていった。
(日本では、誰一人裁判官が「追放」されることはなかったなぁ。
天皇制憲法下で反人道的判決を書いた裁判官達が、戦後も裁判官であり続けた。
そしてドイツと同じように60年代には法曹界の高い地位に就いていった。その結果…)
日本でも、60年代は、
改革のうねりがあり、「民主・平和・人権」の憲法の理念に基づく判決が次々に出された。国民の権利を守る司法の道を歩むかに見えた。
これに対し危機感を持った保守陣営・マスコミは、青年法律家協会を一斉に攻撃した。最高裁判所事務当局は政治の動きに敏感に反応し、青法協は解散に追い込まれた。
統制が確立し、以来政府が困惑するような判決は出なくなった。
【ドイツの司法改革】
1960年代後半から行われた司法改革。
「市民のための司法」(市民に国家からの行為に対して保護を与える)
なぜ、裁判官が高いところに座らなければならないのか?
なぜ、傍聴人と隔てる柵が必要なのか?
→法廷の柵は廃止。
→裁判官も平場。円形(中央に裁判官書記官、周りに傍聴人)の法廷もある。
(簡単な改革だが、権威主義的な日本の裁判所では考えられない。なぜ段差を作る?なぜ柵で囲う?)
「市民に開かれた裁判所」
市民のための司法にする。市民にアクセスしやすい親しみやすい裁判所を作る。
「開かれた裁判所の日」裁判所を開放。詩の朗読会、美術展。交流パーティー。同じ市民としての付き合い。
【裁判官教育】
・日本の司法研修は、
一貫して「裁判所が決めるんだ、お前が決めるんじゃない。」とたたき込むのだそうだ。
研修のあり方について、国連人権規約委員会から、人権教育の必要性を強く勧告されている。(1998年)
<ドイツ裁判官アカデミー(日本の司法研修所)>(トリーア)
全国から研修に来る。専任の教官はいない。なぜか。
女性所長が語る。
「法律専門コースは、45%を超えないように制限されている。教科書や専門書で得ることが出来る。
司法関係ばかりではなく、文化、芸術、科学など各界からの専門家が講師を務めている。
裁判官同士の人間同士の交流のために、ゆったりした時間を設けたい。
裁判官は自分の政治的社会的環境を無視してはいけません。
国家は、政治に関心を持ち、行動する裁判官を求めている。」
映画は
「自由で独立した裁判官なしでは、国民の権利は守れない。」
と結ばれる。
(終)
歴史から学んだことが、ドイツと日本とでは大きく違う。誰一人戦前の裁判官を追放できなかった日本は、やはり「虚妄の戦後民主主義」でしかなかったのだ。戦後の五大改革に「司法改革」が入っていなかったことに今気付いた。
「三権分立」がキチンと機能するためには、「国民の名において」判決を下す「市民のための裁判所」が必要だ。そのためには、日本の裁判官にも「市民的自由」を市民と全く同等に与えなければならないことを知った。
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