=五次訴訟・第4回口頭弁論=
◆ 原告意見陳述を終えて…原告の感想 (『被処分者の会通信』)
【秋田清(元・大田桜台)】
最初に、処分の元となった行為が、「40秒間程度、ただ静かに座っていた」だけであることを強調した。
都教委がそれを大騒ぎして事件に仕立て上げ、あたかも破壊工作でもしたかのように印象付けようとしている。その感じが若い裁判官に伝わればと思った。
次に、「二重罰の不合理さ」について述べた。
「殴られた側の痛みはまだ残っているのに、改めて殴りなおすなどということが許されるのでしょうか」と、あえて感覚に訴える表現にしてみた。
懲戒権者の裁量権の逸脱濫用としていったん減給処分が取り消されたのに、戒告なら文句なかろうとばかりに処分をやり直す。なぜそこまでこだわるのかと言えば、公務員の「責任を確認し」「公務員関係の秩序を維持するため」であるという。
わかりやすく言えば、「上からの命令に逆らうと痛い目に合う」ということを知らしめる「見せしめ」ということだろう。
「再発防止研修」については少し詳しく述べてみた。
二回目の再発防止研修では、講師と一対一の研修を受けさせられたが、講師は「公務員はいかなる場合も上司の命令に従わなければならない」ということを執拗に繰り返し、反省の言葉を引き出そうと躍起だった。
かねてより東京地裁から、「繰り返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするなど、公務員個人の内心の自由に踏み込」む研修は、違憲違法の問題を生ずる可能性があるという指摘がなされていたことにも触れ、「都教委の裁判所軽視の姿勢」の表れだと指摘した。
実際、都教委は裁判官の反対意見、補足意見など一顧だにしない。都教委を動かすには、原告勝訴の判決主文を勝ち取るしかないのだ。
10・23通達以後の学校現場のことについてももっと触れたかったが、それには時間が足りなかった。7分は短い。とはいえ、とても緊張しました(苦笑)。
【鈴木たけし(八王子拓真)】
私はこれまで4回不起立して、再処分も入れると5回処分されているので、よほど「日の丸」や「君が代」とかが嫌いな人なのだろうと思われそうだなと考え、「そうじゃないけど、立場上不起立しないわけにはいかないのよ」という趣旨の意見陳述をしました。
まあ、これだけ「君が代」がらみで処分や圧迫を受けてくると、正直「君が代」の「き」の字も耳にしたくないというか、あの重苦しいイントロが流れただけでテレビのスイッチを切ってしまう(最近は、家族が気を利かせて、すぐチャンネルを変えてくれる)現状はあるのだけど、入都した頃(もう30年以上前だ…)は個人的にはそんな嫌悪感はなかったんですよね。
で、今回の陳述にあたって、いつから「君が代ノーサンキュー」になったのかということを掘り起こしてみたわけです。
きっかけは2つあって、1つは、まだ20代の頃、「日の丸掲揚」を強行しようとした校長に、「みんなの合意がないのだからやめて」と言ったら「あなたたちは日本人か?」と言われたことです。差別や排除の論理を感じ取りましたね。この考え方はヤバいなと。
2つめは、都教委が「日の丸」と「君が代」をやたらと強制してきたことですね。
とりわけ校長を使って職務命令で強制するようになって、肚を決めました。「校長のように隷従してはならない」と。
でも、もし教師じゃなかったら、「めんどくせー」とか言いながらも起立くらいはしていたかもしれませんね。
でもでも、教師という立場にいたら、生徒に「起立しなさい」「歌いなさい」「日の丸に礼をしなさい」なんて言えないし、言ってはならないでしょう。いや無理です。
これが徹底されたら、全体主義ですよ。そんな企みに加担はできません。
裁判所には「個人の尊重」がどうしたら確保されるのか?実践的に考えてほしいですね。裁判所も動いてほしい。
私が陳述したくらいで簡単に変わるものではないでしょうが、みんなで協力して、しつこくアプローチして、「10・23通達は違法!」の判決を取って、命令や強制のない学校を取り戻したいと真剣に考えているのですよ。
◎次回の弁論は、7月14日(木)16時開廷(東京地裁709号法廷)です。引き続き傍聴支援よろしくお願いいたします!(次々回弁論は、9月12日(月)14時~631号法廷です)
『被処分者の会通信 138号』(2022年5月12日)
◆ 原告意見陳述を終えて…原告の感想 (『被処分者の会通信』)
