《立川テント村通信から》
☆ 能登半島大地震から考える
正月気分もクソも無いような三が日だった。元旦には能登半島大地震。翌日には羽田空港で航空機同士の衝突事故が起きた。
地震の方は早速消防や警察以外にも中部方面隊を中心にした自衛隊部隊が派遣され、様々な救助浩動を行っている。
こういう活動は自衛隊でもアピールに活用していて、人助けをしたいという理由で志願する若者もいる。しかしそういう若者の一人だった五ノ井里奈さんのように、性暴力被害やパワハラに遭い、退職せざるをえなかったり、裁判で訴えるケースも後を絶たない。
そもそも自衛隊という組織は災害救助に向いているのだろうか?考えたい。
☆ 災害救助に向かない自衛隊
そもそも自衛隊の本務は「国防である」ということが自衛隊の幹部から強く語られることが多い。早い話が戦争こそがその存在目的なのだ。
だから災害救助もやるが、装備兵器の方はしつかり予算を付けてくれということだろう。
しかし少子高齢化時代を迎え、若者の人数はドンドン減っていく。今後他の公務員、一般企業と人の奪い合いだ。
五ノ井里奈さんの裁判では一審は被告らは有罪になった。あれだけ大きな事件で少しは隊内に反省の思いが広がったかというとそうではなく、隊内傷害事件やパワハラやセクハラ、窃盗、無断欠勤で行方不明、麻薬などあらゆる種類の不祥事がその後もしばしばマスコミに出てくる。
こうした性差別や暴力性が常にあり続けるのが軍隊であり、自衛隊もその一つに過ぎない。
米軍でも性暴力事件は多い。こういう組織に若者がどれくらい志願し、残ることができるかは大いに疑問だ。
自衛隊のこうした性格は戦争を本務とするということと結びつく。軍隊は上意下達の組織だ。現場判断で相手が老人や子供だから引き金を引かないということは許されない。
しかし災害救助で求められるのは現場での機敏な判断だ。一々上司の判断を仰がずその場で最良の手段で、最速の救援活動を目指す。軍隊と正反対の性格が必要だ。
またレスキューの制服はオレンジや黄色などの色で、薄暗い場所でも目立つ。救助を待つ被災者に遠くからも見つけやすくなっているのだ。自衛隊は迷彩服で闇夜では見えない。これも逆だ。
東日本大震災の現場で自衛隊が足りなくて困ったのが、ヘッドライトやゴム手袋・ゴム長靴だ。ありふれた民生品だが、戦闘には必要ないから持っていないのだ。
被災していない周辺自治体などのスーパーまで出かけて買い集めたという。
保有ヘリコプターも多く人数も多いから、災害現場では能力を発揮しているように見える面もあるが、実は案外整備を含め緊急消防援助隊などに比べ救援に向いていないところも多い。
☆ 原発の危険性
防災訓練の問題も考えたい。東日本大震災では集団でまとまって同じ行動をするというこの訓練が災いを招いた例がある。宮城県の大川小の悲劃だ。
子供達の中には目の前の裏山に逃げた方がいいという意見をいう者もいたが、教員が議論に時間をかけすぎている間に津波が到達。ほとんどの子供と教員が犠牲になった。
これと相反する動きをしたのが釜石東中と鵜住居小の生徒達だ。
古くから伝わる「津波てんでんこ」という教えがある。「津波の際にはてんでんバラバラでいいから、自分がまず安全な場所へ避難しろ。家族とは後で落ち合う場所だけ決めておけ」という教えだ。
この教え通りに彼らは少しでも高いところを目指し地震直後から走り出した。
通常避難所に決められている建物に着いても彼らは安心せず、さらに少しでも高い場所へ向けてそれぞれで走り続けた。実際にこの避難場所も津波にのまれてしまっている。結果、何らかの理由で登校せずに自宅にいた子供以外すべてが釜石では助かっている。
何でも集団で管理し同じ場所に逃げる今の防災訓練が、人命を救うわけではないのだ。
日本列島はステルス断層もあり、いつどこで大きな地震が起きるかわからない。それがはっきりわかった能登半島大地震だが、だったら原発はどこに作ってもいけない。その真下に未確認の断層帯があるかも知れない。
震災への対処はまずすべての原発を廃止し、地震に強い都市構造をつくることから始めるべきだ。役立たずの訓練をやっていてもしょうがないだろう。
『立川テント村通信』(2024年2月1日)
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