【秋田清(元・大田桜台)】
最初に、処分の元となった行為が、「40秒間程度、ただ静かに座っていた」だけであることを強調した。
都教委がそれを大騒ぎして事件に仕立て上げ、あたかも破壊工作でもしたかのように印象付けようとしている。その感じが若い裁判官に伝わればと思った。
次に、「二重罰の不合理さ」について述べた。
「殴られた側の痛みはまだ残っているのに、改めて殴りなおすなどということが許されるのでしょうか」と、あえて感覚に訴える表現にしてみた。
懲戒権者の裁量権の逸脱濫用としていったん減給処分が取り消されたのに、戒告なら文句なかろうとばかりに処分をやり直す。なぜそこまでこだわるのかと言えば、公務員の「責任を確認し」「公務員関係の秩序を維持するため」であるという。
わかりやすく言えば、「上からの命令に逆らうと痛い目に合う」ということを知らしめる「見せしめ」ということだろう。
「再発防止研修」については少し詳しく述べてみた。
二回目の再発防止研修では、講師と一対一の研修を受けさせられたが、講師は「公務員はいかなる場合も上司の命令に従わなければならない」ということを執拗に繰り返し、反省の言葉を引き出そうと躍起だった。
かねてより東京地裁から、「繰り返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするなど、公務員個人の内心の自由に踏み込」む研修は、違憲違法の問題を生ずる可能性があるという指摘がなされていたことにも触れ、「都教委の裁判所軽視の姿勢」の表れだと指摘した。
実際、都教委は裁判官の反対意見、補足意見など一顧だにしない。都教委を動かすには、原告勝訴の判決主文を勝ち取るしかないのだ。
10・23通達以後の学校現場のことについてももっと触れたかったが、それには時間が足りなかった。7分は短い。とはいえ、とても緊張しました(苦笑)。
【鈴木たけし(八王子拓真)】
私はこれまで4回不起立して、再処分も入れると5回処分されているので、よほど「日の丸」や「君が代」とかが嫌いな人なのだろうと思われそうだなと考え、「そうじゃないけど、立場上不起立しないわけにはいかないのよ」という趣旨の意見陳述をしました。
まあ、これだけ「君が代」がらみで処分や圧迫を受けてくると、正直「君が代」の「き」の字も耳にしたくないというか、あの重苦しいイントロが流れただけでテレビのスイッチを切ってしまう(最近は、家族が気を利かせて、すぐチャンネルを変えてくれる)現状はあるのだけど、入都した頃(もう30年以上前だ…)は個人的にはそんな嫌悪感はなかったんですよね。
で、今回の陳述にあたって、いつから「君が代ノーサンキュー」になったのかということを掘り起こしてみたわけです。
きっかけは2つあって、1つは、まだ20代の頃、「日の丸掲揚」を強行しようとした校長に、「みんなの合意がないのだからやめて」と言ったら「あなたたちは日本人か?」と言われたことです。差別や排除の論理を感じ取りましたね。この考え方はヤバいなと。
2つめは、都教委が「日の丸」と「君が代」をやたらと強制してきたことですね。
とりわけ校長を使って職務命令で強制するようになって、肚を決めました。「校長のように隷従してはならない」と。
でも、もし教師じゃなかったら、「めんどくせー」とか言いながらも起立くらいはしていたかもしれませんね。
でもでも、教師という立場にいたら、生徒に「起立しなさい」「歌いなさい」「日の丸に礼をしなさい」なんて言えないし、言ってはならないでしょう。いや無理です。
これが徹底されたら、全体主義ですよ。そんな企みに加担はできません。
裁判所には「個人の尊重」がどうしたら確保されるのか?実践的に考えてほしいですね。裁判所も動いてほしい。
私が陳述したくらいで簡単に変わるものではないでしょうが、みんなで協力して、しつこくアプローチして、「10・23通達は違法!」の判決を取って、命令や強制のない学校を取り戻したいと真剣に考えているのですよ。
◎次回の弁論は、7月14日(木)16時開廷(東京地裁709号法廷)です。引き続き傍聴支援よろしくお願いいたします!(次々回弁論は、9月12日(月)14時~631号法廷です)
『被処分者の会通信 138号』(2022年5月12日)
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